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法 話
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【 私の如是我聞 】
第29回
悪を転じて徳とする
更新
平成26年1月
「困った時の神だのみ」という
諺
(
ことわざ
)
があります。
そして多くの人びとは、
困難
(
こんなん
)
な問題にぶつかったときに、 神や仏にすがって、
禍
(
わざわい
)
をなくしてもらうのが、 宗教であると考えています。
ですから人びとは、
霊験
(
れいけん
)
あらたかな神さま、 仏さまを求めて
祈願
(
きがん
)
をし、 ご
祈祷
(
きとう
)
をしてもらいにいきます。
しかし、人間は誰れもが、生きる、老いる、病気になる、死ぬという、人生の根本の問題を 避けることはできません。
老いない人はいないし、死を避けることは誰れにもできません。
どんなに神さまにお願いし、おすがりしても、一時的な気休めにはなるかも知れませんが、 根本的には何の解決にもりません。
では、いったい私たちは、「生、老、病、死」という、人生の根本問題に直面したとき、 どうすればよいのでしょうか。
親鸞聖人はこのことについて、 「
名号
(
みょうごう
)
は、
悪
(
あく
)
を
転換
(
てんかん
)
して
徳
(
とく
)
にする
智慧
(
ちえ
)
のはたらき」をもつと、 お教えくださいました。
私たちは、
生身
(
なまみ
)
の体です。
どんな災難に見舞われるか知れません。
病気をわずらったり、大ケガすることもあるでしょうし、死と向きあわねばならないときが 必ずきます。
そのとき、その苦難に耐える力と、のりこえていく智慧を与えてくださるのが、お念仏の み教えです。
親鸞聖人は若いころに、
念仏弾圧
(
ねんぶつだんあつ
)
によって
流罪
(
るざい
)
になるという苦難にあわれました。
また晩年には、お子さまや、奥さまと別れ別れに
暮
(
くら
)
さなければならないというような、 悲しいことや淋しいことにしばしばおあいになりました。
しかし、どのようなときでも、お念仏のみ教えに導かれて、みごとに悲しみを
克服
(
こくふく
)
し、力強く生きていかれました。
悪が転じられるというのは、お念仏をとおして与えられる仏さまの智慧と慈悲が、私のかかえている、 苦しみや悲しみを縁として、かえって私を人の痛みのわかる暖かい心と、どんな苦難にも堪えられる 力強さをもった人間に、育ててくださるということです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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