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法 話
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【 私の如是我聞 】
第24回
「聞く」ということ
更新
平成25年8月
仕事ひと筋に、何十年も歩みつづけ、
立派
(
りっぱ
)
な
業績
(
ぎょうせき
)
を残した人びとがおられます。
たとえば「
人間国宝
(
にんげんこくほう
)
」と よばれる人たちです。
こうした
一芸
(
いちげい
)
にひいでた人たちは、 こぞって「多くの人びとの支えがあったればこそ、なしえたことだ」と、語っておられます。
さらに、その仕事を、ひと筋に歩みつづけることは、その「仕事に聞きつづけていく」ことだともいわれます。
「仕事に聞く」というのはおかしな表現ですが、こういうことです。
たとえば、
陶芸
(
とうげい
)
の道ひと筋に、 生き抜かれたある方は、自分の
窯
(
かま
)
に 合った土を求めて、土をさがす中で、土は生きていると実感したとおっしゃいます。
また、農業ひと筋の人は、稲は生きていると語っておられます。
そして、山へ田へ、土の「声」、稲の「声」を聞きに出かけるのですと、おっしゃっていました。
私が力をつくす中で、それぞれ道をきわめていくと、それまで「私がしてやった」という
自負心
(
じふしん
)
は消え、私に呼びかけてくる、 色々な「いのちの声」を、お聞かせいただいたからこそ、今の私があるのだという、感謝の日々の中で、 さらに新しい境地に入って、仕事をされるというのです。
「聞く」という世界は、「いのちの声」に、「呼びさまされる世界」でもあるのです。
浄土真宗における「聞法」、つまり、阿弥陀如来の法(みのり)を聞くのも同じことです。
お寺などでお説教を聞いても、初めのうちはうわの空でしょう。
しかし、何度も何度も聞かせていただいているうちに、柿の実が、お日さまに照らされてすこしずつ赤く 熟していくように、仏さまのお言葉を、素直に受けいれられるようになっていきます。
初めは難しく、抵抗を感じていた私が、その一言一言に、今までとは違った
響
(
ひびき
)
を感じるようになってきます。
ひたすらお聞かせにあずかる中で、新しい境地が開けてくるのが仏法なのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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