☆☆ 法 話 ☆☆
【 私の如是我聞 】
第12回 |
「驕慢のいましめ」 |
更新 |
平成24年8月 |
私たちは、自分が他の人よりも少しでも、高い存在でありたいと思っています。
高い存在というのは、たとえば社会的に
立派な人間になりたい、人びとのお役に立つために自分の能力を高めたいということであれば、人間や社会の向上につながる
ことですから、おおいに
奨励すべきことでしょう。
しかし、自分を高めたいという気持ちは、すぐに、自分は他の人より、
優れているのだという気持ちに変わってしまいます。
仏教でいう「驕慢」つまり、おごり、たかぶるこころです。
ですから自分は「高い」のだと思い込んでいる気持ちを否定されると、
私たちのこころは、すぐに怒りへと変わります。
私たちには、ともすれば、自分の知識や考えのみが正しいと思い、他の違った考えを、
排除しようとするこころがあります。
しかし、私が正しく知っていると思っていることは、ほとんどの場合、自己中心のこころで、ゆがめられていることが多いのです。
なぜかといいますと、私はよくわかっているという、おごりのこころが、正しい意見、他人の考えに耳を傾けることを、
さまたげるからです。
この「驕慢のこころ」は、
私が他のすべてのものによって、生かされているという、恩を知る心と、他の意見を聞き、自分を反省する眼を失わせます。
情報化社会といわれる中で、現代の人びとは、多くのことを学び知っています。
しかし、多くのことを知っているがゆえに、かえって、自分自身のことが見えなくなっているのではないでしょうか。
素直に、仏さまの教えに、耳を傾けましょう。
仏さまの智慧の光に照らされ、自分を見直してみましょう。
人と比べて、
優れているといえるうな私ではなく、
むしろみずからを高しとするおごりのために、
真実を聞く耳をふさがれている、愚かで恥しい私だということを知らされます。
真実とは何か、このような私に何ができるのか、仏さまの教えに耳を傾け、
謙虚に
聞かせて頂きたいと思います。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で
ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、
合掌礼拝して終了します。
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