《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
阿弥陀如来の
光明は物理的な光線ではありません。
お念仏を称えるようになりました。
阿弥陀如来の
智慧と
慈悲のはたらきを光にたとえられたのです。
私達の心にとどいてくださる
阿弥陀如来の
智慧と
慈悲のはたらきを
光明といいます。
その光明は、すべての人びとにそそがれています。
生きとし生きるすべてのものが、光明に照らされています。
『仏説観無量寿経』に
光明はひろくすべての
世界を
照らして、
仏を
念じる
人々を
残らずその
中に
摂め
取り、お捨てになることがないのである。
(『浄土三部経』現代語訳 184頁)
と述べられています。
もうすでにお念仏のご縁をいただいているものも、まだまったくお念仏に関係のない人も、
みな、阿弥陀如来の
光明はあらゆる人びとを照らして
くださいますが、しかし、それがただちに救われていることにはなりません。
本願を信じ、念仏を申す身に
育てられてこそ、救われた人と言えるのです。
そして救われる身になったときに、
阿弥陀如来のお育てがあったのだと
気づかされるのです。
お念仏にご縁のなかった私を、お念仏をよろこぶところまでお育てくださった
阿弥陀如来の大きな力を、
ほんとうに喜べるようにならなければなりません。
(話題)
お念仏のご縁にあうことのできた自分をふりかえってみましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
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