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法 話
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【 私の如是我聞 】
第104回
中間を行なう
更新
2020年4月
『ひとえに
柔
(
やさ
)
しくても、またひとえに
厳
(
きび
)
しくても、自らを大なる地位にたもつこはできない。
だから両者を
併用
(
へいよう
)
すべきである。
柔
(
やさ
)
しいと
侮
(
あなど
)
りを受けるし、厳しすぎると
怨
(
うら
)
みを買う。
この両者を知ってその中間を行なうべきである。』
【「本 生《】
近ごろ人間関係ということが やかましく言われています。世の中が組織的になればなるほど、組織のなかの人間の あり方が問題になり、 人をうまく組織に のせてゆくことが必要になってきます。
「人の心を捉える法《とか「リーダーシップ《とか、いろいろと言われるわけです。
その職にある人は いま そのことで心を悩ましています。
このことばは、それについて重要なことを教えています。
ただ やさしいばかりでは かえって侮りをうけ、ただ きびしいばかりでは恨まれる。
だから その中間を行け、というのです。
ちょっと見ますと、たいへん常識的すぎるように思われます。
しかし中間とは、
柔
(
やさ
)
しさと厳しさを足して二で割るということではありません。
「この両者を知って《ということは、この両極端を こえて ということです。
これを こえた立場から、時に応じて
柔
(
やさ
)
しくも厳しくも対処することができるのです。
それは
柔軟心
(
にゅうなんしん
)
といわれるものであります。
もはや これは たんなる技術ではありません。
したがって定式化するわけにはいきません。
しかし、たしかにあるのです。
そういう つかみどころのないようなものでは困るという人は、その人自身が技術主義に
陥
(
おちい
)
っているのです。
じつは これあってこそ、あらゆる技術も生かされてくるのです。
では具体的に どうしたらいいのか。と
性急
(
せいきゅう
)
に聞く人があります。
その人は人間が精神をもった存在であることを忘れているのです。
具体的といいながら、その人自身はなはだ
抽象的
(
ちゅうしょうてき
)
であることを考えたいと思います。
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