このページはインラインフレームを使用しています。
このページはインラインフレームを使用しています。
☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第128回
善人
(
ぜんにん
)
の香かおる
更新
2022年4月
『花の香は
風
(
かぜ
)
に
逆
(
さから
)
ってかおらず、しかるに
善人
(
ぜんにん
)
の香は風に
逆
(
さから
)
ってかおる。 』
【『
法句経
(
ほっくきょう
)
』】
新聞、ラジオ、テレビなどのマスコミの極度の発達、さらには画一的な学校教育の影響によって、現代人はみな同じような知識を与えられ、同じような行動の様式を 身につけてきました。
紋切型の人間ができあがってしまったのです。
「わが道を行く《というような人は、まれになってしまいました。
そういう紋切型の人間の行動は、「みながそうするから、自分もそうしよう。世間の人がそうしているのだから、自分も人並みにしておこう《といういき方です。
そこには、何ら個性も確信もありません。いわば社会の風に乗って流されているだけです。
私の家の前を小川が流れています。たまたまその流れを眺めていますと、小さな魚がその速い流れのなかを力強くのぼっていくのです。
いかにも
清冽
(
せいれつ
)
な気分に打たれました。
自然のものは、どんなよい香りでも、風に逆らっておかることはできません。
自然の勢いに逆らってかおることができるのは、
精神
(
せいしん
)
の
力
(
ちから
)
だけです。
その力を
失
(
うしな
)
ったら、人間も一つの自然に成り下がるでしょう。
仏教は歴史の流れのなかで、人類の心のかてとなって香りつづけてきました。
善き人の香りは、聖典となって現在の私たちにも
かおっています。
そして、ともすれば
生活
(
せいかつ
)
の流れのなかに
自己
(
じこ
)
を見失いがちな私たちに、「風に逆らってかおる《ほどの力を与えてくれます。
それは世のなかの流れに
追随
(
ついずい
)
するのではなく、かといって社会の進歩に逆行するのでもありません。
社会のなかにありながら、そこに
埋没
(
まいぼつ
)
しないことです。
それによって社会への香りよき
清涼剤
(
せいりょうざい
)
となる人間、そこに仏教的な人間像があると思います。
「風に逆らってかおる《、なんと力強い人間像ではありませんか。
そういう人間像に一歩でも近づくように努力したいものです。
※『ひかりの言葉』
本願寺出版社
お経の本やCDや仏書の販売
西本願寺の本
本願寺出版社
本願寺
ホームページ
本願寺ホームページにて、本願寺の法話のラジオ放送を本願寺ホームページのウェブサイトで聞けます。
沢山の法話が聞けます。ぜひ一度聞いてみて下さい。
西本願寺ホームページ
今生最後と思うべし
一このたびのこのご縁は
我一人の為と思うべし
一このたびのこのご縁は
初事と思うべし
一このたびのこのご縁は
聴聞の心得
トップページへ
法話に戻る
書庫をみる
このページはインラインフレームを使用しています。