法 話 私の如是我聞
聴聞の心得 一、このたびのこのごえん は、初事はつごとと思うべし
一、このたびのこのごえん は、我一人われいちにんの為と思うべし
一、このたびのこのごえん は、今生最後こんじょうさいごと思うべし

第一回 ほんとうの宗教とは 更新平成23年9月

 世界には、いろいろな宗教があります。宗教というものは、一人ひとりの人生に、意味と方向を与えるものです。それだけに間違ったら大変なことになります。 道をあやまらせる、間違った教えもたくさんあります。 浄土真宗じょうどしんしゅう宗祖しゅうそ親鸞聖人しんらんしょうにんは、宗教にしん 、つまり、ほんものと、仮(かり)のものと、にせものが あると分類し、まことの宗教は、浄土真宗であるとお示しになりました。
 かりの宗教とは、人々を真実に引き入れるための、教育手段 として設定された教えのことです。宗教なら、どれも同じところを目指すものだ、という人がありますが、そうではありません。 人間の欲望を満たすために、お金がもうかるとか、病気を治すとか、この世での利益を得る手段として信仰を説く宗教があります。 また、神の正義のためにという名のもとに、人間の「いのち」も、しあわせも犠牲にすることを要求するような宗教もあります。 これは偽(にせ)の宗教です。
 我欲がよくを助長したり、ばつを 与えるといって、恐怖におとしいれるようなものは、決して真実の宗教とはいえません。宗教の名のもとに家庭を破壊し、 世界を争いに巻き込むことさえあるのです。
 親鸞聖人は、我欲を中心とした、閉ざされた心をひらかせ、私たちすべてのものを「仏」にすることのできる、 お念仏の、み教えこそ、ほんとうの宗教であるとお示しくださいました。「仏」とは、「真実にめざめたもの」という 意味の言葉です。私たちがみずからの心の迷いに気づき、我欲をたち切って、真実の世界に生きるようになることを 仏になるといいます。
 ただ目前の欲望を追い求め、自分のことしか考えない狭い心からぬけ出して、真実を見る眼をひらくとともに、 自分以外の人々の、まことのしあわせを願うような人になることです。
 親鸞聖人が歩まれ、示されたお念仏の道は、そうした仏になる道でした。私どもは、このお念仏の道をたゆみなく、 歩ませていただきたいものです。
 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。


※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


須彌壇と宮殿 四季折々の花で、一時を
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