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「永代経法要(安穏法座)」
『永代経法要(安穏法座)』について 
『永代経法要(安穏法座)』が、令和1年2019年10月15日【火】昼席・夜席〜16日【水】昼席、光西寺にて、行われました。

講師 三明 慶輝【島根県 瑞泉寺】より、尊いみ教えを聞かせて頂きました。有難うございました。合掌


「皆様には、ようこそお参り下さいました。有り難うございました。
 他の寺のご門徒の方にも、ようこそ、お参り下さいまして、有難うございました。
 皆様の熱心な御聴聞の姿に感銘受けました。
 御講師様には、尊い仏縁を頂きまして、有り難うございました。称名」

『報告会』が、2019年令和1年10月5日(土)14:00〜15:00、光西寺・本堂にて、行われました。
この度、不思議なご縁で、9月、光西寺副住職の長上 朋史(おさがみ ともふみ)が、 長上 真希(おさがみ まき)さんと入籍(結婚)しました。
山木靖雄総代長の配慮により、役員の皆様に、入籍(結婚)のご報告させて頂きました。
ご多用なところ、ご参加頂き、有難うございました。深く感謝申し上げます。
結婚式などは、来年に予定しております。
これから、皆様とも親しくさせて頂きたく願っております。
どうぞよろしくお願いいたします。称名

☆☆仏様の教え☆☆ 【文責 住職】

*ある小学校4年生は、なんでも「当たり前」と言っていた。 少し生意気盛りの年頃ですかね。
その小学生は、口癖の如くに「当たり前」「当たり前」と言っていたそうです。
 「食事を作るのも、それはお母さんの仕事でしょ。それは当たり前。掃除をするのも、洗濯をするもの当たり前」
 「当たり前」が口癖だったんです。
 そういう子に対して、母親の方が「あなたは、事あるごとに、『当たり前』『当たり前』と言っているけれど、 あなたは『当たり前』の反対のことを知っているの?」と尋ねた。
 『当たり前』の反対の言葉は、『お陰様』ですね。反対の意味合いということですよね。
 私達はどうでしょうか?ことある子度に『当たり前』ではないでしょうか?
 「私が』『私が』と『自己中心』の生活ではないでしょうか?
 今頃は『お寺の掲示板』というものが注目されているそうです。何気なく見ているのですね。
 昨年度の、お寺の伝道掲示板大賞は、『お前も死ぬぞ』という言葉だったそうです。
 これはインパクトがあります。
 「当たり前 いつの間にやら お陰様」こんなお寺の伝道掲示板の言葉がありました。
 当たり前だと思っていたことが、こうして仏法を聴聞させて頂くことによって、日々の生活を振り返って、己れの生きざまを振り返ってみますと、 当然ではなかった、当たり前ではなかった、お陰様だった。
 この私は、ようこそ 、生かされているわが命であった。実感されたのでしょうね。「当たり前 いつの間にやら お陰様」
 私達が、こうして、仏法のお聴聞の場に出して頂くということは、「経は鏡なり」という言葉のようにね「教えは鏡」なんです。
 皆さんどうでしょうか?世間のこと、外のことは良く分かります。気になるお互いではないですか?
 「あの家には、あんなことがある。」等々、世間の事、外のことはよく目につきます。気にもなります。
  自分のことは、己の生きざまというものは、中々振り返ることが出来ないお互いではないでしょうか?
 落語にも「隣の家は正月にになるのに障子くらい張り替えたらいいのになあー、と自分の家の障子の節穴から診ていた。」という話があります。
 だからこそ、仏法を聴聞させて頂いてね『法の鏡』に照らされていくことが大切ではないでしょうか。
 温泉津には妙好人の浅原才一さんが出られたところです。
「かぜをひいたら せきが出る 才一がご法義のかぜをひいた 念仏のせきが出る出てる」というご法義、教えの味わいの歌があります。
 ご法義のかぜをひいた 浅原才一さんの口から、すつとはなしに、「なんまんだふ【南無阿弥陀仏】」という念仏が出るようになったのです。
 だから皆さんも、「称名念仏」ですよ。声に出してお念仏を称えましょう。なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
 『み仏の み名をとなえる わが声は わが声ながら 尊かりける」【甲斐 和里子】
 この私の口から出るお念仏、私の声には違いないけれど、私を呼んで下さる親様、如来さまの尊いお呼び声だ。
 どうか皆さん方、共に手を合わし、称名念仏の生活をしていただけたらなあと思います。
 「浅ましの わが心 南無の鏡で 見りゃ わかる  有難の 親の心を見る鏡 弥陀の鏡で 見りゃ わかる」
 共々に、心静かに、 手を合わし、己れの生きざま、日々の有り様を振り返りつつ、この私に かけられた 親の願いですよ。         
親の願い、仏の願いというものを深く受けとめさせて頂ければと思うことです。
 そうしますと、この私はねいつでも『ようこそ ようこそ お陰様』と、活かされている我が身でありますことを、 少しづづでも気づかせて頂ければと思います。
 まさしく浄土真宗の念仏者は「おかげさま と生かされ ありがとう と生き抜く」道であります。
 先の戦争で東京裁判で、B級戦犯として、処刑された方の中に、島根県出身の福原勲という大尉がおられました。
 刑務所で、花山先生から頂いた仏教書に目を通し、与えられた仕事は率先してやり、いつも体を鍛え、一日一日生きながらえる日々を、大変喜ばれたそうです。
 「私は今お念仏をよりどころに、力強く明るく生き抜いております。どうか、この真実のみ教えを、残す妻や幼い子供たちに伝えて頂きたい。」と、 面会に来られた父さんに、切々と語られたそうです。
そして30歳という若さで、亡くなられた方であります。
巣鴨の刑務所の壁に、「おかげさま 今日も一日生かされた ああもったいない ありがたい 南無阿弥陀仏」と書き残されたことであります。
 刑務所の中庭を歩いた時に、側に居たスコット大尉に、一言お礼を言われたそうです。拘置所と言えば舌もコンクリートですよ。
「再び 大地を踏ませて頂き ありがとうございました。」とお礼を申して、亡くなられたそうです。
 私達は、「当たり前」当然という思いで一日一日の日暮をしているのではないでしょうか。反省せずにはおれないです。
 「仏法には 明日という日は あるまじき 仰せに候」【蓮如上人】と教えられています。
 明日の命が分からないお互いでありますよ。だから「今日一日」「今日一日」めぐまれた日々というものを大切に歩ませて頂きたいと思います。
 「おかげさま 今日も 一日 生かされた ああもったいない ありがたい 南無阿弥陀仏」
 人間は夜 床に就く時に「こんちくしょう」と思って寝ると、朝目覚めた時も「こんちくしょうむという思いで起きるそうですよ。
 死の縁は無量です。だからこそねえ、「ようこそ ようこそ おかげさま」 そんな思いでいたいと思います。
 「おかげさま 今日も一日生かされた ああもったいない ありがたい 南無阿弥陀仏」こういう日が一日でも多くありたいです。
 私もまだまだ行きたいです。しかし明日の命はわかりませんからねえ、あんまりつまらんことに腹立てずに、過ごしたいなあと思います。
 今日一日 私たちの人生は「二度とない 一度きり」です。ようこそ ようこそ おかげさま
 私達は親様・仏様の願いの中にあります。日々、仏恩報謝、報恩感謝のお念仏を確かめ合う日尊いご縁とさせて頂ければと思うことであります。
 浅原才一さんの歌にこのような歌があります。私自身、一番胸に響く歌です。
 「腹を立てるな 腹を立てると 親を泣かす それでは法が 広まらぬ 」
 腹を立てるなよ、肚を立てるようでは親様、如来さまを苦しめていく。そんなことでは御法義・み教えの繁盛の妨げになる。どうでしょうか?
 そう言いながら、些細なことにも腹立てがちなお互いではないでしょうかね。些細なことはねやはり辛抱しましょうや。
 何でも怒ってはいけないですよ。これくらいのことは堪忍袋の中に入れましょう。
 しかし、堪忍袋も袋ですからね、一杯詰め込んだら、破れるんです。キレルんです。キレたら大変なことになりますからね。
 少しは小出しにしなければいけない。
 そういうことが、私達はお聴聞の場で恵まれて来るんです。浅原才一さんは歌っておられます。
 「腹が立ったら 念仏申せ 仏もぶつぶつ なもあみだぶつ 腹が立ったら 念仏申せ 仏も心で なもあみだぶつ」
 腹が立ったら、腹が立った そのまんま 如来さまの前に身を置いて、その やるせない思いを、憤りを親様、如来さまに聞いてもらうことが出来るんです。
 気持ちを誰かに伝えると言う事は、やはり少し落ち着いてくるじゃないですか。
 私たちが、こうしてお念仏を申させて頂くということは、触光柔軟【そっこうにゅうなん】の願、身も心も和らぐ世界。
 それを私たちはこうして恵まれてくるんです。
 「思いうちにあらば 形 外に現われる」心に、わだかまりがあれば、笑うことが出来ません。やさしい言葉をかけることが出来ません。
 心が もみほぐされる。
そうしますと、合わない手も、いつしか合わされ、不平な不満や不足ばかり申す同じ口にも、いつとはなしに、お念仏・なんまんだぶ がこぼれてくる。
 こういう日暮 というものを 私達は大切にさせて頂ければ思います。
 「腹を立てるな 腹を立てると親を泣かす それでは法が 広まらぬ 腹が立ったら念仏申せ 仏もぶつぶつ なもあみだぶつ  腹が立ったら念仏申せ 仏も 心で なもあみだぶつ」
 お念仏を申す日暮らし。大切にさせて頂けたらなあと思います。
 「仏の心は不思議なものよ 眼には見えねど 話ができる 仏と話をするときは 称名念仏これが話よ」

 ☆夜席の法座は、外ではなく、静かに自己の内面を見つめ、
 目に見えませんが、仏様に遇わせて頂いているという感じがします。
 どなたでも、どうぞご遠慮なく、夜席の法座にもお参り下さいませ。
 一日の営みを終え、静かに、共に仏様の命に遇わせて頂きませんか。

☆梵鐘【ぼんしょう】の用語解説→梵鐘【ぼんしょう】は「集会鐘(しゅうえしょう)」ともいい、法要や儀式を開始するに先立って、大衆が参集する合図として 三十分または一時間前に撞く。打数は十打とし、各間隔をゆっくりあけ、余韻がかすかになってから次を撞き、 最後の二打は少し間隔を早めて撞く。梵鐘は、法要や儀式以外(朝夕の時報など)に撞く場合もある。
☆喚鐘【かんしょう】の用語解説→ 勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)などの開始を報じる小形の梵鐘(ぼんしょう)。半鐘。
 喚鐘は「行事鐘(ぎょうじしょう)」ともいい、法要や儀式の開始を知らせる合図として打つ。

打ち方は、適当な間隔で七打してから、打ち上げて打ち下し、次に五打してから再び打ち上げて打ち下し、最後に三打する(三打のうち第二打は小さく打つ)。



 行事の模様を、写真で紹介します。

『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』
帳場【受付】 
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『永代経法要(安穏法座)』
御講師 三明 慶輝師 
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『永代経法要(安穏法座)』
御講師 三明 慶輝師     
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『永代経法要(安穏法座)』 
御講師 三明 慶輝師     
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『永代経法要(安穏法座)』  ページの
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)     
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『永代経法要(安穏法座)』
15日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
御講師 三明 慶輝師  
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『永代経法要(安穏法座)』
御講師 三明 慶輝師 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』 
15日昼席     
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『永代経法要(安穏法座)』
15日夜席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
15日夜席   
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『永代経法要(安穏法座)』
15日夜席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
15日夜席 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』
住職・長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)挨拶 
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『永代経法要(安穏法座)』
帳場【受付】 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)     
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『永代経法要(安穏法座)』
御講師 三明 慶輝師 
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『永代経法要(安穏法座)』 
16日昼席   
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『永代経法要(安穏法座)』
16日昼席
御講師 三明 慶輝師 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき)  
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき)  
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『永代経法要(安穏法座)』 
16日昼席
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』
16日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
16日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』
16日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
16日昼席     
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『永代経法要(安穏法座)』
16日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
16日昼席     
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『永代経法要(安穏法座)』
16日昼席 
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『永代経法要(安穏法座)』 
御講師部屋にて
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』
長上朋史・真希(まき) 
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『永代経法要(安穏法座)』 
長上朋史・真希(まき) 
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