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法 話
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【 私の如是我聞 】
第18回
仏さまのこころ
更新
平成25年2月
『
仏説観無量寿経
(
ぶっせつかんむりょうじゅきょう
)
』の中で、
お釈迦さまは、『
仏心
(
ぶっしん
)
とは
大慈悲
(
だいじひ
)
これなり。
無縁
(
むえん
)
の
慈
(
じ
)
を もってもろもろの
衆生
(
しゅじょう
)
を
摂
(
せ
)
っす。」(『注釈版聖典』102頁) といわれています。
仏
(
ほとけ
)
さまのおこころを 一口でいえば、「大慈悲」です。慈悲の「慈」とは、人にまことのしあわせをあたえようとする心、 「悲」とは、人々の悲しみや悩みを取り除こうとする心であるといわれています。
そのためには、まず自分自身に対してと同じように、心から、他の人の気持ちが、 わからなければなりません。ですから、慈悲は「人の悲しみをわが悲しみとし、 人のよろこびをわがよろこびとする」心だといわれるのです。
このような慈悲のこころを、人間はなかなか持つことができません。 わたしたちにはいつも、自分に都合がいいようにという、自己中心のこころが、はたらいているからです。 ただ、母親のわが子に対する気持ちは特別です。自分のことは忘れて、わが子のしあわせを思います。 しかし、その心も、残念ながら、他人の子供までには及びません。
このような、限りある人間の慈悲に対して、仏さまの慈悲は、あらゆる人びとに対し、 差別なくかけられる、限りのない慈しみのこころです。
その「大慈悲心」から、仏さまは、私たちが早く迷いの現実に気づき、
真実
(
まこと
)
の世界にめざめてゆくことを、 願いつづけておられるのです。しかも、そのこころは、たとえば、幾人の子供があったとしても、 母親の思いは、子供たちみんなにかけられているように、私たち一人ひとりに、わけへだてなく 向けられているといわれています。
親鸞聖人は、そのような仏さまの深い親心に気づかれたのでした。阿弥陀様は、このような 愚かな私ひとりを救うために、大悲の本願をおたてくださったのだと味わい、 「ひとへに
親鸞一人
(
しんらんいちにん
)
がためなりけり」 (『嘆異抄』・『注釈版聖典』853頁)と
仰
(
おお
)
せられたのでした。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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