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法 話
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【 私の如是我聞 】
第126回
バラモンと
呼
(
よ
)
ぶ
更新
2022年2月
『
粗野
(
そや
)
ならず、ことがらを
伝
(
つた
)
える
真実
(
しんじつ
)
のことばを
発
(
はっ
)
し、ことばによって人の
感情
(
かんじょう
)
を
害
(
がい
)
することのない人 かれをわたしはバラモンと
呼
(
よ
)
ぶ。 』
【『
経集
(
きょうしゅう
)
』】
私はよくこんな人に出逢うことがあります。
いきなりベチャクチャしゃべるばかりで、肝心の、なにをいわんとしているのかさっぱり分からない、 こちらのほうから、用件はなんですかと聞きたくなる、そんな人です。
また、なんとかかとか人を上げ下げしたあげく、じつはお金を少々借りたいのですが、なんていわれることがあります。
全く腹立たしいかぎりです。
また、上器用な無駄口がうわさとなって、とんでもない結果を生むこともあります。
私は、つねづね、ことばというものは注意しないと恐ろしいものだと思うのです。
たとい手を加えてひとを傷つけなくても、口で人を傷つけもし、殺しもします。
私は、あるとき、今日はことのほか疲れたと思い、体を横たえていたいのですが、ふと、自分は若いのにこれだけ疲れたのだ、母も一日中忙しかったことを思い、
「お母さん、疲れたでしょう、肩でももみましょうか《
というと、奥の間から、
「いや、お前も疲れただろう、ありがとう、そのことばで、また元気に働かさしてもらうよ《といっていたことを思い出すのです。
もしも、その反対に、ぐちばかりいっていたらどうでしょう。
家の中の者を暗い気持ちにするばかりか、明日への力を欠いでしまうことになります。
日ごろ、飾りたてたことばを聞くのはあまりよい気持ちがするものではない、まして、粗野なことばはなおイヤなものです。
万事、世の中は要領よくやることだ、という人があります。
しかし、その人は、真の幸福を味わえない人だと思います。
自己をあざむく人は、やがて、人をもあざむき、その目にはいつも疑う心が
培
(
つちか
)
われ、信用することのできない心になってしまうのです。
真の幸福を味わう人は、じつに、自己自身をごまかさない人であり、自己の足もとをよく知っている人です。
その人は、ことがらを伝えるのにも、誠意のこもったことばを発します。
その人こそ、今日の歩みの中に、法を心の糧として歩んでいる人です。
その人こそ幸福者と呼ばれるのです。
※『ひかりの言葉』
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