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法 話
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【 私の如是我聞 】
第146回
あしたに ゆうべに
更新
2023年10月
『 あしたにめざめては、
迷
(
まよ
)
える人びとをめざめしめんと
願
(
ねが
)
い、 ゆうべにやすめては、
悪
(
あく
)
をやめて心のけがれを
浄
(
きよ
)
めんと願う。』
【
華厳経
(
けごんきょう
)
】
私たちの一生は、叶えられるとも叶えられぬとも分からない願いではないでしょうか。
願いというのは、欲望ということではありません。
人の一生を、自分たちの欲望充足の過程と見るならば、けっきょく行きづまらざるをえないし、どこまでいっても安定はないでしょう。
人生から、できるだけ多くのものを手に入れた人を幸福者と呼んでいるようですが、じぶんの欲望を満足することが大きかったということで、はたしてその人の人生に意味があったといえるでしょうか。
むしろ、私たちが人生に対して果たすべきことに生きるということのなかにこそ、生きる意味もでてくると思います。
願いとはそういうことではないでしょうか。
朝めざめた時には、今日一日の時間を何か価値あることに捧げようとの決意を新たにし、一日の終わりには、静かに振り返って、「今日も一日力いっぱい生かさせていただきました《と感謝をもっていえる人こそ幸福者でしょう。
このように、日々の生活のなかに区切りをつけて、そのつど心を新たにしてゆくことが精進の生活だと思います。
『華厳経』(けごんきょう)には、これに続いて次のようなことばがあります。
「手を洗うときは、信仰の清き手をもって、み仏の教えをもたんと願い、足を運ぶときは、生死をこえて善き行いを行わんと願う。《
「衣朊を着るときは、道徳の衣を着て慚愧(ざんぎ)を知らんと願い、食事をとるときは、み仏を供養して仏道を励まんと願う。《
「父母につかえては、一切の人びとを養い護らんと願い、妻子とつどいしては、愛欲の牢獄より出でんと願う。《
※『ひかりの言葉』
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