《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第31回 念仏者の生活【二】 更新 平成26年3月

(偈文) 
等覚とうがく大涅槃だいねはんしょうすることは、
必至滅度ひっしめつどがん (第十一願) 成就じょうじゅなり。
         (第二十九話〜三十一話)

 ご信心しんじんをいただいても、 煩悩ぼんのうにみちみちた私であることにはかわりありません。
しかし、自らの生活を謙虚にふりかえって、人間として正しく生きていこうと努力する姿勢に おのずからかわっていくのが念仏者の姿です。
 ところが私たちは、「どうせ凡夫だから」とか、「しょせん、人間のすることだから」と、少しの自省心ももたない、 横着な態度になりがちです。
  ご信心しんじんをいただいて、お浄土に生れる身になると、 人間の本性までかえることはできませんが、自らの心、自らの行動をふりかえって、生き方を見直してゆく姿勢、つまり、 自らを律するきびしさが生まれてきます。
お念仏のみ教えを聴聞する人は、自らの心や行いをみ教えに問いただして、他人が見ていなくても恥ずべき行為を つつしむようになります。
もしも恥ずべき行為をしたときには、自らをふりかえって反省し、二度と同じあやまちを繰り返さないように努力していく、 それが念仏者の姿です。
そのようになるのも、まったく 阿弥陀如来あみだによらいのお力によるものです。
 聴聞する心がおこったのも、自分の生活をふりかるようになったのも、ひとえに 阿弥陀如来あみだにょらいの お育てによるものと、よろこびの中にこの人生を歩んでゆけるようになります。
現実と未来の生活の充実を確信して生きる人生、それが念仏者の生き方です。


(話題)
凡夫ぼんぶということについて 話し合ってください。


※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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