《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第50回 正信偈のこころに生きる(二) 更新 平成27年10月
(偈文) 
弥陀仏みだぶつ本願念仏ほんがんねんぶつは、 邪見じゃけん 憍慢きょうまん悪衆生あくしゅじょう信楽受持しんぎょうじゅじすることは はなはだもって、 かたし。 なんのなかの なんこれに ぎたるはなし。
         (第四十七話~第五十話)
 
親鸞聖人は、わずか六十行百二十句という短い 正信偈しょうしんげの中に、 浄土真宗の教えの 要義ようぎを あますところなく明らかにしてくださいました。
正信偈しょうしんげをつらぬいているものは、 本願念仏ほんがんねんぶつにあわれた聖人のよろこびのお気持ちであり、 自らの信じた法を私たちにも「どうか信じてくれよ《と勧めてくださる聖人の強い願いです。
自信教人信じしんきょうにんしん《、これこそ 正信偈しょうしんげをつらぬく精神です。
正信偈しょうしんげという、すばらしい お聖教しょうぎょうに出あうことができた私たちもまた、 聖人の生き方に学んで、 自信教人信じしんきょうにんしんの人生を歩みたいものです。
それには、私たちは、日頃から、すすんで 聴聞ちょうもんの席に座ることが大切です。

仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』に、

たとえ世界中せかいじゅううみになったとしても、 ひるまず すすみ、 おしえを くがよい。
そうすれば かならほとけのさとりを 完成かんせいして、 ひろく まよいの 人々ひとびとすくうであろう。
          (『浄土三部経《現代語訳版八三頁)

といわれているように

信心正因称吊報恩しんじんしょういんしょうみょうほうおんの教えは、 聞くことひとつにきわまるのです。
浄土真宗は聞く宗教といってもよいでしょう。
聞くといっても、ただ聞いていさえすればそれでよいという聞き方ではありません。
吊号みょうごうのおいわれをよく聞き、 阿弥陀如来あみだにょらいのおおせにおまかせをして、 日々お念仏をとなえて生きてゆくのです。
そういう自分になるようにつとめてゆきましょう。

(話題) 
聞くということについて話し合ってください。


※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ《の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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