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法 話
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【 私の如是我聞 】
第156回
宝とは道心である
更新
2024年8月
『
国
(
くに
)
の宝とは何であるか。
宝
(
たから
)
とは道心である。
道心
(
どうしん
)
のある人を
吊
(
な
)
づけて
国
(
くに
)
の宝という。』
【
山家学生式
(
さんげがくしょうしき
)
】
自分が知るとともに、他の人たちにも知らせようと努力します。
自分が利益を得たように、周りの人びとにも利益を得てもらいます。
自分だけがよければ、という小さな我にとらわれないで、皆とともに手を取り合って同じ目的に向かって歩みます。
このような心がまえが、大乗仏教の立場です。
伝教大師最澄が、大乗戒を日本にはじめてとり入れられたとき「この戒広大にして真俗一貫す《といわれました。
つまり、僧侶も在家の人たちも、皆が実践しなければならない戒であるとされたのです。
そして、その実践を通じて、私たちの身体、言葉、心の三業の上に、悪いことをせず、善いことを行い、世の中のためになることが自から表れてくるのです。
「道心《というのは、これらを実践する、すなわち菩薩のように、絶えず道を求めて歩むという菩提心をいいます。
菩提心をもって、人のため、世のために、「世の中が安穏であるように、仏法が弘まるように《とねがいをつづけている人、そして法を説き、法を実践しながらたゆまず歩みつづける人こそ、 暗闇の一隅を照らす灯火のような指導者であり、迷える人たちを導く尊い導師です。
そのような人こそ、国の宝なのです。
宝の真価を充分に現わすことことが出来る人になることが、また道を求めるものの目的でもあります。
最澄は、わが国に最もふさわしい教えとして大乗仏教の根本を宣布しました。
その根本に触れた多くの人たちが、今日の日本人の心のどこかに仏教的な何かを残してくれたのです。
何かの機会に、その尊い心に気づいたら、国の宝になるような種まきが出来るわけです。
道心は、絶えずその機会をねらって、私どものそばを離れてはいないのです。
それは何も大事業をせよ、ということではありません。
「一隅を照らすもの《こそ、「国の宝《なのです。
※『ひかりの言葉』
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