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2025年7月
第165話
朝事*
住職の法話
「今
死
し
んでゆくこと」
住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
今月は「今
死
し
んでゆくこと」という題にしました。
「わが名を称えよ 念仏者松原致遠師の心あらう話 櫛谷宗則編」柏樹社 という本に次のように書いてありました。
『かって江州
綺田
かばた
源通寺の
禿和上
とくわじょう
に参じ、悩みを訴えたとき「今死んでゆくことを知って居るか、死ねば悪道へ堕つるということを知って居るか、それを知らいでの聴聞は何もならぬ」と 仰せられて、私の悩みに対しては、それを取り上げもなさらず、それに対して答えることもなさらなかったのである。
求めるものは与えず、求めざるものを与える。
その綿密なる化風今に頭の下がることである。
私は岐路をあるいていたのである。それを一すじの西へゆく道へ引き出してやろうとしての悲心から、こういうことばが発せられたのである。
それが分からなかったのである。つまり必然に問題とすべきを問題としていなかったのである。
親鸞聖人が難度海といい、無明の闇と名づけられた、自己そのもの、人間性、人間の生き方、人生のありがたさという、宗教するものの必然に問題とすべき根本的の問いを持たなかったのである。
踏み出しがまちがっていた。
こういう啓示はそれへ振り向かせる機縁を与えんとしての
善巧方便
ぜんぎょうほうべん
であったのではあるまいか。
「我」の要求を要求する態度の、根からの誤りなるを自覚せしめて、如来の要求を聞く立場に立たせるためであったのではあるまいか。
西に向かってゆくという以上、西以外の一切のもの、即ち現実人生そのものが背後に負われてあらねばならない。
人間性、人間の生き方、人生のあり方が、その西へゆく人によって負われてあるのでなければならない。
出離生死
しゅつりしょうじ
この一切の苦悩の有情(うじょう)がもつべき願いが、彼の内に入って彼を照らし、彼を動かしていなければならない。
先に記せる綺田の和上が「いま死んでゆくことを知っているか、死ねば悪道に堕つるということを知っているか」と仰せられたとき、そこで私の人生のおもむく処を考える という立場に立つ、即ち西に向かいてゆく立場に立たねばならなかった
筈
はず
であった。
しかし私は、そういう内観によって起こる内的必然の要求を発起する
契機
けいき
を恵まれず、ただ死後の往生を決定する方法を求めに行ったに過ぎない。
今死んでゆくことを知って居るかと問われて、すぐ死後、ゆく先を考えるのは、たしかに功利主義である。
いつ死ぬやら分からぬという立場においてこそ、死後は問題であるべきである。
それが今死んでゆくとなれば、道徳的責任観念のあるものならば、必ず過去一切の行業が問題とならねばならない。
私にとっては、綺田へ参じてのち十余年にして得た
垂死
すいし
の病中において、はじめてそれを自然に知らせて頂いた。
あと二か月の寿命なしと覚悟したとき、物ごころおぼえて以来の、千万の違逆の行動は、千恨万悔となって、猛然として私を襲い、昼夜ただ悔いと恐れとだけで暮らしたことである。
この罪障をつぐなわずして、死んでも死にきれないという感じに悶えぬいたことである。
このとき綺田の和上が、今死んでゆくことを知っているか、死ねば悪道に堕つるということを知っているかと仰せられたおことばが躍如として蘇って来た。
そしてそれが痛切に胸に響いた。
西に向かってゆくは人生の最後の清算をする決心である。
しかし西とは人生より高次のものであるから、西に向かうことは、おのずから、人生そのものの価値の否定判断である。
しかし、またそれは歩み来れる人生の歩みの中に立ちどまって、過去をふりかえって、そこに自我中心の人間生活の無意義と反価値とを発見しての上のことでなければならない。
故にそのときは、西以外のすべてが、問題として、うしろに負われてなければならないのである。
そのすべてと言われるものは、過去の罪障を負える自己であり、その罪障を生み出す自己によって代表せられる人生そのものである。
そして外に求めていたものが、内に求める立場に立つことにおいて発見したる、自己の内面の光景、つまり内観によって無限への道が開けるのであり、これ以外の道は、一切岐路であり、或は邪路である。
何ごとも念仏の助縁であるというところに、そういただくところに、この難度海といわれる人生に随順し、またそれを超えてゆく勝縁が恵まれ、またそういう自我の態度が、 念仏往生という体験を生み出すのではないか。
念仏すれば往生するにはちがいないのであろう。念仏がすでに往生を約束されたる
正定業
しょうじょうごう
でもあろう。
それなればこそ念仏というものが人生と切り離せず、我ら
五濁悪世
ごじょくあくせ
の有情が濁悪なるままで念仏に貫かれて念仏行者となり、これながらにしてすくわれてゆく道があるのではないか。
念仏すれば往生するというは浄土教の通念ではあるが、それは決して個人が念仏して個人が往生するというのではない。
人生そのものが、念仏を申さずしては、過ぎゆけぬ難度海なのではないか。
勿論、心というものを問題にしなかったら、念仏なくしてこの世を過ぎてゆけるであろう。
しかしそこには、念仏というもののない心の国では、ただばらばらの人生の、否、社会の現象があるばかりである。
人生は内であり、社会は外であるさまざまの事象の連続があるばかりである。
もろもろの事象が電信柱の如く過ぎてゆき、五十年、七十年、ただ過ぎてゆき、過ぎて来た、それまでである。
虚生である。人生という生命の体験には暗と光との感情がある。
暗を発見し、光に遇ってゆくところに、限りなき向上、即ち往生の道があるべきである。
ただ過ぎてゆけば人生の無意義という淋しさがのこるばかりである。
もしまたあるいは、
凌
しの
ぎがたき苦難が、波瀾の如く、峻峰の如く起きてきたらどうするか。
この苦難を外的にしのぐことは出来よう。これが人間の文化である。
蓮如上人は「
苧
からむし
をうみうみ念仏を申さず、念仏を申し申し
苧
からむし
をうめ」と仰せられた。
【苧(からむし)→植物、茎皮は縄を作るのに用い、繊維は布を織るのに用いる。】
これは仏法を本とし世間を客とせよと示したもうた蓮師のおのずからなる慈誡である。
しかし念仏する以上、その念仏は、我等から生れるものではなく、弥陀の御催しである。
われが念仏するのではなく、念仏するというすぐれた強い縁のうちに、この我らがつつまれてあるのである。
この御縁という不思議な大きな網の目からこぼれたら、このからだを
倒
さか
さまにぶらさげて、からだ中をしぼり上げたところで、血こそ出ようが、念仏という無上
功徳
くどく
の生れいずる余地はない。
念仏とは我らよりも高次なるものが、我らに臨まるる否定の光である。
「法身の光輪きはもなく、世の盲冥をてらすなり」(浄土和讃)
この光輪自身の顕現が弥陀の名号である。
念仏してみずからを世の盲冥と知らされ、照らされるみずからを発見するとともに、照らしたもう心に、おのずからにして、我と求めざるに遇うのである。
苧
からむし
をうむときも照らされているのである。常照護である。
照らされてあるゆえに
苧
からむし
をうみつつも念仏申すのである。
苧
からむし
をうむという資生産業も、念仏申すによって不背実相であるのである。
苧
からむし
をうむのも、単にうむのではなく、
苧
からむし
をうみうみ念仏申すことにおいて、それは与えられた仕事である。
また念仏も、この世の経営万端と切りはなして申す独善の行ではなく、
苧
からむし
をうみうみ申せばこそ、与えられたる正定業である。
すべてこれありがたい縁である。
苧
からむし
をうむのも、大きなものとつながればこそうまれ、念仏申すのも不可思議の御はからいの中なればこそ 申されるのである。
香樹院
こうじゅいん
曰く、「今までいのち長らえたのが不思議じゃ」
一切が不思議である。
三千大千世界
さんぜんだいせんせかい
のあるのも不思議であり、我の生きているのも不思議である。
いわんや
選択本願
せんじゃくほんがん
の
名号
みょうごう
を与えられて、これを
称
とな
えたてまつる身にまでおそだて
蒙
こうむ
ったこと、不思議の中の不思議である。』
【「わが名を称えよ 念仏者松原致遠師の心あらう話 櫛谷宗則編」より抜粋】
深く無常を念じて仏法を聞くことが基本であると、肝に銘じる次第です。
無常と因果を念じて、「罪」を思えば、どんなことがあっても聞かずにはおれないはずなんですが、罪を罪とも思っていないから、のんびりしているのでしょう。
私自身のことです。
しかし、病気になり、病院に入れば、「無常」は「待ったなし」で襲ってきます。
無常を忘れて、仏法聴聞はない!それを松原致遠先生は教えて下さっている。
ある先徳は「死の解決が 生の解決になる。それが大きな滋養になるのだ。」と言われました。
念仏者の
榎本栄一
えのものえいいち
さんが、この本の序文を書いています。
『今から六十年くらい前になりますでしょうか、松原致遠先生の短い文が、朝日新聞にずっと連載されていたことがあります。
それが誠に清新な感じで、これまでの宗教の型にはまらない目を見張るような言葉が息吹いておりました。
それが松原致遠先生を知った初めであります。
その後、
西本願寺
にしほんがんじ
の
津村別院
つむらべついん
で先生の法話があることを聞いて、私もその末席を汚させて頂くようなことになりました。
といいましても、私はただ黙ってお話をうけたまわり、また黙って帰るだけで、一度も先生と言葉を交わしたことはありません。
しかし、その当時のことが、何十年たっても今だに鮮明に心に残っております。
松原先生は暖かい方でしたが、お顔は親鸞様の厳しさにも似て何かこう少しいかつい感じがあり、雄弁ではなくむしろとつとつと語られるところに不思議な魅力があって心に沁みこむ気がいたしました。
その折、の私はまだ念仏さえ称えておりませんでしたけれど、それから何十年もたって、松原先生もお亡くなりになり、他に縁のあった先生方もお亡くなりになった その頃から、思いもかけず私のなかからひとりでに念仏が生まれるようになってまいりました。
そして、念仏申せば自分が見える、自分が見えるということは自分の煩悩が見えるということが、おぼろに感じられて目の前に一本の細い道が開けてきました。
それが先生のおっしゃっていた智慧の念仏、内観の念仏でありました。
内観とは自分の煩悩が照らされることです。自分の煩悩が照らされて、その煩悩を阿弥陀様にお任せして、流れるままにひっかからず手放しているのが往生浄土の道であるとお説き下されたのは 致遠先生しか私は知りません。
念仏申せば内観深まり、内観深まればいよいよ念仏申される、申しながら深まりながら申しながら という そこが今回この著作を拝見いたしましても、ただ一つの眼目に違いありません。
そしてそれが私を生かし、今日を新たに歩ませて下されるもとのもとの力になっているのであります。
一般にいわれるように、浄土があり、阿弥陀さまがあり、罪悪深重のどうしようもない我があり、それを本願によってお助け下さる、こういう道具立てがそろっていて分かりやすい。
それに反し、念仏申したら自分が見える、自分が見えるとはもろもろの煩悩が見えること、その煩悩はといったらいのちから湧く霧みたいなものだというのでは、何やらつかみ所がない。
アア思いコウ思い、アイツが悪いコイツが憎いという、そんな煩悩が見えていたらそこから助かるみちがあると、こういっても、これはどうも有難い道具立ても立派な目標もなく、世間の人には分かりにくい。
しかし、私のいのちに響くのは、そういう
目標
アテ
のない内観、ただ念仏申せばただ内観深まるという内観、色もない形もない南無阿弥陀仏だけなのです。
そのギリギリの所をいま一言でいえば「見える」ということでしょう。
誤解を恐れずにいえば、見えてさえおれば何をしても、何をさして頂いてもよろしい。
見えてさえおれば右へ行ってもよし、左に行ってもよし、結局「見えておる」ということが一番大事で、これより他の有難そうなことはみんな付属物にすぎません。
ただそう言うと、自分が賢くて見えておるような気分になるから私には危ない。そこでお照らしをこうむっているというほうが私にはしっくりする。同じことです。
宗教の救いというものは、ただこの「見えておる」ということに尽きるのではないでしょうか。
そして松原先生のお説きになった智慧の念仏の極意こそ、この「見えておる」ということなのです。
念仏申して内観深まり、その内観から生まれてくる智慧というのは、ただこうして自分が「見えておる」という一事に尽きるのだと、いよいよ深く知らせて頂いております。』
【「わが名を称えよ 念仏者松原致遠師の心あらう話 櫛谷宗則編」】序文より。
榎本 栄一さんは、仏教詩人で、 兵庫県淡路島三原郡阿万町生まれられ。五歳の時大阪に出て来られ、父母は小間物化粧品店を始められる。
高等小学校卒業の頃に父が死亡。19歳の頃から母と家業に精を出された。空襲で淡路へ逃れた後、大阪へ戻り知人の店舗化粧品部を担当された。
1950年東大阪市で化粧品店を開業された。浄土真宗に帰依して念仏のうたと称する仏教詩を書く。1994年仏教伝道文化賞を受賞された。
こういう世間の片隅につつましく生きる一介の念仏者である榎本栄一さんが、これだけ深みのある序文を書かれることを驚きをもって読ませて頂いた次第です。
実はこの「わが名を称えよ 念仏者松原致遠師の心あらう話 櫛谷宗則編」という本を私に下さったのは、私の恩師でもあり、一生を浄土真宗の道に精進された念仏者のお婆さんでした。
近所に住まわれていた普通のおばあさんです。この本には、いたるところに、お婆さんが赤線を引いておられ、ここが大事なところなんだよと、教えて下さいます。
また、書き込みもしてあります。 少し紹介させて頂きます。
『「これによれ、これにたよれと み佛は 我が為 み名をさずけましけり」
「我が名を称えよの、仰せなり」
「いつまでも 露のいのちを永らへて 弥陀のお慈悲を 聞くぞうれしき 南無阿弥陀」
「不可思議の大いなるものに つつまれて万死のうちに 生きしこれの日に 致遠師」
「智慧の光明に遇いぬれば」「如来とひとしと 説き給う」云々。
智慧の光明は、仏智より廻施せしめられる賜りものなり」
「我れ称え」(廻施せられし願力)「我れ聞くなれど 南無阿弥陀。つれてゆくぞの、(成就の上のお力)親のよびごえ」真実心 これ一つでたすかるのである。」
「座右におきて毎日拝読を」
「今の自己内容 自己の行動に対する悔恨つきず 求むべき重大なり 我の後生の一大事なり 後生の一大事を客観していて その大事を今こそ知る」御廻向のお慈悲なりけり」
「久遠古成の阿弥陀如来 陰と成り 日向に成りて 念じづめの 親さまで、ましますなり」
「本願に 立ち戻り立ち戻りして 幾十年 親に出逢うて安堵する」
「むねせまり やるせなき時 ただ一人 まことの慈悲の み親たのもし」
【有難いお婆さんの書き込み】
榎本栄一さんの言葉にも、「松原致遠先生が亡くなられて、何十年たっても、その当時のことが、今だに鮮明に心に残っております。」という言葉がありますが、これは不思議なことだと思いますね。
仏法の教えそのものが時間を超えているからでしょうか? 聞いた仏法は色褪せないのですね。不思議な事だと思います。
また、その当時は気づかなかったことが、何年も経ってから気づいてくるということが、榎本栄一さんの言葉から感じられます。
「親と師匠の言葉は 後から効いてくる。」ということなのでしょうか?
『一句の法も「金石に刻みつけたごとく」残っているものであるから、法は煩悩の裡にまじりおうて どこかで自分を照らしていて下さるのである。
三世十方にみつる名号の光に照らされて、まことの心なき身の照らし出されるとき、一切群生のかえりゆくべき故郷がほの見える。純粋久遠の親心こそ、われらがかえりゆくべき故郷である。』
というお言葉のように、分かろうが、分かるまいが、仏法の教えに触れていると、私は忘れていても、仏様の教えは、私の知らないうちにも、私の中に残って働いていて下さるのでしょう。
仏教では
感応道交
かんのうどうこう
ということを言います。ある辞書に、おおよそ次のようなことが解説してありました。
「衆生に機縁があれば仏の力が自ずから応じ、衆生の感と仏の応とが互いに交じり合うこと。さらに、師と弟子とが相投合することもいう。
阿弥陀仏の慈悲の心は常に躍動し、衆生の願心の起こるところの時間と空間の隔たりを超えて必ず、相応じ、仏・凡ともに交じり合うのであります。
善導太子は『観経疏』定善義で、念仏するものについて親縁・近縁・増上縁の三縁をあげて説かれています。
月は天上にあって高く、水は地上にあって低くとも静かであれば、その距離は遥か遠くても、天上の月は如実さながらに影を水辺に映すと言う。」
人それぞれ、色々なご縁によって、人それぞれ違った形で、仏縁に遇うということなのでしょうか?
人それぞれに、仏さまの心とのふれあいがある。感応道交というものがあるということでしょうか。
他人に法話するということも、中々難しいことですよね。先ず、親鸞聖人が伝えて下さったことを正しく伝えなければなりません。
「観無量寿経」には
不浄説法
ふじょうせっぽう
ということの罪深さを説かれています。
自分が親鸞聖人の教えを正しく伝えているのか?!ということを常に反省し、御聖教を見る習慣をつけたいものです。
ある和上は「聖典は御飯のようなもの、法話はおかずのようなものだ。」と教えられました。
おかず だけでは飽きて来ます。御飯だけでも、おかず が欲しくなります。
不浄説法について、昔から「坊さんの行く地獄は、もう一つ怖いんやで。」ということを、昔から言ってきたようですね。
そりゃ、他人を迷わすようなことを法話で言ったならば、他人を案内して崖から突き落とすようなものですからね。
それじゃ坊さんを辞めたいと言うのではなく、少しでも、親鸞聖人のお心を間違いないように伝えるために、「御聖教」「聖典」を常に拝読して、親鸞聖人のお言葉に触れて、 研鑽していかなければならないわけですよね。
「学仏大悲心」といいますが、「仏の大悲心を学ぶ」といいますが、「先ず自分自身が仏心に触れることが大事だ。」と先徳は言われてあります。
仏さまは水臭い仏さまではない、その暖かい仏さまの心に触れることが大事だと言われています。
南無阿弥陀仏
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称名』
☆☆法語☆☆
*世間の火は家を焼く、
心の火は身を焼く。
心の地獄の火は、我が身を焼く。
*地獄の猛火は、剣山刀樹
(人をつきさす心)も我が胸にあり。
仏前においてすら、造悪の
(悪をつくる)の念もとどまらず、
とても地獄は一定すみかなり。
*死ぬるは今何年あろうと地獄は
いつも足の下なり。
【香樹院師】
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い」
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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