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法 話
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【 私の如是我聞 】
第134回
如来
(
にょらい
)
の室、衣、座
更新
2022年10月
『
如来
(
にょらい
)
の室とは
一切衆生
(
いっさいしゅじょう
)
の中の
大慈悲心
(
だいじひしん
)
これなり。
如来
(
にょらい
)
の衣とは
柔和忍辱心
(
にゅうわにんにくしん
)
これなり。
如来
(
にょらい
)
の座とは
一切法空
(
いっさいほうくう
)
これなり。』
【
法華経
(
ほけきょう
)
】
仏滅ののち、仏法を弘めるものがのっとるべき規範を示したものとして、これはふつう「弘経の三軌《ともいわれております。
それらの人びとは「如来の室に入り、如来の衣を着て、如来の座に坐し、《広く大衆のために経を説きなさい、と示されております。
では、如来の
衣座室
(
えざしつ
)
とは何であるかということが、このことばであります。
すなわち、室とは慈悲の室であり、衣とは忍辱の衣であり、座とは法空の座であります。
慈悲の心をもって人びとを
覆
(
おお
)
うこと、あたかも室のようであり、忍辱の心をもって人びとの悪やさわりをさえぎること、あたかも衣のようであり、 一切のものにとらわれなければ、自ら安んじ、また他の人をも安んずることができる、それは座のようである、というのです。
ひるがえって、私たちの生活を反省してみましょう。
私たちは慈悲の室にすまっているでしょうか。
むしろ人を押しのけてでも自分の地位を固めたいというような、あさはかな競争心とむさほりの室に住んでいるようです。
また、私たちは忍辱の衣を着ているでしょうか。
人の
侮
(
あなど
)
りをうけて心にうらみと怒りをいだき、報復を思ってかえって悪を助長しているのではないでしょうか。
人の
侮
(
あなど
)
りをも
侮
(
あなど
)
ることのできるほど
高邁
(
こうまい
)
な心をもちたいものだと思います。
忍辱とはいやいやながら辛抱することではなくて、
安忍、つまり安んじて忍ぶというのです。
また私たちは空の座に坐っているでしょうか。
私たちの心の坐りどころは、むしろ上平上満ではないでしょうか。
何か充たされない気持ちを、もっぱら外に向けて、
ぐちをいっていることが多いのではないでしょうか。
また人に向かって何かを主張するときでも、とらわれのない立場からする主張するのではなくて、ともすれば自己中心という座に坐っていることが多いと思います。
それではどんなにいいことをしゃべっても、ほんとうに正しい法を弘めることにはなりません。
※『ひかりの言葉』
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