《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
不断光は、
たえず照らしつづけてくださる光ということです。
たとえ私が忘れているときでも、
阿弥陀如来は
忘れてはおられません。
私が寝ていても、そのときもたえず照らしつづけてくださいます。
ずっと昔から、いつでも、どこでも、誰れにでもそそがれている光です。
難思光は、
人間では思いはかることのできない
光明という意味で、
私たち凡夫が
罪悪をもったままで浄土に往生させてくださるはたらきです。
無称光は、
言葉でほめてもほめつくすことのできない
光明という意味で、
私たち
凡夫を浄土に
往生させると同時に、仏にしてくださるというはたらきをもっています。
超日月光は、
阿弥陀如来の
光明は、
太陽や月の光よりもはるかにすぐていることを、
譬えで示してくださったものです。
私たち人間は、太陽や月の光をすぐれたものと思っています。
しかし、これらは、物体にさえぎられたらその光が届かない場合があります。
また太陽や月の光は地上を明るくすることはできますが、
無明煩悩の
心の闇をなくすることができません。
阿弥陀如来の
光明のはたらきは、
私たちがすぐれていると思っている太陽や月の光よりも、はるかに偉大で、あらゆるところを
照らす光であることを示されたのです。
(話題)
不断光、
難思光、
無称光、
超日月光
について話し合いましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
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