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法 話
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【 私の如是我聞 】
第26回
南無阿弥陀仏のおいわれ
更新
平成25年10月
蓮如上人は『御文章』のなかで、信心を得るにはどうしたらよいか、ということについて、つぎのようにおっしゃっています。
信心を得るということは、阿弥陀如来さまがお誓い遊ばされた、第十八願のおこころを聞きうけさせていただくことですが、 その第十八願のおこころは、南無阿弥陀仏という六字のみ名のうえにあらわされているから、南無阿弥陀仏のいわれを心得たら よろしいといって、くわしく説明されています。
南無阿弥陀仏とは、インドの言葉の音を写したものですが、
南無
(
なむ
)
とは、
帰命
(
きみょう
)
と
翻訳
(
ほんやく
)
されているように、 如来さまの
勅命
(
ちょくめい
)
(仰せ)に
帰順
(
きじゅん
)
する(したがう)ということで、 仰せにしたがい、おまかせするという信心をあらわしています。
そのように、仰せにしたがい、まかせることを、「たのむ」ともいいますから、南無とは、阿弥陀如来さまを 「たのむ」ことであるとも言われています。
つぎに阿弥陀仏とは、また無量光仏とも無量寿仏ともいわれますように、はかり知れない
智慧
(
ちえ
)
の光と、限りない「いのち」をもって、 すべてのものを救いたもう如来さまという意味の言葉です。
蓮如上人は、それを要約して、「おさめ、たすけ、すくう」というおこころをあらわすみ名であるといわれました。
要するに、「阿弥陀仏」とは、阿弥陀如来さまに依りかかり、たのみ、まかせるものを、この世においては 護りつづけ、いのちが終われば、必ずお浄土へ救いとってくださるという 「
摂取不捨
(
せっしゅふしゃ
)
」のことわりを あらわしています。
こうして、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏という言葉の方からいえば「われをたのめ、必ず救う」という本願の仰せ であり、南無という言葉からいえば、それを疑いをまじえずに聞きうけている私どもの「必ずお救いにあずかると阿弥陀仏をたのむ」 信心をあらわしています。
このように「たのめ、たすける」という南無阿弥陀仏を聞けば、「おたすけをたのむ」信心となってくださることを、 「信心を如来より与えたまふ」と仰せられたのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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