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法 話
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【 私の如是我聞 】
第48回
念珠
(
ねんじゅ
)
の意味
更新
平成27年8月
念珠
(
ねんじゅ
)
は
数珠
(
じゅず
)
ともいいますが、 これは《
数
(
かぞ
)
える
珠
(
たま
)
》という意味で、 繰り返しとなえる
呪文
(
じゅもん
)
や、 念仏などの回数を、珠で数えたところからきています。
しかし、浄土真宗では、呪文をとなえたりしませんし、念仏も回数によつて、
功徳
(
くどく
)
の
大小
(
だいしょう
がきまるのではなく、 「おたすけくださってありがとうございます《と、ご恩をよろこんでとなえているのですから、 珠を数える必要はありません。
そこで、数珠というよりも、念仏を称えるときに用いる、
法具
(
ほうぐ
)
という意味合いから、念珠といいます。
数珠という言葉に関連して、よくたずねられるのは、「珠の数はいくつか?《ということです。
基本となるのが「百八《とされ、その半数の五十四や、そのまた半数の二十七などがあるといわれていますが、 実際は、かならずしも一定ではないようです。
珠を数えない浄土真宗では、なおさら気にすることはないでしょう。
ただ、「百八《という基本の数字は、それなりに根拠があり、
『
木槵子経
(
もくげんしきょう
)
』というお経にー 煩悩の苦しみを滅しようと思えば、
木槵子経
(
もくげんしきょう
)
の珠百八つを
貫
(
つらぬ
いて常に
携帯
(
けいたい
)
し、散り乱れるこころをしずめて珠を 順次くりながら、
仏法僧
(
ぶっぽうそう
)
の吊をとなえよーと説かれています。
つまり、私どものもつ
煩悩
(
ぼんのう
)
の数が「百八《あると考えたところからでており、 百八の珠を煩悩にあてはめて、念仏をとなえながら、一つひとつの煩悩を滅していこうという考え方、数珠の使い方がうかがえます。
しかし、浄土真宗で使う念珠は、自分で煩悩を滅するためのものではありません。
合掌した両手にかけることによって、阿弥陀さまの方へ心を向け、お念仏を称えながら、煩悩をもったこの身のままお救いくださる、 如来さまの
親心
(
おやごころ
)
【
大悲
(
だいひ
】を
仰
(
あお
)
いで、
讃嘆
(
さんだん
)
し、
礼拝
(
らいはい
するためのものです。
では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏・・・・。
※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え《「浄土真宗の教え《「特別法話《「荘厳・仏事・作法《の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう《といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。
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