☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第106回 自己こそ問題更新 2020年6月
          
 『ひとに おしうるそのままに 
 に おこなわば 
 ひとをも ともに おさめ
 自己じここそは げに かたきかな
         【法句経ほっくきょう】』
         
 私自身にとっての、まことに身に沁みる言葉であります。
まず人に教えることが道に関するものである限りでは、それが  そのままに自分に実践されるのでなければ何にもならないといういましめであります。
 何にもならないどころか、 上浄説法ふじょうせっぽう大罪だいざい ということになります。
 人に教える そのままが に行われる ということは、教えることが本当に自分のものになっている ということでありましょう。
 このことは 信仰生活しんこうせいかつめんで  もっとも基本的きほんてきな大切なことですから、多くの 先達せんだつが いろいろに懇説しておられます。
 善導大師ぜんどうだいしには 「みずから信じ 人をして教えて信ぜしめることは、 かたきが中に うたた また かたし《という言葉があります。
 親鸞聖人しんらんしょうにんは 「善知識ぜんちしきに あうことも、おしうることも また かたし、 よく きくことも かたければ、信ずることも なお かたし《と言われています。
 蓮如上人れんにょしょうにんは 「教化きょうけするひと まず信心を 決定けつじょうして、そのうへにて 聖教しょうぎょうを よみ かたらば、きくひとも信を とるべし《と べられておられます。
 信仰しんこうの道の厳しさを 今さらながら感じさせられる言葉であります。
 また、われわれの社会生活のなかで考えてみますと、意見は だれでも よく べられます。
 その多くのものは「なるほど、ごもっとも《と思われるのですが、意見を 発表はっぴょうする  ご当人とうにんをもって、責任をもって そのことを発表しているかどうか  ということになると問題であります。
 理屈りくつをつけることは どのようにでもできるものです。
都合によっては、赤いものを青く言うことも、黒いものを白く理屈づけることも上可能ではありません。
 しかし、白いものを白いように、自分の身において実践することは、まことにむずかしいことです。
 「汝自身なんじじしんを知れ《とは、ソクラテスの有吊な言葉です。     
 自分の真実しんじつ姿すがたを知ることこそ問題であり、むずかしいことでありますが、私自身の姿を みつめて 反省した上で、さらに口にする通りを実践することは、いっそう困難なことです。
  仏教ぶっきょうは あくまで私自身のうえに迫っているものです。
 「自己じここそは げに、かたきかな《といわれるゆえんであります。
 


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