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2025年8月
第166話
朝事*
住職の法話
「私が
救
すく
われる道」
住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
今月は「私が
救
すく
われる道」という題にしました。
親鸞聖人の言行録が記してある「歎異抄」という書物に、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
というお言葉がございます。
親鸞聖人は、「ひとえに親鸞一人だ為なりけり」と言われ、自分自身に、阿弥陀さまのご本願を受け止め、味わっておられます。
「一人が為なりけり」というのなら、親鸞聖人だけが救われるご本願なのか?という問いが起こってきてもおかしくはありません。
しかし、ある和上の講義から、自分自身に本当に救いを頂き、「わたし一人」に、深く味わうということが、公の道、普遍性の世界につながっているのだと教えられました。
自分自身が真に救われていない人の話を誰れが聞きたいと思うでしょうか?そんな 単純な当たり前と云えば当たり前 過ぎる真理がこの言葉から味わえることであります。
『いのちの夜明け」【ブラジル・念仏布教の旅 江本 忍 樹心社 出版】という書物から、全文引用すると、長くなりますので、すいませんが、少し抜粋させて頂いて、共に、仏縁を頂きたいと思う次第です。
このブラジル布教の旅の発端は、平成元年、ブラジルから、上口ふじの仏教婦人会会長を筆頭に、36名の同朋方が東本願寺へ上山奉仕に来られた時、東本願寺に勤めておられた、東本願寺派の僧侶の江本 忍師が、お役目として、二泊三日共に生活されました。
その時の仏教婦人会長が上口 ふじの さんでした。
その上口 ふじの さんの三男の稔さんが42歳で亡くなられました。それを手紙で知った江本 忍師が、今度は私の方がブラジルに行かせて頂こうと思われ、村上博明さん等と一緒に、 6月末から7月中旬にかけて、ブラジル布教の旅をされた内容が、法味豊かに、書かれていました。
私自身、この本から、心に響くことが多々あり、色々と教えられました。
先ず、江本 忍師から上口 ふじの さんへの手紙に次のように書かれています。
『南無阿弥陀仏 境内の桜の老木が満開です。一切が如来様、親様の一大不可思議の偉大な働きの中で生かされています。
「真っ暗闇の中では、ローソクや電気が必要である。しかし、真実信心の親心の太陽が出たら、ローソクも電気もいらない」と。
先ず、自力であろうが他力であろうが、お念仏して下さい。次に、お念仏の心、すなわち、他力廻向の真実信心です。
親心
おやごころ
の太陽が出たら、自力の方便は自ずと捨たるのです。
星野富弘さんという、首から下が全く動かず、口だけですばらしい絵と詩を書かれている人に、次のような詩があります。
生命が一番大事であると思っていた時、生きているのが苦しかった。
生命より大切なものがあると知った時、生きているのがうれしかった。
星野さんはクリスチャンですが、浄土真宗では、生命より大切な世界とは、ご本願の世界です。他力の世界であり、お浄土の世界です。
ご本願に生きる時から、念仏が他力の念仏になり、お礼の念仏となって来ます。
他力の念仏の根源はお浄土の世界。無量寿 無量光の世界から来ているお念仏であります。
人間世界から出る念仏ではありません。浄土から人間世界に
顕
あらわ
れる念仏であります。ですから、光明から出発する人生、生活となって来るのです。そこを、先祖たちは、
帰命尽十方無碍光如来
南無不可思議光如来
といただいたにちがいありません。
私は小学校のころから寝つきが悪く、闇が恐くてよく泣きました。
ふと感じました。「あの時、あんなによく泣いていたのは、闇の中で、次々と湧いて来る得体のしれない妄念、妄想にふりまわされて、 恐怖心と不安とで泣いていたのだなあ」と。
大人になってからも、ご本願に遇うまでは同じことだったのです。
とぎれとぎれにお念仏が出て下さいます。妄念、妄想の中でも、心が落ち着いています。
ご本願という、偉大なる慈光の光明が心にさしているのだなあとかすかに感じました。眠れないこともご縁となりました。
大石先生は、
生老病死
しょうろうびょうし
がそのまま救いとなり、生老病死に落ち着けるとお教え下さいました。
病も死もお育てであります。有縁の人の死は、はかりしれないお育てとお教えを、生きている人に廻向してくれます。
上口さんが、深くご本願に帰命して、信心が深まっていくところに、稔さんの死を正しく受けとめる世界があると思います。共にご本願の道にすすんで行きましょう。
「今日、一日の生活が、浄土への旅である」と、お教え下さいました。一日一日がお浄土からの、真新しいご廻向の一日であります。
ご本願は光からの世界であり、大自然の法でありますから、落ち着きと、ゆとりが自然に出て来ます。
ご本願の生活は、絶対に行き詰まりのない生活であります。
今度のブラジル行きのご縁も、私に深くご本願に「帰命せよ」との、ご本願のおはたらきと受けとめます。
自分には、何の能力も、決断力もありません。ご本願が稔さんや、大石先生や、同行さんたちの背後にはたらいて、ご本願に押し出され、引っぱられていく感じであります。
一筋に貫かれているご本願の道であります。だれも止めることはできないでしょう。
お浄土は光明界からの出発。
穢土
えど
は
無明界
むみょうかい
からの出発です。如来様、親様に十分に使っていただきたい願いであります。どうかよろしくお願い申し上げます。 南無阿弥陀仏
大石先生は、
「散る花を追わず、出る月を迎えていく」
と、お教え下さいました。人情にふりまわされず、過去に生きるのでなく、今日、今日、お浄土からの一日を、前向きに、お浄土へお浄土へと歩んでいくのであります。
蓮如上人
れんにょしょうにん
も、
人間は不定のさかいなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがうべきなり。【「お文」】
と、お教え下さっています。この世はつかの間です。仮の宿です。だから大事にします。
でも、本国はお浄土であります。
「
帰命
きみょう
から、帰るところ、住するところ、出発のところが、すべてお浄土の世界になります。
お浄土は始めもない、終わりもない、永遠の常住の世界です。変わらない世界です。
この世は諸行無常です。変わりづめです。変わらないお浄土を依りどころにしましょう。
帰るところはお浄土であります。出発もお浄土であります。そして、現在の今日の生活にお浄土の
功徳
くどく
を
賜
たまわ
るのです。』
『いのちの夜明け」【ブラジル・念仏布教の旅 江本 忍】
※「今日、一日の生活が、浄土への旅である」と、お教え下さいました。一日一日がお浄土からの、真新しいご廻向の一日であります。※
という言葉があります。臨終とか、死んでから後に、お浄土や阿弥陀様に初めて出遇うんだと、無意識に思い込んできたことがあるのではないだろうか?
そんなことが、反省されます。
『ここで、村上博明さんがお念仏の教えにご縁を結ばれたいきさつを紹介します。
昭和二十年生まれの村上博明さんと妻勝代さんとの間に誕生した長男の剛君は、生まれながら知的障害者です。
村上さんの父親は酒好きで、よく
酒乱
しゅらん
となり家族に暴力をふるったそうです。特に母親に当たったそうです。母親へのコンプレックスが因であったのです。
母は働き者で、戦後の闇市で
八百屋
やおや
を営み、のちにパン屋を経営されました。
村上さんは幼い頃、母親の苦労している姿を見て育ちました。母親を喜ばせるために、一所懸命に勉強されて、熊本大学法学部に入学されたのでした。
長男の剛君が誕生してから、一家全員で毎月一度、病気直しの神様に ご
祈祷
きとう
をしに十年間かよったのでした。病気はよくなりませんでした。
そして、尊敬する母が胃癌で手遅れのために亡くなりました。
「悪いこともしていないのに、一家のために懸命に働いて来たのに、なぜ、残念、無念という思いを残して死んでいったのか」
深い問いを残して、お母さんは亡くなられました。「葬式は浄土真宗の寺でしてくれ」との遺言でありました。
村上さんは依りどころを失いました。
「今の自分がいくらがんばっても、母ほどの仕事はできない。その母が無念という死に方をした。自分はこのままの方向でよいのだろうか」
だんだんわからなくなり、仕事をする気力がなくなってしまったのです。
妻の勝代さんとは、剛君のことについて話し合っても、どうにも心が通わない。仲よくしようとすればするほど、お互いに越えられない心の溝が見えてくる。
話せばわかるのにすれちがってしまう。
悩みが深まる中で、寺の法要にお参りしたのです。
その時、元気のよい布教使さんに出遇いました。講師室にお尋ねしていろいろと話し合っている時に、 「大分県に年は若いが元気のよい僧侶がいるので、会われたらよいですよ」と言われたのです。
会えなくてもよいから、どんな寺か、寺だけでも見に行こうと思いたって、奥さんと出かけたそうです。
そして、境内でたまたま出遇ったのです。まさか一緒にブラジルに行くことになろうとは夢にも思わなかったことです。
村上さんは息子さんを
剛
つよし
君と呼びます。
村上さんがおっしゃいました。
「今、剛君や母たちのお陰で仏様の世界に出遇いました。仏様のお心を通して家内と心が通じて来ました。家内にも申し訳なかったと思います。
剛君が教えてくれている広い世界を、まだまだ充分に味わっていませんが、一緒に歩いて行けます。歩きつつ、お浄土の世界が少しずつ広がって来ます。
剛君はわたしの闇を照らしてくれる仏様、光でした。助けようと思っていた私を、逆に助けてくれました。これもご本願の教えのお陰です」と。
それは私自身の問題でもありました。子どものことや、妻のこと、家のことなど全くかえりみずに、仏法という名のもとに自分の思い、我を通そうとして来たのです。
大石先生にお遇いして、その誤りがはっきりと照らし出されたのでした。
我の入った、言葉の世界に止まっている、狭い仏法の世界であったのです。無意識の深い世界にひそんでいた、自分では絶対に認識できない自我、その自我が宗教という名のもとに、家庭や寺や仕事を 思い通りにしようとしていたのです。
思い通りになると思い、思い通りにしたと思っては有頂天になったり、思い通りにならんと腹を立てていたのです。
しかも、そういう素振りを見せないようにして、宗教論理、言葉でごまかしていたのです。そんな自分に私は全く気づかずにいたのです。
思う通りにならなくて、よかったのです。なったらご本願に聞いていくことをしません。
思い通りにならない故に自分(悪人)との出遇いがあります。一切が親心のお慈悲のおはからいでありました。このたびのブラジルのご縁も。 』
『私は、大石法夫先生にお遇いして、自分の偽せ者がはっきりと照らされました。これまでの、勉強した、聞いた、わかった、よろこんだという世界、人にも語ってきたよろこびの世界は 無意識のうちに「我」が入っていて、狭く、小さく、池と海のちがいでありました。
全く、大きさ、深さ、広さがちがいました。これまでのよろこびの世界は我のよろこびの世界は我のよろこびを依りどころとした、相対的よろこびの世界、学問、知識の 人間の理解の世界に止まっていたのであります。
ご本願を依りどころとした、お浄土の世界の生活が抜けていたのであります。
したがって、私にとりまして「帰命」ということはこれからでありました。ブラジル行きも、深く「一念帰命の信心をいただくため」また、深くお育てをいただくためと変わって来ました。
本当に深くご本願を信じているのか、お浄土を深くいただいているのか。生活を通して、一つ一つ、一日一日と実験、実践であります。
実践を通して身に知られますのは、恥ずかしきかな、かなしきかな、我欲の世間心、人情、自我からのはからいが、本当に深く根から切られていなくて、自我からのはからい心をたよってしまうことです。
それで取り越し苦労が多く、決断がおそく、人情にふりまわされて、疲れて来たのであります。
いつも、相手より高い立場に立ち、対立関係のところから、人に教える説教、人に聞かせ、説明し、わからせる説教をして来たのであります。
助かること、救われるのは相手であったのであります。自らが助けていただいていること、救われること、自らに聞くことが抜けていたのであります。
私は自分とご本願とがピタリとなっていなくて、ずれていたことがはっきりと思いしらされました。信心なく、疑いしかない自分が照らし出されたのであります。
信心も、よろこぶ心も、智慧も慈悲も、願力も、すべて如来様の方、お浄土の方にあったのです。
「生命をかけ、人生をかけるから、人生全体が光の中によみがえって来る有難い道です」との、大石先生の求道姿勢。
私は生命をかけ、人生をかけると言いながら、浅い思いのところで安住していたにすぎなかったのです。だから、思いや感情のところで満足し、カラ回りしていたのです。
大石先生は一言もお叱りのお言葉はおっしゃらないのですが、高上りの私を照らし、本や知識にしがみつき、人より勉強したというところからお聖教をたてにしていい気になっていた我が姿を 照らし出し、落として下さったのです。そして深くお念仏の方へ、ご本願の方へ、お浄土の方へ押し出し、お育て下さいます。
このたびのブラジル行きは、わたしにとりまして、一つの生命がけの実践であります。
「帰命」は、人間から、自分からする、またでき得る世界では絶対にありません。
如来様から、一如の世界から、発願廻向される世界なのです。
阿弥陀仏のおはたらきは、「帰命」する衆生を、無条件に助けたまえるおはたらきです。「行」とは「帰命」の門から開かれる、仏恩報謝の念仏生活です。
「弥陀をたのませる」如来様の親心、ご廻向のところにお浄土の功徳がはたらいて下さいます。
一日一日がお浄土への歩みであります。如来様が呼んで下さり、仕事を与えて下さいます。』
【「いのちの夜明け」江本忍 】
人生の苦悩が、そのまま仏縁につながっている、苦悩は苦悩のまままではなく、仏縁への大切な梯(かけはし)になっていることを教えられ、勇気を頂きますね。
『人間の悩むのは、人と人との間の人間関係です。
人と交わっていて、カチンと来ることがよくあります。
どう考えても、自分は善くて、相手が悪い時にカチンと来ます。その逆はカチンと来ません。相手の方がカチンと来ています。
カチンと来た時、すぐ相手を責めます。口で言わなくても、眼や態度でわかります。
私も気が短い方で、押さえきれなくなってはすぐにぶつかりました。今でもその根性やはたらきは変わりません。でも帰る世界があるのです。
自分の正体を思い知らされましたから、お浄土の満足の世界に、すぐの時もありますし、しばらくしてからの時もありますけれども、帰ることができるのです。
ただ相手を責めている時は苦しいです。その時の心は、仏様の智慧から見ると、善悪のものさしで相手を責めています。
自我心の高いところに立っているのです。その心は不平不満の心であり、常にまわりの人の欠点ばかりが見えてしまう心です。
その心の奥底に自我という、固くて、冷たい氷の心があるのです。
お釈迦様は無明の心、闇の心ともいわれました。そこから、いつも、ものを考えたり、見たり、行動したりすることによって、相手の氷の心とカチン、カチンとぶつかっているのです。
仏様の智慧の光明は、まず自分の迷いの正体を照らし出します。
迷いの因は、相手やまわりでは決してなく、どこまでも、こちらの自我と煩悩が原因なのです。相手は縁にすぎません。
因がこちらにあると目覚めたら、相手はご縁となって、諸仏様だったと 相手にお礼が申されるのです。
縁をご縁といただくところ、お陰様で、といただけるところに、姿、形なき仏様のはたらきがあるとお教えいただきました。
因が、出発が、こちらの氷の心、すなわち無明であり、不浄であり、不平不満の闇の心ですから、見るもの、聞くもの、ふれるものが、必然的に愚痴と不平不満の対象になって来るのです。
人間は相対的にしか物事を考えられませんから、絶対の満足、絶対の安心はどこまで行ってもないのです。
お浄土の世界、お念仏の世界に絶対の満足、絶対の安心の世界があるのです。
真実や智慧や慈悲は仏様の世界、お浄土の世界にあります。この世にも、自分の中にも絶対にないのです。
ないとはっきり思い知らされる時、お浄土の門が開かれるのです。そこから自分の心の深いところへ仏様の方からのお慈悲、お智慧、あたたかい心がはたらいて来るのです。
そのあたたかい心にふれて氷の心が不思議ととけて来るのです。
仏様の「親心」のお慈悲によくふれていきますと、氷の心がいつしか水の心に変えられるのです。大きな氷ほど多くの水となり、相手やまわりの氷の心を浮かばせて、大きな心で 人を抱き入れることができるのです。
決してお人好しになるということではありません。
その水の心がよき師、よき友のお育てをくりかえし受けていきますと、湯の心まで育てられるのです。これは話としては簡単ですが、、体得されるのは大変なことなのです。
湯の心になりますと、不思議にまわりの人の氷の心がとけてくるのです。
摂取不捨
せっしゅふしゃ
(どんな者もおさめとって捨てないおはたらき)といって、仏様のお湯の心に、先ず自分の氷の心がとかされ、次に水の心、お湯の心で 人を迎え入れていけるのです。
人間の考えや努力では絶対にできない世界です。そこを、他力というのです。お浄土の心のはたらきです。
お浄土の世界に帰ると、「我」が消えるのです。氷がとけるのです。
そして我慢をする必要はなく、しかも我を押したてていく必要もなくなります。水の心、湯の心ですから、
自体満足
じたいまんぞく
、絶対満足そのままの世界です。
大石先生は、我執のところにストレスがくっつくのであって、我が消えたらストレスのつきようがないから、一日一日、お浄土への一日として、愉快な日暮をさせていただけることをお教え下さいました。
久田さんが申されます。
「わかるようなところもあるけれども、自分がなっても、相手がならなかったら、どうなるのですか」
「わかる、わからんという立場が、我の心なんですよ。説明はできません。もし、なったら、というのは空論なんです。
いただくという世界ですから、頭でわかる、わからんということではないんです。飲み物でも、実際に飲んだら、こういう味かとうなずけます。
説明は要りません。生活になったら、成就したら、こういうことがうなずけて来ます。ならないときに、いくら頭で考えても空論です。」
人間の悩み、苦しみの心は自我の言葉から成り立っているのです。我の無明、氷の心から出る言葉は、自損損他、お互いに害しあって、必ず対立関係をつくっていくのです。
人間は言葉を使って悩み苦しみますから、言葉のかなたにある仏様は、人間を救うために言葉となったのです。
光明の仏様、心の親様が南無阿弥陀仏という言葉になって下さったのです。ですから、南無阿弥陀仏は心の親様と浄土真宗では申します。
肉体の親から生まれた時に「オギャー」と声を発します。人間だけでなく、動物、山川草木同じでしょう。
偉大ないのちからの誕生。その産声が「南無阿弥陀仏」なのです。
言葉を超えた人間の考え、思いを超えた広い世界、山川草木、天地と通じたいのちの世界に生まれた声が「南無阿弥陀仏」です。その世界は、「我」が消えているのです。
禅宗では「無我」とか「無心」と云います。
真宗では、如来様の赤子として誕生しますから「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と心の親のみ名を呼びつ、呼ばれつしながら成長していくのです。
「南無阿弥陀仏」は母乳の如く、六字に万善万徳が入っていますので、誕生したら、親のお乳を飲みつつ、一日一日、成長させて頂くのです。
我欲の立場で人を使ったり、叱ったりしても、その場限りで、本当に人と人とが協力するという関係になっていません。やはり、心と心です。光の心と心です。
そのためには、心の親が要るのです。自我には本当のお慈悲や智慧がないからです。手を合わせる世界、健康な宗教の世界が必要なのです。
手が離れると対立関係です。バラバラです。手が合わされると対立を超えた一つの世界です。「親心」を感ずるところに、心の手が合わされるのです。
それで、広々とした心や落ち着いた心、あたたかい心がお浄土から、親の世界から、親をたのむ衆生へとはたらいて来るのです。
これを
廻向
えこう
と申します。
してやるという恩に着せる態度や、お返しをしろというような態度や、上からの高飛車な態度が消えて、「させていただく」、「させていただいて、ありがとう」という 柔軟心が出て来るのです。
「したから、いくらくれ」だけの関係が一つ超えられるのです。対立的立場で、上から叱ると、恨み心が出ます。
両方とも、苦しく、不安です。一つの世界、親心の世界から出ると、叱っても、そこにお慈悲が入っていますから、うらむどころか、本当によく叱って下さいましたと、お礼されますよ。
仏様の心から出発するとお慈悲が入ります。人間の我の心からは、お慈悲が入らず冷たく感じて、対立の感情が出て、カチン、カチンとぶつかって来ます。
そして、我執や人情のにごりの中でストレスがたまるのです。私も長い間、それで悩み、苦しみました。「親心」を教えていただいて、本当に安らかになりました。
「親心」はお慈悲の心、無我の心、対立でない絶対の心、あたたかい心、光明の心ですから、その心から言われたら、すなおに聞けます。叱られても、うらみ心はおこりません。
不思議の事実であります。わかりますか。
「うーん。わかるようなところもあります。有難う」 』
【「いのちの夜明け」ブラジル 念仏布教の旅」江本忍】
このように、煩悩の汚い心を具体的に指摘され、教えられると、しみじみ「凡夫とは 浅ましいものだなあ。」ということが味わわれますね。
思い当たることばかりで、何も言えない気がします。頭が上がらない世界ですね!
「人間は、自分が偉いと思って、幸せにはなれないものよ。」という先徳の声が聞こえて来るようです。
親鸞様の御和讃に、
「超世の悲願きゝしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかはらねど
こゝろは浄土にあそぶなり。(帖外和讚)」
という和讃があります。
意訳
「生まれ死に、迷いを繰り返してばかりの 衆生の苦しみを必ず救う」という世間の心を越えた 大悲心の阿弥陀様のご本願を聞いた、私たちは
ただの「生まれ変わり 死に変わり 流転し続ける凡夫」なのでしょうか?
いいや、そうではないでしょう。
私たちは、迷いの世界が大好きで、執着の心に泣いている、この 煩悩が漏れ通しの穢れた この身であることは変わらないけれども、
ご本画に出遇い、お念仏を称えれば、「心」は いつでも、お浄土に通う心を恵まれているのです。」
南無阿弥陀仏
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称名』
☆☆法語☆☆
うれしい時でも、かなしい時でも、
自分の人生はそこにしかない。
だから、うれしい時でも、有頂天に
なってはいけない。
かなしい時でも、逃げてはいけない。
ヤケになってはいけない。
それよりも、仏さまの前に
すわることだ。手をあわす
ことだ。なぜなら、自分のうれしさ
かなしさを本当に知っている
ものは自分と仏様のみだから。
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い」
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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