法 話 私の如是我聞
聴聞の心得 |
一、このたびのこのご縁
は、初事と思うべし
一、このたびのこのご縁
は、我一人の為と思うべし
一、このたびのこのご縁
は、今生最後と思うべし |
世界には、いろいろな宗教があります。宗教というものは、一人ひとりの人生に、意味と方向を与えるものです。それだけに間違ったら大変なことになります。
道をあやまらせる、間違った教えもたくさんあります。
浄土真宗の
宗祖・
親鸞聖人は、宗教に
真と
仮と
偽
、つまり、ほんものと、仮(かり)のものと、にせものが
あると分類し、まことの宗教は、浄土真宗であるとお示しになりました。
仮の宗教とは、人々を真実に引き入れるための、教育手段
として設定された教えのことです。宗教なら、どれも同じところを目指すものだ、という人がありますが、そうではありません。
人間の欲望を満たすために、お金がもうかるとか、病気を治すとか、この世での利益を得る手段として信仰を説く宗教があります。
また、神の正義のためにという名のもとに、人間の「いのち」も、しあわせも犠牲にすることを要求するような宗教もあります。
これは偽(にせ)の宗教です。
我欲を助長したり、
罰を
与えるといって、恐怖におとしいれるようなものは、決して真実の宗教とはいえません。宗教の名のもとに家庭を破壊し、
世界を争いに巻き込むことさえあるのです。
親鸞聖人は、我欲を中心とした、閉ざされた心をひらかせ、私たちすべてのものを「仏」にすることのできる、
お念仏の、み教えこそ、ほんとうの宗教であるとお示しくださいました。「仏」とは、「真実にめざめたもの」という
意味の言葉です。私たちがみずからの心の迷いに気づき、我欲をたち切って、真実の世界に生きるようになることを
仏になるといいます。
ただ目前の欲望を追い求め、自分のことしか考えない狭い心からぬけ出して、真実を見る眼をひらくとともに、
自分以外の人々の、まことのしあわせを願うような人になることです。
親鸞聖人が歩まれ、示されたお念仏の道は、そうした仏になる道でした。私どもは、このお念仏の道をたゆみなく、
歩ませていただきたいものです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で
ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、
合掌礼拝して終了します。
須彌壇と宮殿 |
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