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法 話
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【 私の如是我聞 】
第22回
恵まれた念仏
更新
平成25年6月
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
は、二十九歳のとき、 それまで二十年間修業された
比叡山
(
ひえいざん
)
を降りて、京都の
六角堂
(
ろっかくどう
)
に
百ケ日
(
ひゃっかにち
)
のあいだこもられました。
そして、夢のお
告
(
つ
)
げを得て、東山
吉水
(
よしみず
)
の
草案
(
そうあん
)
を訪ね、
法然上人
(
ほうねんしょうにん
)
にであい、 まことの道をおたずねになったといわれています。
それは、
「お釈迦さまは、たくさんのみ教えを説かれましたが、私のような愚かなものは、どの教えを よりどころとすれば、よいのでしょうか」と、自分自身の「いのち」の依りどころをたずねる問いかけでした。
それに対する法然上人のお答えは、
「善人も悪人も、平等に救ってくださる阿弥陀如来さまの本願を 信じて、み仏の仰せのままに念仏申すことです」という一言だったといわれています。
お念仏はたしかに私の口から流れでています。
しかし、それは決して私の
煩悩
(
ぼんのう
)
のこころから出たものではありません。
「お願いだから私の名をとなえておくれ、必ず浄土へ生まれさせる」と誓われた阿弥陀さまの、お慈悲の本願から 出てきたものです。
ちょうど水道の
蛇口
(
じゃぐち
)
から出る水は、遠く
水源地
(
すいげんち
)
から水道管をつたってとどけられるように、 お念仏は阿弥陀さまの願い(本願)から出て、お釈迦さまや祖師がたのみ教えをとおして、私のところまでとどいてくださった、 み仏の願いの
結晶
(
けっしょう
)
なのです。 それゆえ本願の念仏というのです。
浄土真宗の中で、とくに信仰の深い人を 「
妙好人
(
みょうこうにん
)
」と呼びますが、 その妙好人の一人、
石見
(
いわみ
)
(今の島根県)の
善太郎
(
ぜんたろう
)
さんは、お寺の
梵鐘
(
ぼんしょう
)
がなると、田畑で仕事をしていても 「はいはい、これからお参りさせていただきます。」と返事をされたそうです。
善太郎さんにとっては、見るもの聞くもの、一つひとつのできごとが、み仏や親鸞聖人からの、お念仏のおすすめであったのです。
思えば阿弥陀さまをはじめ、あらゆる仏さまや祖師がたにとりまかれ、お念仏のおすすめのまん中に、今、 私は、あるのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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