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2025年11月
第169話
朝事*
住職の法話
「
門
もん
は開かれていた」
住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
今月は「
門
もん
は開かれていた」という題にしました。
『すでに門は開かれていた!』海谷則之 自照社 というご本に次のように書かれています。
『居多ケ浜に立ちて
平成二十一年九月、長年の念願であった新潟県の
居多ケ浜
こたがはま
を訪ねることが出来ました。
居多ケ浜は、念仏弾圧に
遭
あ
われた親鸞聖人が
流罪
るざい
になられた
極寒深雪
ごくかんじんせつ
の地です。
今から八百年あまり前のことでした。四年後に聖人は ご
赦免
しゃめん
となられましたが、この地に七年ほどおられて
常陸国
ひたちのくに
【今の茨木県】へ移られたのです。
早朝に
直江津
なおえつ
に着いたわたしは、目的地の居多ケ浜が
五智国分寺
ごちこくぶんじ
からほど近いところにあることが分かりましたので、とりあえず国分寺へ行ってみようとタクシーに乗りました。
聖人は国分寺
境内
けいだい
に
庵
いおり
を結び、最初の一年はここにおられたとのことです。
本堂にお参りし
三重塔
さんじゅうのとう
を見てから、居多ケ浜へ急ぎました。
地図をたよりにしばらく歩いていくと、目の前に日本海が現れました。雲のせいでしょうか、なんとなく重苦しい海に見えましたが、でもやっと来れたという感動で胸いっぱいになりました。
居多ケ浜くもり空なれども
朝風清
かぜすが
し 浜にのぼりて
遠流
おんる
をしのぶ
岸辺には海の家らしき建物が見えますが、夏には海水浴になるのでしょうか。
高台にある居多ケ浜記念堂【見真堂】へ足を運んでみると、海が一望できるところに、金子大栄先生の書かれた「念仏発祥の地」という石碑がありました。
学生時代、京都の高倉会館などで何度か先生のお話を聞いたことを思い出しました。ご高齢ではありましたが、いつもそのすがたに尊いものを感じておりました。
ところで、聖人の
著述
ちょじゅつ
されたものには、「海」という字が多く出てきますが、それは越後でのご体験がふかく影響していると思われます。
たとえば 「
正信偈
しょうしんげ
」に、「唯説弥陀本願海」「帰入功徳大宝海」「開入本願大智海」などと出ています。
本願海
ほんがんかい
も
大宝海
だいほうかい
も
大智海
だいちかい
もみな、阿弥陀如来の
大悲
だいひ
の世界を表しています。
お念仏をよろこぶ人には、宝の海のごとき如来の
功徳
くどく
が満ち満ちているから、いかなる欲望
煩悩
ぼんのう
も
往生
おうじょう
のさまたげにはならないのです。
わたしは南国の太平洋【日向灘】を見て育ちましたから、「海」といえば、明るくて広大な海が思い浮かびます。
しかし、聖人は北国の荒々しい波ときびしい自然の中で生活されましたから、どんなものでも飲みこんで
一味
いちみ
と
化
か
してしまう力強い海を思われたことでしょう。
聖人
しょうにん
はご自身の流罪について、「もし法然が
流刑
るけい
に
処
しょ
せられなかったら、わたしが越後国まで来ることはなかったであろう。もしわたしが越後に来ることがなかったら、どうして
辺境
へんきょう
の人びとに念仏の教えを伝えることができたであろうか。これみな、 お
師匠
ししょう
様のおかげであった」【「御伝鈔」】と、前向きに受け取られたのです。
そのあとでわたしは、聖人が国分寺から移り住まわれた
庵跡
いおりあと
のある国府別院にお参りさせていただき、よろこびを新たにいたしました。』
【「すでに門は開かれていた!」海谷 則之 】
私も居多ケ浜に行ったことがあり、懐かしく思い出します。
やはり、親鸞聖人がおられた所に行くということは、大事なことで、その地に立つだけで、何か感じるものがあるのではないでしょうか。
『お念仏をよろこぶ人には、宝の海のごとき如来の
功徳
くどく
が満ち満ちているから、いかなる欲望
煩悩
ぼんのう
も
往生
おうじょう
のさまたげにはならないのです。』
流刑
るけい
、流罪という厳しい逆境の中において、お念仏がいかに支えとなって下さるかを教えられるような気がします。
引き続き、「すでに門は開かれていた!」海谷則之 自照社 から紹介させて頂きます。
『すでに門は開かれていた!
拙寺の山門は平成二十一年四月に修復されましたが、まもなく解体される山門を見ながら、いろんなことを考えていました。
山門は江戸時代、今から百六十五年前に創設されたものです。長年風雨に耐え、瀬戸内海のおだやかな湾を見下ろしてきました。
この門を通って
老若男女
ろうにゃくなんにょ
、数え切れない多くの人たちがさまざまな思いでお参りになったことと思います。
山門は
参詣者
さんけいしゃ
をいつもやさしく迎えてくれたのです。りっぱに役目を果たしてくれました。
ところで京都には大きな寺院がたくさんあります。
なかでも
南禅寺
なんぜんじ
と東本願寺と
知恩院
ちおんいん
の山門は「京都の三大門」といわれるだけあって、さすがに巨大でみごとなものです。
とくに知恩院の山門は、高さが二十四メートル、横幅が五十メートルもある日本最大のものです。
その
楼上
ろうじょう
の中央には
釈迦如来像
しゃかにょらいぞう
、
脇壇
わきだん
には十六体の
羅漢
らかん
さん【仏道修行によって一定のさとりに到達した聖者】の像が安置されています。
羅漢さんといえば、 「
阿弥陀経
あみだきょう
」に出てくる 「
舎利弗
しゃりほつ
、マカモッケンレン、マカカショウ、マカカセンネン・・・」の十六羅漢が思い浮かびますが、知恩院の十六羅漢は別の経典を
拠り所
よりどころ
にしていますので、そのメンバーの名前が多少ちがっています。
お寺の門は一般には「山門」ですが、知恩院ではとくに
「三門」と書きます。三門とは
空門
くうもん
、
無相門
むそうもん
、
無願門
むがんもん
という三つの 「
解脱門
げだつもん
」のことです。
これは「解脱」【真のさとり】へ至る門を略したことばですから、この三門を通ってこそ、真のさとりに到達できるというのです。
そこで、道を求める人は、「空門」といわれるように、自分の
邪
よこしま
な考えや
計
はか
らいを捨て、大空のように心を
空
むな
しくして門を入ること、そして、「無相」すなわち自分の外見や社会的な地位などの「相」【すがた】にこだわらず、また、「無願」すなわち身勝手な願望を 捨て、素直に仏の願い【本願】に
委
ゆだ
ねることが求められているのです。
阿弥陀如来はすでにわたしのためにさとりの門を開いて、「さあ、そのままいらっしゃい」と待っていてくださったのです。
だから、ただこの如来の願いをひとえに
聞信
もんしん
することによって、大きな安らぎとよろこびが恵まれてくるのです。
夏目漱石
なつめそうせき
に、「門」という小説があります。
この門というのはお寺の山門のことです。主人公の
宗助
そうすけ
は自分が
犯
おか
した
不義
ふぎ
に悩んで、ある時、
鎌倉
かまくら
の
禅寺
ぜんでら
を訪ねます。
十日間
座禅
ざぜん
に打ち込もうとしましたが、
成就
じょうじゅ
できず、お寺を出ていくのです。そうした宗助について漱石は次のように書いています。
「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで、済む人でもなかった、要するに、彼は門の下に立ち
竦
すく
んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」と。
じつはお寺の門は、自分がたたいて入るようなものではなく、すでにわたしのために用意され開かれてあったことに気づくべきだったのです。
ところが、へいぜい自分の
分別
ふんべつ
【考え、私見】だけをたよりに生きてきた宗助は、けっきょく何も得ることなく家へ帰っていくしかなかったのです。
門を出る時は本堂に向き直って、感謝のお礼をして帰りたいものです。』
【『すでに門は開かれていた!』】
ここに『そこで、道を求める人は、「空門」といわれるように、自分の
邪
よこしま
な考えや
計
はか
らいを捨て、大空のように心を
空
むな
しくして門を入ること、そして、「無相」すなわち自分の外見や社会的な地位などの「相」【すがた】にこだわらず、また、「無願」すなわち身勝手な願望を 捨て、素直に仏の願い【本願】に
委
ゆだ
ねることが求められているのです。
阿弥陀如来はすでにわたしのためにさとりの門を開いて、「さあ、そのままいらっしゃい」と待っていてくださったのです。』
と書いてあります。
自分の
邪
よこしま
な考えや
計
はか
らいを捨て、大空のように心を
空
むな
しくして門を入ること、自分の外見や社会的な地位などの「相」【すがた】にこだわらず、また、身勝手な願望を 捨て、素直に仏の願い【本願】に
委
ゆだ
ねることが大事なことであると、教えられます。
『歎異抄をいただく』大橋静慈 法蔵館 に次のような一節があります。最後に紹介させて頂きます。
『以前から私の心に巣くっておりました 『
歎異抄
たんにしょう
』という書物を、
巷
ちまた
の信心家の立場から味わわせていただこうと思っています。
「歎異抄」という書物は、ほとんどの方がご存知であろうと思うのですが、この書についての説明書とか入門書というのはずいぶんと数多くあります。
しかし、私には、「歎異抄」を解説しようというような考えはまるでありません。
それはいわゆる学者と言われる人の仕事です。
「歎異抄」にもありますが、関東から来られた
御同行
おどうぎょう
に対して親鸞聖人は、 「わしは念仏しか知らぬ、それ以外のことなら延暦寺とか興福寺とかに偉い学者がいるから、そこへ行って聞け」 と言って、つっぱねておられます。
私は、そういうような親鸞聖人のお味わいの世界を巷の一信心家としてありがたくいただくという姿勢から、この書についてお話をさせてもらおうと思っているのです。
一言にして言えば、「歎異抄」の「弥陀の誓願」というところから、最後の「なづけて歎異抄というべし。外見あるべからず」というところまで、一貫しているのは
機法一体
きほういったい
です。
機というのは、私の行い、思いです。その私が、いわゆる
極重
ごくじゅう
の悪人であると徹底的に自覚する。
そのような自覚は、如来の光明に照らされて、如来の鏡に照らされて初めて、私がいかに汚れきった歪んだ顔をしているか、私がいかにひねくれておるかが自覚されてくるのです。
助かる種は一つもない、五十億人おれば四十九億九千九百九十九人の後、一番最後に私がいるというように、極重の悪人の私であると徹しきる。
その時に、弥陀の光明、いわゆる他力の大光明が放たれるというのが機法一体ということです。
そのような機法一体を明らかにするのが「歎異抄」なのです。
「歎異抄」という御本は、親鸞聖人のお弟子さんの
唯円房
ゆいえんぼう
という方の著書であるというのが定説になっておるようです。
唯円さんの著書といっても、親鸞聖人の仰せられたことを書かれた書物であるわけですから、他力の教えが一貫して説かれているのです。
宿業感
しゅくごうかん
であっても、機の深信、自分自身の
所業
しょぎょう
ということについても、親鸞聖人の深遠なる考えが底に表れている。
そのような親鸞聖人のご信心のお味わいについて、私は話をさせてもらおうと思うのです。
ですから、私は助からないやつである。その助からない私が、如来さまの
本願力
ほんがんりき
、光明が全身心に満ちあふれて助けられていくというご信心のお味わいをお話していきたいと思っております。
しかし、それは徹底して私のいただいた如来心の発現ですので、学者の方とか教学を学ばれた方の中には、そんなバカなことがあるかと思われる面もあるでしょう。
親鸞聖人の教えというのは、私たち人間の一息一息が南無阿弥陀仏、この身が仏身であるということだと思うのです。
そして宇宙そのものも如来の顕現であり、この生きた身の中に弥陀の光明をいただくということを明らかにされたご一生だと思います。
いわゆる、過去、現在、未来の
三世
さんぜ
を貫いて一貫しておられる南無阿弥陀仏を、助からぬ私が、極重の悪人の私がいただく。
それが「歎異抄」の中に脈々と流れている教えであると、私はそういう結論に達しているのです。
親鸞聖人は 「
従如来生
じゅうにょらいしょう
」と説かれます。阿弥陀如来は如より
来生
らいしょう
されると言われる。
ではどこに来生されると言われると、私の胸の中に生まれてくださるのです。
如というのは、いわゆる仏性の世界、真如の世界。浄土界。
それは、色もなく形もない。
したがって、人間があれこれ言えるような世界ではない。
そういった真実の世界から、助からない私の胸に来てくださる。
だから私は助けられるのです。
私の足の先から頭のてっぺんまで、私の胸の中に南無阿弥陀仏と、生き生きした声となって大光明を放たれる
虚空
こくう
のごときものが現れてくださる。
その南無阿弥陀仏に私はすべてを任せる。ゆだねるというところに開けてくる世界が他力念仏の世界です。
他力念仏とはいっても、私が頼むということが道を求める始めにはないといけないのですが、かなり進んでまいりますと、私が頼んでいるのだけれど、実はそうではなく、如来さまが「助かってくれ」と、 如より、真実の世界より私の胸の中に誕生してくださるのだということがわかってくるのです。
どうかお前の中に入れてくれ、お前を助けさせてくれ、そうしなければ私が助からないのだと、阿弥陀さまが常に休むことなくはたらいていてくださるのです。
そのような機法一体の教えが、この「歎異抄」を貫いている大信心の世界であると私は強く確信をもっていただいているということを言いたいのです。』
【「歎異抄をいただく」大橋静慈 法蔵館 】
「南無阿弥陀仏 私の胸に
御誕生
ごたんじょう
」という、信心の味わいを教えられる気がします。
この「歎異抄をいただく」という本は、平成六年五月に、著者の大橋静慈さんから、頂いたものです。
大橋静慈さんが書かれた「わが妄雲記」が、ある寺に置いてあるのを見て、それがご縁で、大橋 静慈さんの自宅にお伺いして、話を聞いたこともありました。
ここに「学者」に対して厳しい言葉が書かれていますが、私自身は、ある講師から
「人間に生まれて、最も善いことは、仏教の勉強をすることだ。仏法を聴聞すること、学ぶことだ。人間、自惚れたらお終い。死ぬまで勉強。仏学を妨げるものは、この世に何物もない。」
と言われたことを、胸に刻んでおりますから、仏教の勉強する人を尊敬し、私自身も仏学を学び続けることを大切にしております。
大橋静慈さんは、学者を決して馬鹿にしているのではなく、信心家の味わいの上から、あくまで味わいを述べておられるのであります。
大橋静慈さんの使われている真宗聖典は、読み込んで、本が解体寸前までボロボロになるまで、真宗聖典を読んでおられました。
ボロボロの真宗聖典を手に取られながら、「こんなにボロボロになるまで、聖典を読ませて頂いた。」と感謝の言葉を述べておられたのが印象的でした。
実際は、真宗聖典がボロボロになるくらい読まれるような、大橋さん自身、大変な勉強家であったわけですね。
大橋さんという方は、会うと、信心というものを身に体得されている感じと共に、実に懐かしい感じがしてくる人でありました。
もう、亡くなられて30年になるのではないかと思います。
亡くなられてから、用事があり、一度、自宅を訪ねた時に、大橋さんの遺影の眼が、私を静かに見つめておられるような感じがしたのを忘れることが出来ません。
それにしても、この「歎異抄をいただく」大橋静慈 の本をいただいてから、もう30年も経つのか!
月日の流れを痛切に感じると共に、この本を味読させていただきたいという思いが強く湧いてきます。
巷の信心家の味わいが、如何に深いか。また、舌鋒するどく、色々と厳しいことを指摘下さっていることを、いまさらのように感じさせられる次第です。称名
南無阿弥陀仏
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称名』
☆☆法語☆☆
*人生は良友と良師を得るが第一。
良友とは信仰。良師とは智慧である。
*人の一生には焔の時と灰の時があ
る。【アン ド レニエ】
*青春は人生にたった一度しかこな
い。【ロングフェロー】
*人生は 生老病死 青春のほこりも
健康のよろこびも 栄華の
たのしみも 一切は人の世の
虚しい影である。
*大海よりもなお壮大なものは
大空である 大空より
さらに壮大なものは 人の心である。
*心労は人生にとって敵である
【シェイクスピア】
【「伝道集掲示」 小山乙若 より】
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い」
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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