法 話
私の如是我聞
聴聞の心得
一、このたびのこのご
縁
(
えん
)
は、
初事
(
はつごと
)
と思うべし
一、このたびのこのご
縁
(
えん
)
は、
我一人
(
われいちにん
)
の為と思うべし
一、このたびのこのご
縁
(
えん
)
は、
今生最後
(
こんじょうさいご
)
と思うべし
第2回
「いのち」の尊さ
更新
平成23年10月
お釈迦さまは、お生まれになってすぐ七歩あるき、 「
天上天下唯我独尊
(
てんじょうてんげゆいがどくそん
)
」 と宣言されたと伝えられています。 この
唯我独尊
(
ゆいがどくそん
)
、 「ただわれ
独
(
ひと
)
り
尊
(
とうと
)
し」 というのは、決して思いあがった、
不遜
(
ふそん
)
な態度でおっしゃった言葉ではありません。私たち一人ひとりが、かけがえのない尊い 「いのち」をもっているということを、宣言されたのです。 お釈迦さまもまた、そのような「いのち」をもって生まれたということを、 明らかにされたのでした。 私の「いのち」、私の人生は、私しか生きられません。たとえ父母・兄弟・夫婦であっても、 だれも代わることができない「いのち」です。私たちは、この事実に気づき、「いのち」の ほんとうの尊さに、めざめていかなければなりません。 私たちはそれぞれが違います。姿や形、能力にも違いがあります。しかし、だれもが、 それぞれかけがえのない「いのち」を生きていることにおいては全く平等です。たとい能力や知識において 違いがあったとしても、決して
傲慢
(
ごうまん
)
になったり、
卑屈
(
ひくつ
)
になったりしてはいけません。 仏さまの眼は、その「いのち」の平等を見ておられます。ですから、 だれひとりとして捨てておくことができないのです。すべてのものを、 「いのち」の尊さにめざめさせたいのです。 仏さまの願いは、その一人ひとりを、もらさず平等に救いとることです。 親鸞聖人は 「
弥陀五劫思惟
(
みだごこうしゆい
)
の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞
一人
(
いちにん
)
がためなりけり」(『歎異抄』『註釈版聖典』八五三頁)と、そのおこころをいただかれました。 だれも代わることができない、代わってもらうことができない、この私の「いのち」を、 ほんとうに尊い「いのち」として生かすこと、それは仏さまの智慧をいただいて生きる、 お念仏の生活において、はじめて実現するのです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
須彌壇と宮殿
四季折々の花で、一時を
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