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☆☆
法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第127回
敬
(
うやま
)
いよろこぶ人間に
更新
2022年3月
『
他力
(
たりき
)
の
信心
(
しんじん
)
うるひとを うやまひおおきによろこべば すなはちわが
親友
(
しんぬ
)
ぞと
教主世尊
(
きょうしゅせそん
)
はほめたまふ 』
【『
正像末和讃
(
しょうぞうまつわさん
)
』】
今の時代は、一見、花やかで賑やかなようですが、ほんとうの「充実《と「喜び《が見当たらない時ではないでしょうか。
それはほんとうに敬えるもの拝めるもの信じるものをもたないこととかかわりがあるように思われます。
現代人はお金をおがんで、科学を信じようとしているといった人がありましたが、考えさせられることであります。
お金はおがむものではなく科学は信じるものではありません。
さて、この世を徹底して充実して生きようとすればするほど、この世を超えた大いなるまことのはたらきにめざめなければなりません。
この法語は『大無量寿経』(下巻)の「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ得て大きに慶ばは、すなはちわが善き
親友
(
しんぬ
)
なり《というお言葉に依られた和讃であります。
まことのはたらきを身にうけ、よく忘れず、敬い喜ぶ人間に成らせていただいたら、その人を親友であると
釈尊は
褒
(
ほ
)
め
讃
(
たた
)
えてくだされる、というのであります。
ほんとうにおがめるもの、信じるものを見失っている
今日
(
こんにち
)
の人間に、仏の絶対力すなはち他力のめぐみにめざめ、この混とんとした現実の只中に ありながら、とことん如来の本願と説かれるまことを敬いよろこぶ人間に成れと教えてくだされているのです。
限りある知と愛につまづけばつまづくほど、限りなき智慧と慈悲の阿弥陀如来を敬い、おがむ人間に成らねばなりません。
まことに、如来の願いを聞かせていただくそのままが、私がほんとうに願わねばならないことが言い当てられているのであります。
彼岸の真実の世界・浄土のいわれを聞かせていただくそのままは、この世のあり方が照らしだされてくることと別ではありません。
いま、如来の本願にうなずき念仏とともに燃やしつくす信心の行人を釈尊は
褒
(
ほ
)
め
讃
(
たた
)
えてくだされるのであります。
褒められるのは浄土にたびだってからではありません。
この泥沼にもたとえられる現実の苦悩の只中に身をおきながら、とことん本願を敬い、喜んで生きられる人、行人とはまさに行く人であり、 歩む人であり、動きつつある人というべきでありましょう。
その信心の行人を褒め讃えてくだされ、しかも「我が善き親友《であると褒めてくだされるのであります。
「親友《 この言葉ほど、この世を生きるうえで励ましになることはあるでしょうか。
そこには親分、子分といったタテ社会の仕組みはなく、まさに御同朋御同行というヨコの強縁とでもいうべきであります。
まことにみ仏の教えに生きる世界は
一味
(
いちみ
)
の慶びであります。
※『真宗法語のこころ』 中西智海 師
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