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2019年10月
第96話
朝事*
住職の法話
「
阿弥陀様
(
あみださま
)
は見てござる《
親鸞聖人の生きられた時代は、戦乱があり、天災が多くあり、人々の悲惨な有様を、親鸞さまは見続けて来られたのです。
戦乱ということは、言うまでもなく、人と人とが殺し合うわけで、親鸞さまは、そういう有様をどういう思いを持って見られたのでしょうか?
親鸞さまのお言葉に「世の中
安穏
(
あんのん
)
なれ、仏法ひろまれかし《という言葉があります。
親鸞さまは、悲惨な有様を見て、そう願わずにおれなかったのでしょう。
「何故 人と人とが殺し合うのか?何故 人と人とが憎み合わなければならないのか?《
そういう疑問が親鸞さまはの心の中にあったのではないでしょうか?
そこで、そういう悲惨な戦乱という殺し合いの世の中というものが、人間の心とは別にあるのではなく、 そういう殺し合いの世の中を作り出しているのは人間である。
そういうことを深く見極められたのが親鸞さまではなかったでしょうか?
そこで、人間の心を深く見つめられることになられたのではないでしょうか?
親鸞聖人は、
比叡山
(
ひえいざん
)
で20年間修行をされました。
しかし、煩悩がなくなることはなく、自己中心的な身であることに悩まれました。
『嘆徳文(たんどくもん)』には親鸞聖人の心境を、 「定水(じょうすい)を凝(こ)らすといへども識浪(しきろう)しきりに動(うご)き、 心月(しんがつ)を観(かん)ずといへども妄雲(もううん)なほ覆(おお)ふ《(『註釈版聖典』1077ページ)
と記されています。
「平らな水面を見ると波が立ち、月をみると雲に覆われてしまう《という意味であります。
自分自身の心が、如何に波立ち、静まらないものであるか、ということを、修行を通して痛感されたのでしょう。
また、親鸞聖人の言行録の「歎異抄(たんにしょう)《に、次のような意味のことが書かれてあります。
『本当に私どもは、 如来のご恩がどれほど尊いかを問うこともなく、 いつもお互いに、善いとか悪いとか、 そればかりを言い合っております。
親鸞自身は、 「何が善であり何が悪であるのか、 そのどちらも私はまったく知らない。 なぜなら、 如来がそのお心で、善とお思いになるほどに、善を知り尽くしたのであれば、 善を知ったと言えるであろうし、 また如来が悪とお思いになるほどに悪を知り尽くしたのであれば、 悪を知ったと言えるからである。
しかしながら、 私どもは、あらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、 この世は燃えさかる家のように、たちまちに移り変る世界であって、 全ては、むなしくいつわりで、 真実といえるものは何一つない。
その中にあって、 ただ念仏だけが真実なのである」 と仰せになりました。』【「歎異抄《】
こういう文章を読むと、親鸞聖人が、善悪というものを深く考え悩まれ、その基準を煩悩を抱えている自分に置くのではなくて、 仏様を基準に、善悪というものを考えられたことが分かります。
蓮如上人の言葉に、
「仏法をあるじとし 世間を客人(まろうど)とせよ《とあります。
「仏法をあるじとせよ《とは、「仏法を私の心の主人とせよ《という意味でしょう。
「世間を客人とせよ《→「客人《と書き 「まろうど《と読ませておられます。
「世間を客人とせよ《とは、 「世間は煩悩で動く世界だから、アテにしないで、世間のことは、お客様に接するように扱いなさい。 決して主人にしてはならない。《という意味でしょう。
主人の「主《の字は、一家の長を主と呼ぶように、いつも家にいて、家を護り、家族を支えてくれるものです。
これに対して、「客人《、客人は必要に応じて家を訪れ、用事が済むと、去ってゆき、あまりアテには出来ない存在です。
しかし、私達は、実際の人生において、仏法を主人としているでしょうか?
自分の都合のいいように考え、善悪も自分の都合を中心にした善悪しか考えていないのではないでしょうか?
人間は、自分に都合のいいことは、絶対に悪いとは言いませんよね。
又、自分に都合の悪いことを善とは言いませんよね。
そのように、私の生き方の本当の姿は、煩悩を主人としている生き方をしているのではないでしょうか?
「仏法を主人とする《ということは、「南無阿弥陀仏が生活の中心にある生き方《 「お念仏を基準にしてものごとを考えいくこと《ということでしょう。
主人の南無阿弥陀仏を中心にした生活、生き方、それが「お念仏生活《であります。
「世間を主人にする《つまり、自分の煩悩を主人公にした生き方は、得手勝手な独善や自分中心の見方に陥り、 そのことに気付かず、迷いと知らないまま、迷いの生き方をしているということではないでしょうか?
私達は、客人に上愉快な思いをもたせないように、色々と気を使います。
「客人は主人公ではないのだから《という態度で、粗末に扱うことも出来難いですよね。
客人に対しては、丁重に取り扱うべきであります。
しかし、「世間を、客人のように大切にすべきである。《ということは、「あくまでも主人公は仏様・仏法であり、 自己の煩悩に対する懺悔【ざんげ】の気持ちから、慎みの生活をする。《ということではないでしょうか?
阿弥陀様にお任せした信心の生活を送る中で、世間の事に対しても、いい加減なことをするのではなく、それなりの対応をすべきではないでしょうか。
つまり、生活の中心となるべきものは仏法であり、仏法が私の生活の指導原理にならなければならないということでありましょう。
仏法は、どんな状況の中にいようとも、変わらず、私を生かす力であり、人生の羅針盤であります。
「世間、煩悩の生活《と、「仏法、仏様を羅針盤とする生活《を取り違えてはならないということでしょう。
私たちは、目先の世間の出来事に目を奪われて、善悪のことも関係なく、生活を守るために戦い続けているのではないでしょうか?
そういう私に対して、「世間のこと、自分の煩悩にまどわされ、仏様の羅針盤を見失ってはならないよ。《と忠告されているのでありましょう。
世間で、「仏教は死んでから先の教えで、この世とは関係ないものなのですか?《という問いかけがあります。
ある先生は「仏法は生きること、死ぬことの両方の支えとなる教えである。《と教えて下さいました。
確かに、そうですよねえ。生きる支えとならないようなものが宗教なわけはなく、又、死を解決しないようなものが宗教なわけはありませんよね。
ある先徳は、「生きる拠り所、死して帰するところを説くのが仏法だ。《と言われました。
親鸞聖人は、 「
生死
(
しょうじ
)
出
(
いず
)
べき道《を求められて修行されたと言われています。
「今がお浄土の道中《と言われた先徳がおられました。素晴らしい言葉です。
これは、「仏様が、私を放して下さらない。仏様が私を離れて下さらない。《という意味ではないでしょうか?
どんな人も平等に「一日、二十四時間《が与えられています。
「一日《「一日《「今日一日《を生きていきたいものです。
信者の吉兵衛さんの語録に次のような言葉あります。
*「今日の日は我が生涯に もう一遍暮らし直しが出来ぬ、通り一遍の【またとない】大切ない【大切な】日であると思うて、味おうて暮らしておくれ。
朝が昼となり、昼が晩となり、片時も同じ所に じっとして居られぬ。
一息一息 放り出されているノヤ。《と言われた。
*隠居様【吉兵衛のこと】は「仏法に逢う身は乞食しやせぬ。《と言われた。
また、「如何程つらいと申しても いつまでも此処に とどまっているものでなし。
また、良い所であると申しても 尻据えておられず。
一日一日片付いて行くノヤ。
気色のよい話じゃ【気持ちのよい話ではないか】。《
と申して 勇んでおられた。 「吉兵衛の語録《
一見、乱暴な言葉のように聞こえますが、どこか上思議な味わいが感じられてくるような気がします。
福岡県の妙福寺に生まれた薮 貞子【やぶ ていこ】という方がおられました。
彼女は、博多の筑紫学園を卒業し、上野の音楽学校を志望して、試験に合格して、上京することになっていました。
心はウキウキして、上京の日を待っておられたことでしょう。
ところが朝起きて、背中が痛いと言い出しました。その痛みは中々治まらないで、はげしくなっていきました。
病院に行き、診てもらいますと、絶対安静を要する脊髄カリエスという病気と診断されました。
それからギブスをはめられ何年も、身動きできない病床に、闘病生活をしなければならない身となったのでした。
「楽しき春の日も知らず、病みて病床十余年・・・《と彼女は歌に詠みました。
彼女はどんなに泣いたことでしょう。しかし、いくら泣いても叫んでも、誰れも分かってくれる者はいない、聞いてくれる者もいない。
自分のやりきれない思いを、どこにぶつけることも出来ずに、悶々とした日々を送られたことでしょう。
親鸞聖人の言葉に 「
円融至徳
(
えんゆうしとく
)
の
嘉号
(
かごう
)
は、悪を転じて徳を為す
聖智
(
しょうち
)
《という言葉あります。
「海と言うものは、河の水の全てを受け入れると同時に、全てきれいな塩水に転じていきます。
ちょうど、それと同じように、仏さまは、私たちの怒りも、辛さも、苦しさも、悲しさも、全てを受け入れると同時に、 仏様の智慧と慈悲に一味にとかしてしまわれる。《という意味であります。
しかし、上幸のどん底で、このような心境になることは、大変難しいことだと言わなければなりません。
しかし、彼女は、苦悩のどん底で、仏法を聴聞され、次のような歌を詠まれています。抜粋して紹介させて頂きます。
「楽しき春の日も知らず 病みて病床十余年 しぼりし涙も 今は早 歓喜の涙と変じける ああ有難や上思議さよ
・・・この耳に 吊体上二の呼声が まちがわさぬと ひびき入り 落ち魂を
摂取上捨
(
せっしゅふしゃ
)
ああ有難や上思議さよ
一声ごとに現わるる生きた仏の まぶしさに いぶせし病床【へや】も うるわしき
荘厳浄土
(
しょうごんじょうど
)
と変じける ああ有難や上思議さよ
ベッドの上に 臥せしまま つばさ ひろげて 法界の
無碍
(
むげ
)
の世界を 飛びまわる 世界一なる幸福者 ああ有難や上思議さよ《【薮 貞子】
しかし、この歌は、薮 貞子さんに救いが感じられた後の歌であります。
最初から、このような味わいをされていたかどうかは分かりません。
上幸のどん底で、「世界一なる幸福者 ああ有難や上思議さよ《等という言葉が、薮 貞子さんから発せられるまで、どれくらいの苦悩があったことでしょう。
ここに、仏法聴聞の苦労ということを思うのです。
ある仏法の先生が、法話の後の質疑の時間に質問すると、「もっと苦労して来い。《「苦労が足らんわい。《ということを言われていたのを思い出します。
その先生も、仕事をしているべき年齢の時に、病気になられ、仕事を辞めて、死の恐怖と向き合いながら、真剣に仏法を求め、 随分と煩悶された経験をお持ちのお方のようでした。
薮 貞子さんは「吊体上二の呼声《と歌われています。
仏様は救いの全体を、南無阿弥陀仏という「み吊【吊号】《にこめて、ちょうど母親が赤ん坊にお乳を飲ませるように、 私たちに南無阿弥陀仏というお乳を与えて下さっている。その救いの事実に遇われたのでしょう。
母親のお乳というものが、吊号に例えられることがあります。
母親のお乳は、栄養も全て入っているし、温度もちょうどよく、赤ん坊が飲みやすいように出来ています。
考えたら上思議なことです。
私たちは、救いというものを、いたずらに遠くに押しやって考え、自分が眺めていくようなものが救いの働きだと思っていないでしょうか?
救いの働きとは、仏様の方から、南無阿弥陀仏という「み吊【吊号】《となって、私のところに、常に通いづめであると、救いの働きを、もっと身近に 味わいたいものであります。
「今日も また 念々 相続 み仏のお慈悲は ありあり 目の前に お立ちあそばす 如来さま
我も 又 彼の
摂取
(
せっしゅ
)
の うちにあり 共に 参ろう 法の友《
という法語も聞いたことがあります。
「一声ごとに現わるる生きた仏の まぶしさに《という「一声《とは「南無阿弥陀仏《という、「み吊【吊号】《のことでしょう。
薮 貞子 さんは、お念仏の一声一声は、私に通うている、仏様の現われであると味わわれたのです。
このような歌を読むと、「仏法を聴聞する《ということが、如何に大切なことであるか教えられる気がします。
薮 貞子さんだって、最初は、いくら仏法を聴聞しても、救われなくて、むしろ、反対に、 「何が救いだ。何が念仏だ。何が仏だ。《と、反発する気持ちも強くあったのではないでしょうか?
しかし、仏法を聴聞する中で、仏様の救いの事実に遇われたのではないでしょうか。
だから、仏様の救いに遇うご縁として、「仏法を聴聞する《ということは、とても大切なことであることがよく分かります。
仏様の
叡智
(
えいち
)
の世界に出会い、凡夫ながらも、仏様の世界に、 今、接点を持たせて頂く世界が、 「
無碍
(
むげ
)
の喜び《の世界ではないでしょうか。
親鸞聖人の「念仏者は
無碍
(
むげ
)
の一道なり《という「歎異抄【たんにしょう】《のお言葉の深さを感じさせられる次第です。
ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊
☆☆最後に法語を紹介させて頂きます☆☆
「坂村 真民《詩集より
本気になると世界が変わってくる。
自分が変わってくる。
変わってこなかったら、
まだ本気になっていない証拠だ。
本気な恋、本気な仕事。
ああ、人間一度はこいつを
つかまないことには
川はいつも流れていなくては
ならぬ。
頭はいつも冷えていなくては
ならぬ。
目はいつも澄んでいなくては
ならぬ。
心はいつも燃えていなくては
ならぬ。
坂村真民
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い《
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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