《 聖典の講座 》
『無常迅速 生死の事大なり』
第49回 |
正信偈のこころに生きる(一) |
更新 |
平成27年9月 |
(偈文)
弥陀仏の
本願念仏は、
邪見
憍慢の
悪衆生、
信楽受持することは
はなはだもって、
難し。
難のなかの
難これに
過ぎたるはなし。
(第四十七話~第五十話)
正信偈の前半、
依経段のおこころの大略をうかがってきました。
この後、つづいて、
七高僧のお説きになった
本願念仏の教えが述べられています。
正信偈の後半です。
これを
依釈段といいます。
正信偈を拝読するときに、私たちが忘れてならない
大切なことがあります。
それは
『蓮如上人御一代記聞書』
第三条の次のご文に明らかにされています。
勤行のとき
蓮如上人が、
ご和讃をあげる
番になったのを忘れておられたことがありました。
南殿へ
お戻りになって、
「親鸞聖人の
ご和讃のみ教えがあまりにもありがたいので、
自分があげる
番になったのをつい
忘れていた。《と
仰せになり、
「これほどありがたい
聖人のみ教えであるが、それを信じて
往生する
人は
少ない《と
お嘆きになりました。
【『蓮如上人御一代記聞書』現代語版五頁】
『正信偈和讃』を、御堂での
朝暮の
勤行に取り入れてくださったのは蓮如上人でした。
それは、人びとに、お念仏のみ教えに親しんでもらって、信心よろこぶ人が一人でも多くなるようにという上人の願いからでした。
私たちも、
正信偈を
読誦するときには、ただ字づらを読むだけではなくて、
蓮如上人のおっしゃるように、そのおこころをいただいて、信心よろこぶ身になるようにつとめなければなりません。
(話題)
蓮如上人のお言葉の意味を話し合いましょう。
※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集)
正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は
「正信偈念仏偈《の
依経段
を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。
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