朝事・住職の法話
平成24年7月「ただこの語声これなり」
傅大士の法語に次のような言葉があります。
『夜夜仏に抱かれて眠り
朝朝また共に起きる
起座とこしなえにあい随い
語黙も居止も同じ
繊毫もあい離れず
身と影とあい似たるが如し
仏のゆく処を識らんとおもえば
ただこの語声これなり』(傅大士)
この語声とは「南無阿弥陀仏」(名号)のことでしょう。
読めば読むほど味わい深い法語ではないでしょうか。
仏様は我々の眼には見えないけれど、常に一緒に居て下さるのでしょう。
それでは南無阿弥陀仏という名号とは一体どういうものなのでしょうか。
次のような法語を門徒に頂きました。
『南無阿弥陀仏のお姿は、闇路に迷う私らに
両手を出して救おうと呼びかけたもうみ声なり。
南無阿弥陀仏のお姿は、願と行とが具足して
わが成仏の因となり安心与えるみ声なり。
南無阿弥陀仏のお姿は、かならず救う「おまこと」が
汝一心正念に直ちに来たれの呼び声に かたちをかえた仏なり。
南無阿弥陀仏のお姿は、いずれの行もなしがたき造悪不善の
わがために称えやすき名号を案じて あたえる仏なり。』
南無阿弥陀仏の味わいを簡潔に述べられていて、わがこととして、日々、味わわして頂きたいものだと思います。
『色もなく形もなくておはします 御名こそは わがよりどころなる』
という歌がございます。
これは、昭和37年5人の子供を残して45歳で逝った木村誠一さんの歌です。
彼は、とても熱心に仏法聴聞に打ち込まれた方です。
色々な先生に教えを求め聞き抜かれていかれました。
彼が入院したら、色々な仏法者が見舞いに来られました。
ある方は、見舞いの時に、次のように言われました。
『やるせないお慈悲が具体化されたのがお浄土です。
客観化された世界で、仏さまのおさとりの世界がお浄土です。
南無阿弥陀仏の御徳にひきずられて、御名号の
御慈悲の実践せられたさとりのみ国に往生させて頂いて、
仏のさとりをひらかせていただくのです。
これだけのことを言っておかなければ気がすまなかったのです。』
と言われたそうです。
なかなか、大病の人を見舞って、こんな話はしにくいものと思いますが、
日頃から仏法聴聞に打ち込んでおられた木村誠一さんだからこそでしょうか。
お別れに際して、御書を頂いたそうで、それには、
『弥陀ノ名号トナへツツ 信心マコトニ得るヒトハ
憶念の信ツネニシテ 仏恩報ズルオモヒアリ』
と書いてありました。
木村誠一さんは、この御書を頂き、有難く感じられました。
憶念の心もない、仏恩報ずる思いもない私を、
つまり、煩悩具足の凡夫である私を、
仏かねて知ろしめして、名号となって呼んでくださる。
『汝一心正念に直ちに来たれ』
と味わわれました。
ある方は見舞われた時に、次のように言われました。
『仏さまの本願は、私をお浄土に生れさせずにおかないという
御願いにあらせられる。
仏様のその本願が、なむあみだぶつの御名となって、私の中に入って下され、
なむあみだぶつの御めぐみのお徳によって私が仏にならしていただく。
仏にならせていただくのは、この世に生きている間にではなく、
お浄土に往生さして頂いて成仏し、仏のお悟りをひらかせていただくのである。
南無阿弥陀仏の御名が外にあらわれてくださった世界が浄土で、
「浄土真宗」の教えは、「お念仏をもうしてお浄土にまいらせていただく。」という
簡単な教えであるが、思えば思うほど深い教えである。』というような旨を
懇切にお説き下さったそうです。
南無阿弥陀仏という名号を日々頂いていますが、これだけの深みがあると、
改めて教えられた気がしました。
仏様から頂いた大切な御名号を大切に、わがこととして、自分自身に味わい、
仏さまを仰ぎ、自分の姿を見せられて、反省し、感謝とザンギの念仏生活を
させて頂きたいものだと感じました。
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い」
念仏の
教えに
あうものは、いのちを
終えて
はじめて
救いに
あずかるのではない。
いま
苦しんでいるこの
私に、
阿弥陀如来の
願いは、
はたらきかけられている。
親鸞聖人は
仰せになる。
信心
定
まるとき
往生また
定まるなり
信心
いただくそのときに、たしかな
救い
にあずかる。
如来は、
悩み
苦しんでいる
私を、
そのまま
抱きとめて、
決して
捨てる
ことがない。
本願の
はたらきに
出あう
そのときに、
煩悩を
かかえた
私が、
必ず
仏になる
身に
定まる。
苦しみ
悩む
人生も、
如来の
慈悲に
出あうとき、
もはや、
苦悩
のままではない。
阿弥陀如来に
抱かれて
人生を
歩み、
さとりの
世界に
導かれて
いくことになる。
まさに
今、
ここに
至り
とどいている
救い、
これが
浄土真宗の
救いである。
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