☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第16回 聴聞のすすめ 更新 平成24年12月

仏教や浄土真宗に対して、間違った考えをもっている方がたくさんおられます。
たとえば、仏教などは病気をしたり年を取って、気の弱くなった人がすがる教えであって、
「私は、まだお寺参りするほど、年をとっていません」
とおっしゃる方がいます。
また中には
「宗教というものは、人間の理性をマヒさせる 阿片あへんのようなものである。 理性的に生きていこうとする人間にとって、宗教なんか必要ではありません」
とおっしゃる方もいます。
しかし、そんな方でも、ながい人生の歩みの中で、子供に先立たれるとか、信頼していた人に裏切られたり、 事業に失敗するとか、 深刻しんこくな出来事が、 なんの予告もなしに突然やってきて、今までの自信がくずれると、ほんとうに自分の人生を支えてくれるような 宗教を求めるようになります。
浄土真宗の教えは、私どもに、心豊かに生きる道を与え、安心して死ぬことができる道を教えてくれるものです。
つらく苦しいことであっても、その事実をしっかりと見つめながら、力強く生きぬいていく智慧と力とを あたえてくれるものこそ、お念仏の教えです。
蓮如上人御一代記聞書れんにょしょうにんごいちだいきききがき』 (第155条)で、
仏法ぶっぽうには 世間せけんのひまを きてきくべし。
世間せけんひまをあけて ほうをきくべきやうに おもふこと、
あさましきことなり。
仏法ぶっぽうには 明日あすといふことは あるまじきよしのおおせに そうろふ。」
(『注釈版聖典』1280頁)
といわれています。
ひまがあったら聞こうというような心がけの人には、仏法は聞けない、時間を つくって聞くようにせよ
と仰せられているのです。
自分はもちろん、夫や妻や、子や孫も明日があるかどうか 保障ほしょうのない 「いのち」をかかえているのです。
その「いのち」の意味を問うのに、明日の日はないはずだといわれているのです。
まことに厳しいおさとしです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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