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法 話
☆☆
【 私の如是我聞 】
第110回
原因
(
げんいん
)
を修める
更新
2020年10月
『
成果
(
せいか
)
を望む人は、人間に
相応
(
そうおう
)
した重荷を背負い、喜びを
生
(
しょう
)
じ
賞讃
(
しょうさん
)
を博し安楽をもたらす原因を修める』
【『
経集
(
きょうしゅう
)
』】
成果
(
せいか
)
を望む人は たくさんおります。しかし、それに ふさわしい行を おさめる人は、 多くはおりません。
まかぬ種は
生
(
は
)
えぬといいます。
それは、人間の いとなみ において いつでも真実です。
私たちはよく、「お金さえあれば《といいます。しかし、心底から そう思い、そのためにできる限りのことをしたのでしょうか。
そうではありません。たいていの場合は、それは
愚痴
(
ぐち
)
にすぎないのです。
多くの人たちは これがなかった、あれがなかったと
嘆
(
なげ
)
くのですが、ほんとうの
原因
(
げんいん
)
は 彼らがそれを ほんとうには欲しなかったことではないでしょうか。
欲するということは、ほしがることではありません。
ほしがるだけで、それに
向
(
むか
)
って
指一本
(
ゆびいっぽん
)
動
(
うご
)
かさない。
それでは手に はいるわけがありません。
同
(
おな
)
じように、私たちは自分に
相応
(
そうおう
)
した
重荷
(
おもに
)
、
責任
(
せきにん
)
を
背負
(
せお
)
うことによって、喜びも生まれ、
認
(
みと
)
められもするのです。
人間としての
責任
(
せきにん
)
を
果
(
は
)
たすところに、その人の人間としての
品位
(
ひんい
)
もでてきます。
ポール・ヴァレリーは「わたしにとって
困難
(
こんなん
)
なことは、わたしにとって つねに
新鮮
(
しんせん
)
である《といっています。
安直
(
あんちょく
)
に手に入るものは、
大
(
たい
)
したものではありません。
人生
(
じんせい
)
において
価値
(
かち
)
あるものは、すべて それにふさわしい
代償
(
だいしょう
)
を
必要
(
ひつよう
)
とするのです。
※『ひかりの言葉』
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