《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
次には、
無碍光です。
無碍光から
無称光までの九つの
光明も、
私たちをお救いくださる
阿弥陀如来の
はたらきをあらわされたもので、中でもこの
無碍光は、そのはたらきの全部を
統括した、全体の徳をあらわされたのです。
無碍とは、なにものにもさまたげられない、
邪魔されないというこどす。
光明のさまたげになるものには
二つ考えられます。
一つは山や壁などのような物質的な妨害です。
もう一つは、
悪業煩悩という
精神的なさまたげです。
前のさまたげを「外のさわり」といい、後のさまたげを「内のさわり」と言っています。
阿弥陀如来の
光明は、
山や壁などにもさまたげられませんし、
悪業煩悩にも
さまたげられることはありません。
悪業煩悩に
さまたげられないということは、いかなる
悪業煩悩を
もつ人をも救ってくださることをあらわしています。
このように、外のさわりにも、内のさわりにもさまたげられませんから、
阿弥陀如来の
光明を、
無碍光といい、
阿弥陀如来のことを
無碍光如来ともいいます。
無対光は、
阿弥陀如来の
光明は、
他の仏の光明に比べたら、
比較にならないほどすぐれていることをあらわしています。
また、いかなる
悪業煩悩も、
この光明に対抗することができない
すぐれた光明
であることをあらわしています。
このことを蓮如上人は
「たとい罪業は
深重なりとも、
かならず弥陀如来はすくいましますべし」
(御文章五-一)
と仰せになりました。
(話題)
無碍光、
無対光について話し合いましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈」の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
|
今生最後と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
我一人の為と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
初事と思うべし |
一このたびのこのご縁は |
聴聞の心得 |
トップページへ
聖典講座に戻る
書庫をみる