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法 話
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【 私の如是我聞 】
第30回
人生と念仏
更新
平成26年2月
浄土真宗で最も大切な経典である 『
仏説無量寿経
(
ぶっせつむりょうじゅきょう
)
』には、 「
人
(
ひと
)
、
世間愛欲
(
せけんあいよく
)
のなかにありて、
独
(
ひと
)
り
生
(
うま
)
れ
独
(
ひと
)
り
死
(
し
)
、
独
(
ひと
)
り
去
(
さ
)
り
独
(
ひと
)
り
来
(
きた
)
る。」 【『注釈版聖典』五六頁】
と、人間の
孤独
(
こどく
)
のありさまが 説かれています。
また、財産があればあったで、それが苦しみのたねとなり、なければないで、 また苦しみにつながるように、人生はつねに、苦しみをともなうものであると述べられています。
このようなことが説かれるのは、孤独で苦悩する私たち一人ひとりのうえに、共に悲しんで くださる仏さまの願いがかけられていることを教えるためでした。
阿弥陀さまの願いは、「南無阿弥陀仏」という名号となって、私たちを呼びさましつづけていてくださいます。
ですから、どんな苦しいときでも、孤独の淋しさの中にあっても、この「南無阿弥陀仏」の六字の名号が私を支え、 導き、私の人生を力強く、歩ませてくださるのです。
以前ドイツ語の教師として、岡山大学の
教壇
(
きょうだん
)
に立たれた
池山栄吉
(
いけやまえいきち
)
先生は、 親鸞聖人のみ教えを深くよろこばれ、多くの人びとに影響を与えられたかたです。
この池山栄吉先生が、重い病をわずらわれ、
臨終
(
りんじゅう
)
近くのときに
『何も残るものはない 何も残るものはない
ただ念仏だけが残ってくれる
ただ念仏だけが残ってくれる
えらいこったよ 有り難いこったよ』
と語られたそうです。
どのようなときでも、「南無阿弥陀仏」のいわれを聞かせていただき、「南無阿弥陀仏」をとなえさせていただき、 それをとおして如来さまの親心にふれていくことは、人生においてほんとうに力強い依りどこを持つことなのです。
阿弥陀如来さまの救いのよびかけを、なかなか素直に聞くことのできない私ではありますが、せっかくこの世に 生を受けた身です。
如来さまの大きな
慈
(
いつくし
)
みのこころにふれ、 お念仏の深いみこころを、聞かせていただきましょう。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
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