《 本 堂ほんどう の 内 陣ないじん


本堂ほんどう 内陣の正面ないじん しょうめん


 

左脇壇ひだりわきだん 須彌壇と宮殿しゅみだん くうでん 右脇壇みぎわきだん

阿弥陀如来本尊あみだにょらいほんぞん
阿弥陀仏あみだぶつとは、極楽浄土ごくらくじょうどにあって、 大悲の本願だいひ ほんがんをもって、きとしけるものすべてを、 平等びょうどう救済下きゅうさいくださる仏様ほとけさまです。


左余間壇・左脇壇ひだりよまだん ひだりわきだん 右脇壇・右余間壇みぎわきだん みぎよまだん


親鸞聖人の熊皮の御影・蓮如上人しんらんしょうにん くまがわ ごえい れんにょしょうにん 親鸞聖人・七高僧と聖徳太子しんらんしょうにん しちこうそう しょうとくたいし


左脇壇ひだりわきだん 右脇壇みぎわきだん


蓮如上人れんにょしょうにん   親鸞聖人しんらんしょうにん
蓮如上人れんにょしょうにんは、 本願寺第8代宗主ほんがんじだい だいしゅうしゅで、浄土真宗本願寺を再興じょうどしんしゅうほんがんじ さいこうしました。 また、門徒もんとには、おしえをわかりやすく書いた手紙か  てがみ を、多く送おお おくられました。それらの手紙てがみくをつづったものは、 「御文章ごぶんしょ」「御文おふみ」とよばれ、 現代げんだいにいたるまで、拝読はいどくされています。   親鸞聖人しんらんしょうにんは、浄土真宗の宗祖じょうどしんしゅう しゅうそです。
根本聖典こんぽんせいてんである『顕浄土真実教行けんじょうどしんじつきょうぎょう証文類しょうもんるい』 《教行信証きょうぎょうしんしょう》をあらわし、 「大無量寿経だいむりょうじゅきょう」が「真実の教しんじつ おしえ」であるとし、阿弥陀如来あみだにょらい本願ほんがん真実しんじつおしえで、「浄土真宗じょうどしんしゅう」であるとしめされた。


左余間壇ひだりよまだん 右余間壇みぎよまだん


親鸞聖人の熊皮の御影しんらんしょうにん くまがわ ごえい 七高僧しちこうそう 聖徳太子しょうとくたいし
     
熊皮の御影くまがわ ごえい』は、「かがみの御影ごえい」 「安城御あんじょうのごえいえい」となら親鸞聖人しんらんしょうにん三御影さんごえいひとつです。
深い墨染の衣ふか すみぞめ ころもこい黒袈くろけをかけ、 白絹しろきぬ首巻くびまきをし、たたみうえ熊皮くまがわいてしている。 この敷物しきもの熊皮くまがわから名称めいしょう由来ゆらいがあります。
右上隅みぎうえすみには、六角堂参籠ろっかくどうさんろう夢告むこくぶん、 「行者宿報ぎょうじゃしゅくほう設女犯せつにょぼん 我成玉女身被犯がじょうぎょくにょしんびぼん   一生之間能荘厳いっしょうしけんのうしょうごん 臨終引りんじゅういん導生極楽どうしょうごくらく」が、かれています。
七高僧しちこうそうは、親鸞聖人しんらんしょうにんが、 真宗相承しんしゅうそうじょう祖師そしとして、選定せんていされました。

・龍樹菩薩
 (りゅうじゅぼさつ)
・天親菩薩
 (てんじんぼさつ)
・曇鸞大師
 (どんらんだいし)
・道綽禅師
 (どうしゃくぜんじ)
・善導大師
 (ぜんどうだいし)
・源信和尚(僧都)
 (げんしんかしょう(そうず))
・源空(法然)聖人
 (げんくう(ほうねん)しょうにん)
聖徳太子しょうとくたいしは、飛鳥時代あすかじだい政治家せいじかで、 摂政せっしょうとして活躍かつやくされました。
大陸文化たいりくぶんか導入どうにゅう仏教ぶっきょう興隆こうりゅうくされたかたで、親鸞聖人しんらんしょうにんは、 「和国わこく教主きょうしゅ」とあがめられ、尊敬そんけいされました。
親鸞聖人しんらんしょうにんは、救世観音ぐぜかんのん六角堂ろっかくどうにこもり、 聖徳太しょうとくたい夢告むこくをうけられて法然上人ほうねんしょうにん のもとをおとずれる決意けついをさたとわれています。
そのように、親鸞聖人しんらんしょうにんにとって、とても大切な方たいせつ かたであった聖徳太子しょうとくたいしを、おうやまいするものです。


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