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2019年5月
第91話
朝事*
住職の法話
「
愚者
(
ぐしゃ
)
の
救
(
すく
)
い《
毎田 周一師の詩に、「人の苦労《という詩があります。
「人の苦労《
こんなに簡単な そして
ただ一つのことを
それがわからないで
人がみな苦労している
それはどういうことか
つまり それというのは
自分が馬鹿だってこと
これがその一つのこと
自分を利口だと
思っていればこそ
みんながみんなこんなにも
苦労しているのだ
それこそは御苦労なことだ
そして恨みようもないこと
愚一片
(
ぐいっぺん
)
の ああ
無限の明るさ
ある先徳が、「自分が偉いと思って、楽しい事はないよ。《と言われていたのを思い出します。
『
愚一片
(
ぐいっぺん
)
の ああ
無限の明るさ』とあります。
「愚《ということと、「無限の明るい世界《に出られるということは、どういう関係があるのでしょうか?
2019年5月1日より「令和《に変わりました。
テレビなどのインタビューで、「令和はどんな時代であってほしいですか?《という質問に対して、 「平和な時代であってほしいです。《と答えられている方が、とても多かったような印象を受けました。
この言葉の中には、「災害のない平和《という意味も感じられましたし、もちろん「戦争のない平和《ということも、 戦争経験者の世代の方には強くあるのように感じました。
もうお亡くなりになられましたが、ある戦争経験者の男性の方が言われた言葉を思い出します。次のように言われました。
「平和というものは、平和な時代だから言えることであって、戦場では、飢えや、寒さ等、そういう環境に長く居ると、人間らしい気持ちは、全く無くなる。《
と言われて、その男性は微かに
慟哭
(
どうこく
)
されたように見えました。
戦後生まれの、戦争を知らない私が、知ったかぶりをして、きれいごとを言うことを許さない、というように見受けられました。
「平和な時代だから、平和、平和と言えるのだ。・・《という言葉は、この言葉自体が平和の尊さを訴えているような気がします。
私も勿論、「令和《という時代が「平和《であってほしいと強く願います。
しかし、それと同時に、「平和《《「平和《というけれど、先ず、自分の心が平和にならないと平和にはなり得ないということも、強く思いました。
私自身の日々の
煩悩
(
ぼんのう
)
の荒れ狂う私自身の心の内面を思わずにおれません。
仏陀の説法に次のような説法があります。
『ある時、仏陀(釈尊・釈迦)はガヤーシーサ(象頭山)に登られました。
それはマガダ国への遊行の途中の旅でした。
仏陀は、この山上に立って、多くの弟子たちに説法されました。
「みなののものよ。
この世のすべてのものは燃えています。
熾烈
(
しれつ
)
たる様相に燃え上っています。
そのことを、みなはまず知るべきなのです。《
仏陀がこのように説かれると、弟子は、「何も火事はありません。何も燃えていません。《と言いました。
そこで、仏陀は「人生は燃えている《と語り出されたのです。
「全ては燃えています。
人々の眼は、その対象に向かって燃えています。
人々の耳は、そして鼻は、また舌も燃えています。
その身体も、心もまた、その対象に向かって
熾烈
(
しれつ
)
に燃え上っています。
それは全て、貪欲の炎に燃え、怒りの炎を上げ、愚痴の炎に燃えさかっている。《
人間がのたうつ、苦の人生の根元はこの
熾烈
(
しれつ
)
な炎にあります。
これを「煩悩の炎《と呼びます。
この炎に焼かれる人間の営みがある限り、人は
涅槃
(
ねはん
)
の岸へは
辿
(
たど
)
りつくことは出来ないでしょう。
「涅槃《と呼ばれる境地に至るには、この炎を消さなくてはなりません。
「涅槃《という言葉には、「火の消えた様子《という意味が含まれるのです。
仏陀は、私達を
苛
(
さいな
)
むこの、
煩悩
(
ぼんのう
)
の炎の根本をよく観て、これを絶ち切ってしまえば、この炎は再び燃え上がることはない。
そして、安らかな清い人生が目の前に広がってくると説かれるのです。』
また、あるお経には次のように説かれています。
「一人一日のうちに八億四千の念あり。念々のなかの所作みなこれ
三途
(
さんず
)
の業なり《といいます。
八億四千とはたとえでありますが、私たちは一日のうちに絶え間なく無数のことを考えています。
そしてそれらの一つ一つ、心の中で為していることは、みな地獄・餓鬼・畜生の
三悪道
(
さんまくどう
)
に生まれるような行いであるというのです。
人を殺したりするような悪業は犯していないものの、我々は日々
些細
(
ささい
)
なことで怒ったり、人の悪口を言ったり、あれも欲しいこれも欲しいと欲張ったり、 短い「無常な身《に「限りない欲望《を持って、自分の分に上相応な欲望を持ち、それが叶えられないと怒り、いつまでもグズグズ愚痴を言い続けるような生活です。
実際に行動にしなくとも、心の中では、ありとあらゆる悪時を日々考えて生活しています。
本当に数え切れないほどの
三途
(
さんず
)
の業を重ねているのが、悲しいかな、私の生活の事実ですね。
お園【その】 という
妙好人
(
みょうこうにん
)
の
逸話
(
いつわ
)
に、次のような話があります。
『
無碍
(
むげ
)
の救いということについて、こんな話しがあります。
三河の味浜というところに普元寺というお寺があり、 西脇 善桂という有吊な
布教使
(
ふきょうし
)
がいました。
あるときお園が その普元寺に参詣すると、善桂師が、
「そなたの
在所
(
さざいしょ
)
の田原のあたりは、私もいったことがあるが、あまり仏法が
繁盛
(
はんじょう
)
しているにはみえなんだ。
しかし、そなたのような人がいるところをみると、このごろは繁盛しているとみえるな。《
すると お園【その】は、ニコニコしながら「ええ、繁盛とも、繁盛とも、それはそれは繁盛しております《
「そうであったか、そないに繁盛しておるか《
「はい、人は知りませぬが、この私一人はね《といいました。
蓮如上人が
『一宗の繁昌と申は、人の多くあつまり、威の大なることにてはなく候。一人なりとも人の信を取が一宗の繁昌に候。』
と仰せられたように浄土真宗の繁盛というのは、たくさんの人が集まって、わいわいさわいでいることではなくて、 一人でも如来のお慈悲を聞いてよろこぶ信心の行者が育っていることをいうのです。
お園【その】 にとっての仏法の繁盛とは、このわたしの上に如来の
仰
(
おお
)
せが、朝な夕なひびきつづけ、
御法縁
(
ごほうえん
)
につつまれて生きさせていただいているとのほかにはなかったのでございます。
そこで善桂師はさらにたずねました。
「そなた一人の繁盛となあ、・・・・・その一人の繁盛とはいかなる姿じゃ、そのもようを聞かせてくれぬか《
「はい、朝から晩まで、四六時中、あるわ、ないわ、足るは、足らぬわ、かわいいわ、にくいわと、三毒やら、五欲やら、それはそれは繁盛しております《
さすがの善桂師もそれを聞いておどろきました。
「ほう、それがそなたの繁盛かや、それじゃあ仏法の繁盛じゃあなくて、ただの煩悩の繁盛じゃないか《
するとお園【その】は、自分の胸をおさえながら、ニコニコと、
「はい、これさえあったらなあもし《といってのけたのには、善桂師も二の句が続かなかったのだといわれています。
一日中煩悩をもやし、人を憎んだり、のろったり、ねたんだりしていく、こんな浅ましいわたしを救いのおめあてとして、 二度と煩悩に狂わされることのない、清らかな涅槃の浄土にあらしめようと願いたたれた如来さまのご恩の尊さは、 この煩悩の痛みのなかでこそ有難く味あわさせていただくことができます。
してみれば煩悩は、悲しいけれども それがお慈悲に気づかせていただく糸口でもあるのです。
浅ましい煩悩の生活を、そのまま法の縁として念仏にたちかえらせていただくとき、、
人生は、法を聞き、仏法の真実をたしかめさせていただく道場であるということができるのでございます。
お園は 嘉永六年(1853)4月4日に77歳を一期として静かに往生を遂げました。
ある人が彼女の病床を見舞い、
「お園【その】さん、あなたのお領解を一言聞かせてくださいませ《とたずねたところ、お園は「わたしに領解はなんにもない。一生の間、無駄骨おっただけじゃわいのう《
といったということです。『安心決定鈔』に
“領解は機にとどまらず、領解すれば仏願の体へかへる。”ともいわれておりますが、
つねづね、「わたしには参らせてやろうの仰せの外に後も先も存じませぬ《
といっていたお園【その】の信心は、ただ本願のおおせをほれぼれと仰ぐ外にはなかったのです。
「
勅命
(
ちょくめい
)
のほかに
領解
(
りょうげ
)
なし《といわれた
先哲
(
せんてつ
)
のことばが、しみじみと思いあわされます。
お園【その】は、「ただ無駄骨を折っただけじゃわいのう《というが、その無駄骨が誠に尊い光りを放って、私どもの聞法の道を照らしてくださっております。』
『
妙好人
(
みょうこうにん
)
のことば』梯 實圓師 法蔵館より
この逸話の中で、「仏法が繁盛しているか?《という問いに対して、お園【その】さんは
「はい、朝から晩まで、四六時中、あるわ、ないわ、足るは、足らぬわ、かわいいわ、にくいわと、三毒やら、五欲やら、それはそれは繁盛しております《
と答えられています。
それに対して、善桂師は「ほう、それがそなたの繁盛かや、それじゃあ仏法の繁盛じゃあなくて、ただの煩悩の繁盛じゃないか《と言われました。
するとお園【その】は、自分の胸をおさえながら、ニコニコと、
「はい、これさえあったらなあもし《と言われました。
これについて、『一日中煩悩をもやし、人を憎んだり、のろったり、ねたんだりしていく、こんな浅ましい私を救いのおめあてとして、 二度と煩悩に狂わされることのない、清らかな涅槃の浄土にあらしめようと願いたたれた如来さまのご恩の尊さは、 この煩悩の痛みのなかでこそ有難く味あわさせていただくことができます。
してみれば煩悩は、悲しいけれどもそれがお慈悲に気づかせていただく糸口でもあるのです。
浅ましい煩悩の生活を、そのまま法の縁として念仏にたちかえらせていただくとき、、
人生は、法を聞き、仏法の真実をたしかめさせていただく道場であるということができるのでございます。』と解説されています。
【『妙好人のことば』梯 實圓師】
「仏様の教え、仏様のお慈悲は、日々荒れ狂う私の煩悩の痛みの中でこそ味わうことが出来る。《そんなことを教えられます。
「私を離れた如来なし 如来を離れた私なし《
阿弥陀仏がまだ
法蔵比丘
(
ほうぞうびく
)
という修行者であった時、
誓願
(
せいがん
)
をたてるため
五劫
(
ごこう
)
もの長時間にわたって思索をこらしたこと。を 「
五劫思惟
(
ごこうしゆい
)
《と言います。
「
正信偈
(
しょうしんげ
)
《の中に、次のような言葉があります。
『五劫思惟之摂受 重誓吊声聞十方』という言葉です。
【読み方】
『
五劫
(
ごこう
)
、これを
思惟
(
しゆい
)
して
摂受
(
しょうじゅ
)
す。
重ねて誓うらくは、
吊声
(
みょうしょう
)
十方に聞こえんと。』
「
劫
(
こう
)
《というのは、気が遠くなるような、途方もなく永い時間です。
どうにもならない凡夫を救うための思案を深く深く重ねられたのです。
その思いの深さを 「
五劫
(
ごこう
)
《という時間の永さで言い表わしてあるのです。
それほどの深い思い、大きな願いが、私ども凡夫に差し向けられているわけです。
親鸞聖人のお言葉を集めた 『
歎異抄
(
たんにしょう
)
』によりますと、 聖人は、 「
弥陀
(
みだ
)
の
五劫思惟
(
ごこうしゆい
)
の願をよくよく案ずれば、 ひとえに親鸞一人がためなりけり《と述べておられます。
それくらい考えられないと救われないほど、この私の迷いは深いのか?!
「助かるはずのない凡夫を何とかして助けたい。南無阿弥陀仏というという
吊声
(
みょうしょう
)
を十方に聞かせて救いたいという願い《が
『
五劫
(
ごこう
)
、これを
思惟
(
しゆい
)
して
摂受
(
しょうじゅ
)
す。
重ねて誓うらくは、
吊声
(
みょうしょう
)
十方に聞こえんと。』という
「
正信偈
(
しょうしんげ
)
《の言葉に表現されているのですね。
最後に
妙好人
(
みょうこうにん
)
、
浅原才市
(
あさはらさいち
)
の歌を味わって終わりたいと思います。
『日にち毎日炎がもえる
もえる炎のその中に
お立ちづくめの あみだ様
嬉し恥ずかし
ナムアミダ仏ナムアミダ仏』
仏様の光に照らされた浅原才市さんは、自分の心に燃える煩悩の炎が見えたのでしょうか?
浅ましい自分、恐ろしい自分の心が見えて、悲しまれているのでしょうか?
その燃える炎の中に、お立ちづめの阿弥陀様のお働きに出会われて、このような煩悩に荒れ狂う私を呼び続けて下さる、護りつづけていて下さる 阿弥陀様の働きを、荒れ狂い自分の煩悩の炎の中に拝まれ、称吊念仏された浅原才市の歌に教えられます。
「ああ勿体ない、こんな煩悩の荒れ狂う私に、大悲は嫌がることなく、一秒間も離れることなく、見捨てることなく、 護り続けていて下さっていた。《と合掌されているお姿が拝されます。
それと同時に、そういう姿を通して、凡夫の救いを教えていて下さるのが、浅原才市さんの歌ではないでしょうか。
ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊
☆☆最後に法語を紹介させて頂きます☆☆
「今ここに われと仏と 救いあり《能世 芳水師 より
人生苦悩の娑婆なるぞ
弱気の者は落語する
雨にも風にも嵐にも
どんな辛さにぶつかるも
くじけてならぬ 逞【たくま】しく
み法をきけば み仏の
素晴らしい力を めぐまれる
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い《
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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