《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第11回 不可思議光如来 更新 平成24年7月

 不可思議光ふかしぎこうは、 不可思議光如来ふかしぎこうによらいのことです。 不可思議ふかしぎとは思いはかることができないという意味ですから、 不可思議光如来ふかしぎこうにょいは、思いはかることのできない 光明こうみょう如来にょらい のことです。寿命無量じゅみょうむりょうに対してこれを 光明無量こうみょうむりょうと言っています。 光明こうみょうとは、阿弥陀如来あみだによらい のさとりの智慧ちえをあらわします。 このさとりの智慧ちえは、迷いの世界をくまなく照らして、 衆生しゅじょう悪業煩悩あくごうぼんのう をことごとく破ってくださいます。寿命無量じゅみょうむりょうが、 過去、現在、未来の三世をつらぬく永遠のいのちをもつ仏さまであり、いつの時代の衆生しゅじょう をもお救いくださる時間的に無限のはたらきをもつ如来にょらい であることをあらわすのに対し、光明無量こうみょうむりょうは、 どこにいる衆生しゅじょうをも必ずお救いくださるという、 空間的に無限のはたらきをもった如来にょらいであることをあらわしています。 ですから、阿弥陀如来あみだによらいは、いつでも、どこでも、誰でもきっと お救いくださる仏さまです。
仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう」には、 阿弥陀如来あみだによらいについて、

舎利仏しゃりほつよ、そなたはどう思うか。なぜその仏を 阿弥陀あみだもう しあげるのだろうか。
舎利仏しゃりほつよ、 そのほとけ光明こうみょう にはかぎりがなく、すべての 国々くにぐにてら してなにものにもさまたげられることがない。 それで阿弥陀あみだもう しあげるのである。
また、
舎利仏しゃりほつよ、 その仏の寿命じゅみょう とそのくに人々ひとびと寿命じゅみょう もともにかぎりがなく、 じつに はかり知れないほどながい。それで、 阿弥陀あみだもうしあげるのである。      
                  (『浄土三部経』現代語訳二二一頁)
と記されています。

 
(話題)
 「仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう」を読んで、感じたことを 話し合いましょう。


※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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