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「盆会法要」
『盆会法要』について 
『盆会法要』が、令和1年2019年8月20日【火】昼席・夜席〜21日【水】昼席、光西寺にて、行われました。

講師 東元 孝昭師【呉市 浄泉寺】より、尊いご法話を聞かせて頂きました。有難うございました。合掌


「皆様には、お暑い中、ようこそお参り下さいました。有り難うございました。
 御講師様には、尊い仏縁を頂きまして、有り難うございました。」

☆☆仏様の教え☆☆     【文責 住職】
 以前、ある有難い方に、御法話の聞書き【自分で講師が話されましたご法話を一字一句筆記されたもの】を頂きました。
 昭和37年頃の記録です。一字一句筆記した手書きのメモの記録でした。
 この方は、御法義【仏法】に熱心なご家庭の方ですね。
 毎日 仏様の前でのお勤めを欠かさない家だったそうです。
 中々できないことです。これも「縁」でしょうね。
 ご法話を一字一句筆記された、その御法話の聞書きメモからの味わいを話させて頂きます。
 南無阿弥陀仏の「おいわれ」を話されたものです。

 浮世の事に掛かり果てて、何の仏道修行が出来るものか。
 毎日毎日、恥ずかしい煩悩の暮らしの者ではあるけれど、仏の慈悲はその煩悩の心に宿って下さるのです。
 お慈悲が宿れば出るものが心の味わいです。
 娑婆の辛さが無くなってから喜ぶ御法ではないのです。
娑婆の色々 雑多なことがないようになってから喜ぶのではなくて、よろずのことに貪瞋の煩悩逆巻く恥ずかしい心の中へ尊い仏のお慈悲が 宿って下さるのです。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、万の事 みなもって そら言 たわ言 まことあること 一つもなきに、唯 念仏ののみぞ まことにて おはします」 という、あの御開山の御喜び、私は煩悩、煩悩具足の凡夫の寄り合い、火宅娑婆の暮らしだから、 万の事 様々な出来事、皆もって そら言 たわ言 となってしまおうとも、お慈悲だけは真であった。
 この味わいから、お念仏がこぼれてくるのであります。
 これが「正信念仏」であります。
 こうなってくれと御開山は良いなさるのです。
 これが真宗の御法義に会った人であります。
 この「会う」ということは、よほどの幸せで、御開山 ご自身が「教行信証」のはじめに、
 「弘誓強縁多生難値  真実浄信億劫難獲」と仰せられてあります。
「会い難い」とか「得難い」とか おっしゃったのは、あれは何も難しいと言うことではなく、よろこべ とおっしゃったのです。
 「会い難いものに会えたではないか、得難いものに会えたではないか。」
そこで御開山は「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ 遇獲行信遠慶宿縁」とおっしゃったのです。
 大きな大きな御法に会うたなあ、尊い宿縁のお陰で、この幸を得たと喜べと おっしゃる。
「遇獲行信遠慶宿縁」の「行信」とは、「行は名号」「信は味わい」である。
 御名号が戴かれて心の味の出た人は、これが本当に会うた人じゃ。
単に眺めただけでは会うたのではない。
 己れが心に この尊い御法を頂かれたならば、これが本当に会うたと言われる。
 それが たまたま とおっしゃった幸せであります。
 「多生廣劫の間かつて会うたことのない 御法の味のよさに会わせてもらったことを慶ばねばならぬ。
 無始以来、流転の永い迷いの旅の間、御念仏なんて出たことがない。
 それが この世に出てきて初めて今は念仏がこぼれる様になった事を喜べよ」とね御開山は仰せなさる。
これが「行信を得た幸せ者」と、こう言いなさる。
 「念仏」とは「一生涯出てくる相続の姿」である。
生きている間 離れぬ弥陀のお慈悲であるので、忘れるときは多けれど、宿れる御法は抜けぬものだから、忘れた後にも叉出てきて称名の声となって下さる。
 「私が出すとは思ってはならない。出させて下さる願力なのだから。」
 「信心というは、即ち本願力廻向の信心なり」と仰せられています。
 どういうことかと申しますと、本願力から下さるのです。信心は こしらえるものだと思うなよ。弥陀の方から与えて下さるもの。
 私の心に出るものは、勿論 煩悩ばかりである。
 見た事 聞いた事、万の事に煩悩ばかりが出るのに、その煩悩ばかり出てくる心の中へ、 ああ お蔭さまじゃの味が出るのは、己れが こしらえる などと思うなよ。
 如来さまから 持たさせ下さる味わいだから、本願力廻向の信心なり。
 涼しさは 風が持ってくる味わいです。
 こちらは汗が出て 汗が出て、吹いても吹いても また出る 蒸し暑さで、玉の汗ではあるけれども、 汗が止まってから味わう風ではなく、汗の出通しの所へ当たる風が涼しいもの。
 煩悩ばかりが出通しの、心の中へ聞こえて下さる母の風。
 六字【南無阿弥陀仏】の味が当たれば、これは何と お陰さまじゃの味が出てくるのだから、御信心は本願力の御廻向じゃぞよと言われています。
 
 この御称名の「称」という字について、御開山は「はかり。秤」という講釈をなされています。
「称は、はかり 秤【はかり】」という。もののほどを定むることば也」と仰せられてあります。 「称は 秤【はかり】」と言われています。
一貫目の目方が出るのは、一貫目のものが乗って出てくる。
 秤【はかり】の目は物が乗って出てくる。
 即ち上に乗せた品物の目方を正直に表す。
 出たら乗ったと同じ。乗った品物の通り出てくる。
 これが秤【はかり】です。お念仏はこれです。
 物が乗らねば出ぬのです。願力不思議が私の上に乗ればこそ、お念仏が出てくる。
 我が出すのではない。不思議の仏智が私の煩悩の上に宿って下されたから、物が乗って出てくる秤【はかり】の目のようなものですが、そのままです。
 秤【はかり】の目であるが如くに、私の口から出る一声一声のお念仏が、不思議の仏智が宿ったそのものが溢れ出てくるのです。
 「帰命」の「帰」とは「帰る」という字です。
 「帰命無量」の「帰」も「かえる」という字です。
 「帰る」とは落ち着くということです。
 これは他人のところに帰るのではない。
 昨日も待つ、今日も待つ、待ち遠しの母の家に帰った時ほど落ち着くことはないのです。
 弥陀のお慈悲は待ってござる。
 ここに私達は帰らせてもらうのです。いつ帰るか。
 今帰らせてもらう。死ぬまで待つ弥陀ではない。
 息の切れ場まで待つ弥陀ではない。娑婆にいる間から深き情の母の懐へ帰らせてもらうのです。
「帰」は「帰る」という。それを仏が言いなさる。私の方から帰るというのではない。
 阿弥陀様の方から「帰ってくれや、ここへ来てくれよ。」と阿弥陀様が呼び通しじゃ、という仰せであります。
 「たのむ」とは、たのみにする というこことです。
 たのみにする という満足の喜びを たのみにすることであります。
 誰れをたのむか。弥陀のお慈悲を たのみ力とする。それで仏が居なさる。
 「たのみ 力としてくれよ」
 「人は捨てても弥陀は捨てぬぞよ」
 「おさめ取る為に誓願立てて、正覚取った弥陀じゃもの」
 「なんで捨てようか」「どうか たよりにしてくれよ」
 「力になるぞ」というのが阿弥陀様であります。
 「たのみにせよや、宿れよ と仏の方から呼び通しじゃ。
 死ぬまで待ってはおられぬのじゃ。早く会いたい親心。
 この世から弥陀のお慈悲は我らに会いたがってござる。
 ここへ帰れ。ここへ宿れと仏様は呼びなさる。」と、「帰」の解釈をされました。

 
 
 ☆夜席の法座は、外ではなく、静かに自己の内面を見つめ、
 目に見えませんが、仏様に遇わせて頂いているという感じがします。
 どなたでも、どうぞご遠慮なく、夜席の法座にもお参り下さいませ。
 一日の営みを終え、静かに、共に仏様の命に遇わせて頂きませんか。


☆梵鐘【ぼんしょう】の用語解説→梵鐘【ぼんしょう】は「集会鐘(しゅうえしょう)」ともいい、法要や儀式を開始するに先立って、大衆が参集する合図として 三十分または一時間前に撞く。打数は十打とし、各間隔をゆっくりあけ、余韻がかすかになってから次を撞き、 最後の二打は少し間隔を早めて撞く。梵鐘は、法要や儀式以外(朝夕の時報など)に撞く場合もある。
☆喚鐘【かんしょう】の用語解説→ 勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)などの開始を報じる小形の梵鐘(ぼんしょう)。半鐘。
 喚鐘は「行事鐘(ぎょうじしょう)」ともいい、法要や儀式の開始を知らせる合図として打つ。

打ち方は、適当な間隔で七打してから、打ち上げて打ち下し、次に五打してから再び打ち上げて打ち下し、最後に三打する(三打のうち第二打は小さく打つ)。



 行事の模様を、写真で紹介します。

『盆会法要』
帳場【受付】 
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『盆会法要』
帳場【受付】  
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『盆会法要』
20日昼席
「帳場」【受付】 
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『盆会法要』 
「バーベキューの会」案内
長上朋史【長男】 
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『盆会法要』
「バーベキューの会」案内
長上朋史【長男】 
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『盆会法要』 
20日昼席
講師 東元 孝昭師 
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『盆会法要』
20日昼席     
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『盆会法要』 
20日昼席
講師 東元 孝昭師      
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『盆会法要』
20日昼席
講師 東元 孝昭師 
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『盆会法要』 
「仏婦法話会」案内
長上朋史【長男】 
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『盆会法要』
20日昼席
「教章」斉唱 
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『盆会法要』 
20日昼席
「恩徳讃」斉唱 
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『盆会法要』
20日昼席
長上朋史【長男】 
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『盆会法要』 
庭の花 
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『盆会法要』
梵鐘【ぼんしょう】
長上 朋史【長男】 
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『盆会法要』
梵鐘【ぼんしょう】
長上 朋史【長男】 
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『盆会法要』
20日夜席
帳場【受付】 
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『盆会法要』 
20日夜席
講師 東元 孝昭師     
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『盆会法要』
20日夜席   
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『盆会法要』 
庭の花   
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『盆会法要』
20日夜席 
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『盆会法要』 
庭の花 
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『盆会法要』
20日夜席 
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『盆会法要』 
庭の花 
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『盆会法要』 
20日夜席 
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『盆会法要』
21日昼席
帳場【受付】 
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『盆会法要』 
21日昼席     
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『盆会法要』
「法礼」袋で帳場に提出されてもいい♪ 
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『盆会法要』 
桂 文我 独演会 チラシ   
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『盆会法要』
21日昼席
喚鐘【かんしょう】
長上朋史【長男】 
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『盆会法要』 
21日昼席 
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『盆会法要』
21日昼席
帳場【受付】 
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『盆会法要』 
21日昼席 
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『盆会法要』
21日昼席 
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『盆会法要』 
21日昼席 
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『盆会法要』
21日昼席
講師 東元 孝昭師 
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『盆会法要』 
21日昼席
講師 東元 孝昭師     
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『盆会法要』
21日昼席 
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『盆会法要』 
21日昼席
「教章」斉唱   
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『盆会法要』
21日昼席 
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『盆会法要』 
21日昼席
「恩徳讃」斉唱 
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『盆会法要』
21日昼席 
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『盆会法要』 
21日昼席 
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『盆会法要』
庭の花 
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『盆会法要』 
庭の花 
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