☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第13回 「老いの中で」 更新 平成24年9月

 今、「老い」の生き方が問われています。
お釈迦さまは、「老いること」を、 しょうびょう とともに、人生の 根本苦こんぽんく である、 四苦しく の一つとしてお説きになっています。
眼は視力もおち、頭は鈍くなり、気力のおとろえを感じるようになったとき、 なるほどそうだなと、このきびしい現実を認めざるをえません。
社会的にもだんだん周囲からうとんじられ、ときには、ののしられることも多くなってくるでしょう。
しかし、顔にしわがよっても、こころにしわがよらないように。
身はこわばっても、こころは 頑固がんこにならないように。
肉体は老いても、こころは若くありたいものです。
私の人生は、二度とやり直しがききません。
今日きょうは、 たった一度限りの、 「今日きょう」です。
さまざまなご縁によって、生かされている 「今日きょう」です。
明治の中ごろ、西本願寺の大谷家にお生れになり、社会事業にたずさわり、 仏教婦人会活動に積極的に取り組まれた、 歌人かじん九条 武子くじょう たけこさまは、
「見ずや君、 明日あすりなん 花だにも 力のかぎり ひと時を咲く」と、よまれています。
老いるとも、きょうという日は、まだ歩んだことのない元日です。
大切に味わい、大切に生きていかねばなりません。
たとい世間からは、うとんじられるようになっても、私を 見護みまもっていてくださる 仏さまがおられます。
さびしい私、ひとりぼっちの私に、その一人ひとりに声をかけて下さるのです。
仏さまの願いに生かされているということが、年とって見えてきた、 おみのりが ほんとうに聞こえてきたと、おっしゃった方がいました。
生をうけた、本当のよろこびを味わうことができたと、 しみじみとよろこばせていただこうではありませんか。
人として生まれたことは、まことにありがたいことです。
人として生まれた悲しみを、人として生まれたありがたさに変えてくださった仏さまの不思議なお力に、感謝したいものです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。




今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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