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「永代経法要」
『永代経法要』について 
『永代経法要』が、平成31年2019年2月18日【月】昼席・夜席〜19日【火】昼席、光西寺にて、行われました。

講師 森田 義見師【山口県 勝賢寺】より、尊いご法話を聞かせて頂きました。有難うございました。合掌


「皆様には、寒さの中、ようこそお参り下さり、有り難うございます。
 御講師様には、尊い仏縁を頂きまして、有り難うございました。合掌」

☆仏様のみ教え☆            【文責 住職】 
 
 《南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 
還相回向に 回入せり》【「和讃」】
 
 ご先祖の方々が頂かれ喜ばれたお経様に遇わせて頂きました。永代経法要と言いましても、永代経というお経があるけではありません。 

永代にわたる命の営みに感謝させて頂く。
「生まれ変わり 死に変わり 過去 無量の命を受け継いで 今 自分の番を生きている」 それが あなたの命です。それが私の命です。

 過去 無量の命を受け取られて生きて来た中に、今、自分の出番が来ているのですね。この私の出番を与えて下さった。この命を恵んで下さった過去、無量の命。

 永代の命の営みに感謝する。

 「自分が会ったことがない先祖の法事を勤めないといけないのですか?」と言う人がいます。それは「自分が知るとか知らない」とか、自分を中心にした考え方です。
 
 しかし、私が知る知らないにかかわらず、私にご縁のあった、そういった方々のお陰で、今の私があるのです。

そのご先祖の方に感謝することが「永代経」の「永代」です。
 
 そんな私にご縁のあった方々が、生まれ変わり、死に変わりしながら、この「お経様」この「お経」に説かれている「教え」を自ら頂かれ、 「どうぞご縁に遇って下さい。」と連綿と受け継いで、お伝え下さったのです。

これを仏教では「法脈」と言うのです。
 
 「法脈」に対して私たちの思いが向くのが「血脈・血縁」の方じゃないですか。

 多くのご先祖方に感謝申し上げると共に、ご先祖の方々が脈々と、み教えを受け継いで、今ここに届けて、ご縁を結んで下さった。【法脈】

1月の御正忌法要は、親鸞聖人のご命日の法要です。親鸞さまと血縁の御親戚の方はおられますか?
 
 「血縁」だけを思いますと、そういうことになるのではないですか?

 ご法事と言いますと、血縁関係の方のある方について勤めるのが法事です。
 
 それでは何故、血縁関係のない親鸞聖人のご法事である御正忌法要に参らないといけないのでしょう?

 「血脈」以上に「法脈」を、「血縁」以上に「法縁」を大切にするのです。

 だからご先祖の方々が脈々と血縁を受け継いで下さったと同時に、生まれ変わり死に変りしながら、このみ教えを今の私たちに、ご縁を結んで下さったのです。

 そこで、そのみ教えに遇わせて頂くことが、ご先祖方のお心に報いていく道になるのです。そのように勤めるのが「永代経法要」です。
 
 血縁・血脈の絶えた家のあるでしょう。しかし、み教えを伝える「法縁」「法脈」を受け継ぎ、伝えていく。
 
 たとえ「血脈」は絶えようとも、み教えを受け継いでいくことが、「法脈」が、ご先祖方のお心に報いていく道になるのです。
 
 そこで、ここにご縁のある方々が集まり勤める「永代経法要」を「総法事」とも言います。「皆で勤めるご法事」です。
 
 「法事」と言いますと、「ご先祖のご供養のため」だけだと思いがちですけれど、浄土真宗のご法事は、 ただ亡き方のためだけに「お経様」が読まれるのではないのです。亡き方のためだけではないのです。

それだけなら、こうしてご法話を聞く必要はないわけですが。お経様お勤めして、ご法話を聞くことになっております。
 
 「愛別離苦の涙のうちに、人の世の無常を感じ、亡き人を偲びつつ、深く仏法に帰依すべし。」と勤めさせて頂くのが、浄土真宗のご法事です。

 愛別離苦の涙を流すのは、悲しい涙のふりかかる、涙を流すしかない、この私の人生をご縁として、あらためて世の無常なる真実に思いを致して、生まれたからには 死んでいかねばならず、会ったからには、皆こうして別れていかなければならい。 

 世の無常なる真実。お釈迦さまは常々「世の中の真理・真実を学べ。」とおっしゃられました。そのお釈迦様の説かれた「お経様」です。 

 「お経様」と言いますと、ご先祖のご供養のためだと思いますが、「四苦八苦」しながら生きていかなければならない私たちを前にして、 悲しみを乗りこえ、苦しみを乗りこえていく道がありますよと、教えて下さったのです。

 そこでお釈迦さまは、『「四苦八苦」しながら生きていかなければならないことを誤魔化すことなく、見つめていきなさい、学んでいきなさい。』と説かれました。 

 この世の中の現実の厳しい事実が襲いかかってきた、改めて、「愛別離苦」の苦悩の只中に立たされた中に、 「亡き人を偲びつつ、深く仏法に帰依すべし。」と説かれるのです。

 その仏陀・釈尊の説かれたみ教えに、お釈迦様の説法に遇わせ頂くということです。

お釈迦さまはすでに「涅槃」にお隠れになられまして、二千五百年以上になりますけれど、、。

 お釈迦様の説かれたことをお弟子方が文字にして、お残し下されたのが「お経様」です。

 その「お経様」を頂いて、お釈迦様のご説法を聞かせて頂きましょう。

 葬儀の時のお寺さんを「導師」と呼びます。「導師」とは、お釈迦様に成り代わって「お経様」を読誦し、皆さんにお経が読みやすいように導く意味で 「導師」と言うのです。
 
 お釈迦様が「愛別離苦から乗りこえていく道がありますよ。」それが悟りに至る道が「お経様」に説かれてあり、それが今日まで伝わっているのです。
 
 「仏法」には沢山のみ教えがあります。大きく分けて「聖道門」と「浄土門」があることが、「正信偈」の中にも説かれていますよ。
 
 「仏法」「仏教」のみ教えは「応病与薬」【おうびょうよやく】と言いまして、相手の病気の症状、器量・才覚に応じて薬を与えるのですね。
 
 「病に応じて薬を与える」という意味です。風邪をひいている病人に、皮膚病の薬を与えたりはしませんよね。
 
 お釈迦さまは、それぞれの「持ち味・器量・才覚・病」に応じて、「薬」【教え】を与えられました。
 
 「愛別離苦」「四苦八苦」の苦悩から解放されていく道をお説き下さったのです。

 それぞれ器量・才覚が違うので八万四千の膨大な教えになったのです。
 
 しかし、それを大きく分けると、「聖道門」と「浄土門」の二つになると「正信偈」に説かれています。

 お釈迦様のみ教えを頂くのにも、「浄土門」「他力」の道があります。

 「阿弥陀様の働き」を「他力」といい、「阿弥陀様働き」によって「愛別離苦」の苦しみを乗りこえさせて頂く道があります。

 「断惑証理」「迷いを断ち、真実・真理を証する道」もあります。この世の真実・真理が悟れないのは「迷い」があるからです。

 その迷いを断つために、修行していく道もあります。仏教では、この世の私たちの存在を「惑」「業」「苦」と説かれています。
 
 私の抱える「煩悩・迷い」がそのまんま、「身」「口」「意」【こころ】の「三業」に現われます。それがそのまんま私に「苦しみ」を生じさせる。
 
 「苦しみ」が生じるから、又、「迷う」ていく。「迷う」がゆえに、その迷いが、私の身のふるまい、口に出る言葉、心の思い、身の上に現われる。
 
 そして、それが「苦しみ」を招いていく。「惑→業→苦」「惑・業・苦」と循環しているのです。「惑」とは「煩悩」です。
 
 「貪欲」【貪り】、「怒り」「愚かさ」の「三毒」の「煩悩」と言います。
私の抱える「煩悩」「迷い」が、そのまま身のふるまい、口にかける言葉、心の思いに現れていくのです。
 
 それがまた私に「苦しみ」を招く、その「苦しみ」がいっそう「迷い」を深めさせいく。「惑・業・苦」と言います。
 
 よく「年取ると欲が無くなる。」と言いますが、「欲を出す元気の方が無くなっただけだ。」と言われた方がおられたそうです。 

 「煩悩」がある以上、それが私の「身」「口」「意」【こころ】の三業に現れていくのです。現われて来るのから、そこに「苦しみ」が生じて、 「苦しみ」の只中に立たされる中で、「何故、私は、こんな苦しみを味わわないといけないのか!?」と感じてしまいます。

 理屈では色々と聞かされて、頭では分かっても、「やれやれあの人さえ生きてくれておりさえすれば、、」「あんなことさえふりかかってこなければ、、」 「あの人が生きてくれておれば、私の人生は違ったであろうに、、、」「こんな苦労をしなくても済むだろうに、、、」と思ってしまう。

それは私の「欲」私の「思い」じゃないですか。それがそのまま私の身の上に現われ、私の「苦しみ」を招いてくるのです。 

 「どうして私は、このように辛い思いをしなければならないのか?!」と「惑・業・苦」「惑・業・苦」と循環しているのです。 
 
 このように循環し、ぐるぐる回っているのが、この世の私たちの姿です。
 
 そこで、「迷い」を断つべく厳しい修行をすることにより、愛別離苦の苦悩を超えていくのですが、私たちが頂いている教えは、 苦悩の只中に立たされながら、浄土の教えに遇わせて頂くことです。それはどういうことでしょうか?

 そのことを共々に味わわせて頂きましょう。

 ☆夜席の法座は昼席と違って、静かに自己の内面を見つめ、目に見えませんが、仏様に出会わせて頂いているという感じが強くします。
 どなたでも、どうぞご遠慮なく、夜席の法座にもお参りして頂いて、
 一日の営みを終え、静かな中で、共に仏様の命に遇わせて頂きませんか。」


 行事の模様を、写真で紹介します。

『永代経法要』御講師
18日昼席 
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『永代経法要』
18日昼席
「帳場」『受付』  
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『永代経法要』
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』 
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』 
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』 
18日昼席
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『永代経法要』
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』 
18日昼席 
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『永代経法要』
18日昼席 
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『永代経法要』 
18日昼席 
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『永代経法要』
18日昼席 
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『永代経法要』 
18日昼席
森田 義見 
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『永代経法要』
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』 
18日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』
18日昼席 
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『永代経法要』 
18日昼席
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『永代経法要』
18日昼席
「教章」斉唱 
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『永代経法要』 
18日夜席 
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『永代経法要』
18日夜席
森田 義見師 
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『永代経法要』
18日夜席  
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『永代経法要』
19日昼席
喚鐘 
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『永代経法要』 
19日昼席
「帳場」『受付』 
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『永代経法要』
19日昼席
「帳場」『受付』 
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『永代経法要』 
19日昼席
森田 義見師 
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『永代経法要』
19日昼席
「教章」斉唱 
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『永代経法要』 
19日昼席
「恩徳讃」斉唱 
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『永代経法要』
森田義見師 
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『永代経法要』 
庭の花 
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