《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第23回 |
み光をうけて(二) |
更新 |
平成25年7月 |
手を合わしたことのなかった私が手を合わせるようになりました。
お念仏を称えたことのなかっ私が
お念仏を称えるようになりました。
聴聞をしたことのなかった私が
聴聞するようになりました。
さまざまな疑問もありましたが、聞法を
重ねているうちに、疑問も一つ一つとけて、
罪業深重のこの私を
お救いくださる阿弥陀如来であることが
すなおに受け取れるようになってきました。
阿弥陀如来の
光明によってお育てをいだき、
阿弥陀如来のお救いを信ずる私に
かえてくださるのです。
これもまた光明の
おはたらきです。
そして、その後もつづけて
聴聞させていただいて、
仏法の味わいが深まってまいりますと、
阿弥陀如来に救われ、
そして、護られて一日一日を
阿弥陀如来のおかげで
生かされている私という、大きな喜びをもって生きていくようになります。
これを
「照護の光明」
と申します。
迷いの世界にそまよっているこの私を、救いたい、めざめさせてやりたいと、いろいろな力となり、
すがたとなって私をはぐくんでくださる。
そしてお浄土に生れる私に育てあげてくださる、そんなすばらしい
阿弥陀如来のおはたらきに
気づかされてみると、この世に生をうけて、いまここに生きていることのよろこびをしみじみ感じないでは
いられません。
「お念仏のみ教えにあえてよかった」、このひとことにつきます。
(話題)
照護の光明
について話し合いましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
|
今生最後と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
我一人の為と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
初事と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
聴聞の心得 |
トップページへ
聖典講座に戻る
書庫をみる