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法 話
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【 私の如是我聞 】
第23回
お念仏のこころ
更新
平成25年7月
赤ちゃんを抱いているお母さんの姿をみていますと、母も子も、本当にしあわせそうですね。
お母さんは、抱いた子に、絶えず語りかけながら、お乳をのませています。赤ちゃんもお母さんの 胸に抱かれて、安らかにお乳をのんでいます。
このような
愛情
(
あいじょう
)
に育まれて、 人は身も心も育っていくのです。だからうれしいにつけ、悲しいにつけ、両親や私を育ててくれた人のこと、 中でも母の愛情をなつかしく思い出すのです。
ときには「お母さん」と、母の名を呼びながら、人生の苦難を越えていくこともあります。
このような愛情にはぐくまれてきたことのありがたさを、ほんとうに知るのは、自分が親となり、親としての 苦労を味わったときでしょう。
私の親も、このように苦労をして、私を育ててくれたのかと、その御恩のありがたさに、自然と頭が下がる 思いがします。
若いときには、自分の力で大きくなった、自分で道をきりひらいてきたと思いがちです。
しかし年をかさねるにつれて、そうじゃなかった、両親をはじめ、多くの人びとのおかげであったと、 気づいてまいります。
おもえば私は、ものごころもつかぬうちから、「お母さんだよ、お母さんだよ」という、やさしい言葉の中で、 育ってきました。
ですから、なにかことがあればつい、「お母さん」と母の名を呼びます。
自分で気づくより先に、「お母さん」と 思わず声にします。
七高僧
(
しちこうそう
)
の一人、
源信僧都
(
げんしんそうず
)
は、 仏さまをおがむときには、「この上もなく大きなお慈悲のお母さん (
極大慈悲母
(
ごくだいじひも
)
)」といわれたそうです。
仏さまは、私が気づくより前から、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」「そなたのお母さんだよ、お母さんだよ」と 声をかけ、護りつづけていてくださるのです。
私どもは、そうした仏さまのお育てをうけて、子供が、「お母さん」と呼ぶように、 お念仏する身にしていただきました。
親鸞聖人も「
浄土和讃
(
じょうどわさん
)
」のなかに、
「
子
(
こ
)
の
母
(
はは
)
をおもふがごとくにて
衆生仏
(
しゅじょうぶつ
)
を
憶
(
おく
)
すれば
現前当来
(
げんぜんとうらい
)
とほからず
如来
(
にょらい
)
を
拝見
(
はいけん
)
うたがはず」
(『注釈版聖典』577頁)
と、お念仏のこころをうたわれています。
母の名を呼べば、母の
面影
(
おもかげ
)
が 心によみがえるように、念仏する人の心は如来さまの
慈愛
(
じあい
)
で満たされていきます。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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