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法 話
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【 私の如是我聞 】
第25回
信心正因のおすすめ
更新
平成25年9月
親鸞聖人のみ教えの一番大切な点は、どのような罪深いものも、阿弥陀如来さまのご本願を信ずれば、 即座にお救いにあずかるという信心正因のいわれを、明らかにしてくださったことです。
本願を信ずるということは、阿弥陀如来さまが
「わたしをたのみ、わたしの名をとなえなさい、 そなたがこの世に生きているかぎりは護りつづけ、いのちが終われば浄土に迎えとって、清らかな さとりの身にしてあげましょう。」
と誓われたみ言葉を、疑いなく聞きいれて、阿弥陀如来さまのおはからいにおまかせすることを いうのです。
そのことを親鸞聖人は
「
信心
(
しんじん
)
は、 如来の
御
(
おん
)
ちかひをききて
疑
(
うたが
)
ふこころのなきなり」
【『一念多念証文』・『注釈版聖典』六七八頁】
また
聖人
(
しょうにん
)
は
信心
(
しんじん
)
を、日本語で「たのむ」と いいあらわしておられます。
信心には、
信頼
(
しんらい
)
とか
信憑
(
しんぴょう
)
という
熟語
(
じゅくご
)
がありますように、
うそ・いつわりのない言葉に対して、「よりかかり」「よりたのみ」「まかせる」という 意味があるからです。
「たのむ」というのは、「たより」にし、「まかせる」ということです。
今日では、「たのむ」を、「
請
(
こ
)
い 願う」という意味で使うことがありますが、親鸞聖人や蓮如上人のころは、「お願いする」という意味で 「たのむ」という言葉を使われたことはありません。
必ず「力としてよりかかり、まかせる」という意味で使われていました。
そこで阿弥陀如来さまの本願に「われをたのめ、必ず救う」と仰せられているのは、そなたの罪も、 さわりも、生も、死も、すべて私にまかせなさい、必ず救ってあげますと仰せられているのです。
そのみ言葉のままに、如来さまにおまかせするとき、即座にお救いにあずかるわけで、親鸞聖人は そのことを
「
信心
(
しんじん
)
定
(
さだ
)
まるとき
往生
(
おうじょう
)
また
定
(
さだ
)
まるなり」と仰せられたのです。
【『親鸞聖人御消息』・『注釈版聖典』七三五頁】
このように、信心一つでお救いにあずかることを
信心
(
しんじん
)
正因
(
しょういん
)
といい、 そのうえでみ名をとなえているのは、「たすけてくださってありがとうございます」と、 お礼を申しあげていることですから、これを
仏恩報謝
(
ぶっとんほうしゃ
)
の 念仏と仰せられたのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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