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「御正忌法要」
『御正忌法要』について 
『御正忌法要』が、平成31年2019年1月9日【水】昼席・夜席〜10日【木】昼席、光西寺にて、行われました。

講師 菅 知尚師【竹原市 宝泉寺】より、尊いご法話を聞かせて頂きました。有難うございました。合掌


「皆様には、ようこそお参り下さいました。
 御講師様には、尊い仏縁を頂き、有難うございました。
若い方が初めてお参り下さり、お聴聞下さいました。大変嬉しいことです。
 夜席の法座は昼席と違って、静かに自己の内面を見つめ、目に見えませんが、仏様に出会わせて頂いているという感じが強くします。
 どなたでも、どうぞご遠慮なく、夜席の法座にもお参りして頂いて、一日の営みを終え、静かな中で、共に仏様の命に遇わせて頂きたいものです。」

☆仏様のみ教え☆                 【文責 住職】

 阿弥陀様のお慈悲を親心にたとえて「親様」と言います。
親心というものは、いつでも親の片思いなんです。
 子供が親を思う心を親心とは言いませんね。それは子心です。
親心というのは、「親が子供を思う心」です。
 それでは、その親心というのは、子供の求めに応じて起こされた心なのか?
親心の出所は、子供がどう思っているかと関係なく、一方的に親の側から起こされる心が親心です。
それは片思いと言うことになります。
「おかあさんと一緒」という子供向けのテレビ番組があります。
「おかあさんと一緒」の「と」の字を「が」の字に変えてみると、随分響きが違ってきますね。
「おかあさんと一緒」が「おかあさんが一緒」となります。
確かに響きが違ってきます。何がどう違うのでしょうか?
「おかあさんといっしょ」という言い方は、子供が親にかけてくれる声に聞こえます。子どもの側から親に発する言葉です。
これに対して「おかあさんがいっしょ」という言い方は、親の側から子どもに対して発する言葉に聞こえます。
ここに子供心と親心の違いがあります。私たちは時として、「私が阿弥陀様と一緒に居る。」というように、私の心を主体として考えがちではあるのですが、 私の心を主体にしますと、私の心は動きますから、常に一緒というふうにはいかなくなります。
 「私が阿弥陀様と一緒」なのではなくて、「阿弥陀様が私の人生とご一緒下さる。」ということです。
浄土真宗のご法話を聞いていると、時々、難しくなることがあります。
難しくなる時は、難しくさせる理由があるようです。
「私が阿弥陀様のことを、どう思うているのか。」というように「私の心」を詮索し始めると、折り合いがつかなくなってくるのです。
たぶん私の心は不確かですから、私の心を主体とすると、それは揺れ動きます。
そうではなくて、「阿弥陀様が私の人生とご一緒下さる。」のです。
「阿弥陀様が私の人生をどのように案じ下さっているのか。」
 阿弥陀様の方から、こちらに届けられているお心を頂く教えなのです。
そうしますと、阿弥陀様は私の人生とご一緒下さるために、ある手立てを取られました。
どのような手立てを取られたのかというと、「名となり、声となる」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」という手立てです。
この一声一声は、阿弥陀様の命そのものです。
私を主体にして考えると、私が阿弥陀様を呼んでいる私の声のように聞こえます。
親鸞聖人はおっしゃいました。
「私が阿弥陀様を呼んでいるのではない、阿弥陀様に呼ばれているのだ。」と教えられました。
「任せよ、大丈夫。南無阿弥陀仏」「いつでも、どこでも、この私とご一緒下さる為に、阿弥陀様は南無阿弥陀仏という声となって、私の人生とご一緒下さる。」
懐かしい方々は、仏法を聞く席だけではなくて、日常生活の中で「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏を口にかけておられました。
あの「「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と口にかけながら、阿弥陀様に遇っておられたのです。
私も幼い頃を思ってみると、そういう人が多くおられたと思います。
私が子供の頃に、最初に念仏称える時に、気恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。
あの懐かしい方の称えておられた南無阿弥陀仏も、今私が称えている南無阿弥陀仏も同じ南無阿弥陀仏であります。
この私も同じ阿弥陀様に育てられ、同じお浄土に生まれます。
阿弥陀様はお浄土に参るということを、頭で理解して分かってから来いとはおっゃいません。
「私の国に【お浄土】に生まれてくると思うてくれ。」とおっしゃいます。
私たちには、姿形を超えて悲しみを超えて深く深く、出会っていく命の世界があります。
この世界を私たちは「お浄土」と言います。
若い頃は中々ピンときませんでした。そしたら、年を取ったらピンとくるのでしょうか?
阿弥陀様は、ピンと来てから来いとはおっしゃいませんでした。
それでは阿弥陀様は何と言われているのか?「任せよ、大丈夫」とおっしゃいます。
私たちは山にこもって仏道を歩むのではなく、家庭生活、社会生活を営みながら、仏道を歩ませて頂きます。
家庭生活、社会生活を営むとは、「大事な方と一緒に生活している。」ということです。
人間同士の生活ですから、愛する者だけの生活とはいきません、憎み合うこともあります。仕方ありません。けれど不思議なものです。
この私たちの人間境涯には必ず別れが来ます。
別れというものは大事な方であればあるほど悲しいものです。
人間の境涯は出会った時に、すでに別れることは決まっています。
しかし、別れるときは、誰れにも分かりません。
別れるのが悲しいのなら、それでは出会わなければよかったのでしょうか?
それは違うと思います。
別れの悲しみはつらいことではありますが、その悲しみの中には、その方と出会えたことがかけがえのないものであり、 共に過ごした年月が何物にも代え難い大切な営みであったということの証でもあります。
ただ私たちは別れに対して悲しみだけを頂くのではなくて、そこに手を合わせて頂くべき教えが、届けられてあります。
先に往かれた方と、後から往かせていただく者として、新たな出会い直しをさせて頂きます。
どっちが先であっても、どっちが後であっても、「ただいま」と帰っていける世界、「お帰り」と抱き取っていくことのできる世界を阿弥陀様は届けて下さってあるのです。
しかも私の思いなんか関係なく、一方的に、どうすればこの私が安心してこの境涯を歩むことが出来るのか?どうすれば人生が満足できるのか?
阿弥陀様は阿弥陀様の側でおっしゃる。
顔を付き合わせて言葉を交わし合える時に、聞き合い色々語り合っていれば、それに越したことはないのかも知れません。
しかし私たちは近過ぎる関係でありますと、大事なことが言えなかったり、大事なことが聞けなかったりします。
けれど、私たちにとっては言えなかったこと聞けなかったことであったとしても、差し支えなく、遇わせて頂く世界が届けられてあるんです。
出会いと別れが人間境涯にはあり、人間の価値観だけで計っていこうとすると、そこで途切れてしまうけれど、阿弥陀様はもうすでに、互いに会える世界をすでに ご用意して下さり、そして、ピンとこようがこまいが、そんなことは一切おかまいなしに、「私の国に【お浄土】に生まれてくると思うてくれ。」とおっしゃいます。

★二日目・昼席には、『御伝鈔』を拝読させて頂きました。
「報恩講」という言葉をはじめてもちいられたのは、親鸞聖人の曾孫で、本願寺第三世の覚如上人で、「報恩講式」をあらわされたのが、それでした。 宗祖の十三回忌を営むにあたり、お徳をたたえるために、法要の儀式や作法を一巻の書物にあらわされたのです。  宗祖をしのぶお念仏の集まりを、「報恩講」という形にされたのです。その翌年あらわされたのが、 『御伝鈔』(親鸞聖人の御生涯を通して味わう信心の喜びが、間違いなく正しく伝えられていくことを、 強く念願されて、宗祖のご恩とお徳に対する感動と感謝の思いを込めて覚如上人が作られました。)でした。 はじめのものは、「絵詞」の形でした。宗祖のご生涯と、お念仏のよろこびを多くの人に伝えるために、 「絵」と「詞」が分けられました。

●報恩講は、親鸞聖人のご命日【旧暦で11月28日、新暦で1月16日】につとめられる報恩の講「法会」【ほうえ】です。
このご命日のことを「ご正忌」【ごしょうき】と呼びます。
一般の寺院では、本山のご正忌の報恩講にさきがけてつとめられることから、「お取り越し」【おとりこし】などと 呼ばれています。

 行事の模様を、写真で紹介します。

『御正忌法要』御講師
菅 知尚師 
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『御正忌法要』
梵鐘【若院】  
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『御正忌法要』御講師
1/9昼席 
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『御正忌法要』 
「帳場」『受付』 
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『御正忌法要』御講師
菅 知尚師 
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『御正忌法要』 
1/9昼席 
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『御正忌法要』御講師
菅 知尚師 
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『御正忌法要』 
ぜんざい
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『御正忌法要』
ぜんざい 
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『御正忌法要』 
「教章」斉唱 
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『御正忌法要』
「恩徳讃」斉唱 
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『御正忌法要』 
1/9夜席 
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『御正忌法要』
1/9夜席 
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『御正忌法要』 
「帳場」『受付』 
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『御正忌法要』
1/9夜席 
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『御正忌法要』
『御伝鈔』拝読 
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『御正忌法要』 
『御伝鈔』拝読 
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『御正忌法要』
『御伝鈔』拝読 
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『御正忌法要』
『御絵伝』 
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『御正忌法要』 
『御絵伝』 
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『御正忌法要』 
「帳場」『受付』 
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『御正忌法要』
1/10昼席 
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『御正忌法要』御講師
菅 知尚師  
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『御正忌法要』
ぜんざい 
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『御正忌法要』
ぜんざい  
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『御正忌法要』 御講師
菅 知尚師 
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『御正忌法要』御講師
菅 知尚師 
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『御正忌法要』 
1/10昼席
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『御正忌法要』
「教章」斉唱 
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『御正忌法要』 
「恩徳讃」斉唱 
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『御正忌法要』
「庭の花」 
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『御正忌法要』
「チケットあります。『ナムポケット』」 
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