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平成28年8月
第58話
朝事*
住職の法話
「み仏の鏡」
今年も8月6日「原爆の日」【広島】を迎えました。
ある母親は、自分が被爆して、生きるか死ぬかの大病人の状態にも係わらず、何とか生きようとされたそうです。
と言いますのは、主人が戦死され、「子供たちを守るのは、自分しかいない。」という強い信念があったのでした。
息子さんが、被爆地を探し回り、ある病院に行くと、確かに母の名前が帳簿に記してありました。
それなのに、病院内を探し回っても、母は見つかりませんでした。
「帳簿に母の名前があるのに、どうして母は見つからないんだろう?」と一緒に探しに行ってくれた友人に言った時でした。
すぐ側に横たわっていた、火傷をして顔もよく分からない女性が声を出しました。
「私は○○町の○○という名の者です。どうか○○町の私の自宅に私を返して下さい。」という意味の言葉を言われました。
なんと、その女性が、探していた母親だったのでした。
すぐ側にいた息子は声も出なかったそうです。
早速に自宅に帰り、大八車を借りて、母を自宅に連れて帰られました。
8月9日頃のことだったそうです。
それまで治療らしい治療も受けられず、何も食べないで過ごしていたのでしょう。
自宅に帰ると、子供が母に言いました。
「お母さんは、○○町の病院に行く位なら、自宅に帰れただろう。どうしてそこへ行ったのか?」と。
母は答えました。「とにかく大きな病院に行けば、何とか治療してもらえると思って、ひたすら大きな病院を探し歩いたのだ。」と。
それは、「自分は元気でいないといけないんだ。子供のために元気でいなければ、、。」という気持ちでもあったのでしょう。
母は、目も余り見えなくなっていたそうです。
そして母は、一人一人の子供に、問いかけ、無事でいることを確認して
安堵
(
あんど
)
しました。
その時には、出産したばかり長女が里帰りして居ました。
出産後何日目か経っていて、母は「今日は
小豆
(
あずき
)
を
炊
(
た
)
かなければならないねえ。」と言って自宅を出ていったそうです。
まさか被爆して何日後に亡くなるとは夢にも思いませんでした。
その母が子供一人一人に声かけました。息子の一人は
予科練
(
よかれん
)
に行ってそこには不在でした。
予科練
(
よかれん
)
に行った息子からは、爪と髪の毛が送られてきて、母も家族も泣いたそうです。
しかし、その息子は出撃の直前に終戦になり、生きて帰宅しましたが、その時は母はすでに亡くなっていました。
一番下の妹は
疎開
(
そかい
)
して、そこには不在でした。
母はそこにいる子供一人一人の無事を確認して安堵して、一言「死ぬかと思ったよ。」と言いながら亡くなったそうです。
母の遺体を近くで遺体を焼いていた場所があったので、そこで焼いたそうです。
また、ある男性は原爆で父親を亡くされました。
少年は、父親を探しに行きましたが、火が強すぎて、中々市内に入れなかったそうです。
結局、
遺骨
(
いこつ
)
も無いままだそうです。
奥さん曰く、「今年は最後かも知れないと、主人は原爆の記念式典に行きました。」とか。
「主人は原爆について奥さんに話されることはありますか?」と聞きました。
奥さんは、「あまりありません。他人に話しているのを聞くと驚くこともありました。」という意味のことを言われました。
続いて言われたのに、「主人は父親を原爆で亡くしても、当分は家に帰ってくる気がした。と話したのに、他人が感銘受けたと電話してこられた ことがあります。」と。
あるテレビ番組で、ある男性は、「家族が原爆で亡くなり、約70年経って、初めて墓を建てた。いつかどこかに生きていて帰ってくる気がした。」と言われていました。
また、原爆で家族を亡くしたある女性は、「家族が原爆で亡くならなければ、人生が180度変わっていたと今でも思います。」とも言われていました。
ある男性は、「もっと親や兄弟に色々としてほしかった。大学へも行きたかった。」とも言われていました。
家族が亡くなり、原爆によって大きく人生を変えられた人にとっては、原爆に対する思いは一味違うという気もしました。
人間は戦争ということをする生き物です。
戦後生まれの私は、「平和ボケ」しているのかも知れません。
真宗門徒として、平和というものについて、どのように取り組めばいいと言うのでしょうか?
「愛児を残して」渡辺敏雄 彰真会/編【探究社 発行】の中に次のように書かれています。
『・・この
白楽天
(
はくらくてん
)
と言う方は、中国の人で、当時の知事であり、又、詩人でもありました。
ある日の事、彼が町を散歩していた時に、
出家者
(
しゅっけしゃ
)
である禅の 道林和尚が、木の上で座禅を組んでおられました。
そして、下を歩く白楽天に向かって「お前さん、何故そのような危ない道を歩いているのか、早く木の上に登って来なさい。」と上から言うたそうです。
それに対して白楽天が、「何を言うか、お前の方がわたしよりもずっと危ないではないか。何故わたしの歩いている道が危ないと言うのか」と反論したのです。
「それならいったい仏教の教えというのは、一言で言えば何か」という問いに対しては、道林和尚が、「悪いことはしないように、善い事をしなさい。 そして、自らの心を浄らかにしなさい、是が諸仏の教えであります」と答えたそうです。
それを聞いた白楽天は、「そんな事は子供でも知っている。馬鹿にするな」と言って怒ったそうです。
その時、道林和尚が「その通りです。だれもが知っています。しかし、その事を行うのは難しい」と言われたそうですが、今申し上げたいのはこの事ではなく、 大事なのは、大谷派の学者である山口益先生が申されておりますが、「悪い事はやめて善い事をしよう」と言うのは 《
廃悪修善
(
はいあくしゅぜん
)
》と言います。
そこで問題は、悪い事をやめて善い事をすれば、それは浄らかな心に成ったと理解するのが通常であります。
悪い事をやめて善い事をする様に成れば、心が浄らかに成った事である。
これが仏教であると、中国では理解されていたのであります。
・・・・けれども今申します本来の大切なる意味は《
廃悪修善
(
はいあくしゅぜん
)
》ですから、 悪い事をやめて善い事をする、そのような人間の心を浄くしなさい、と言う。
分かり易く申しますと、悪事をせず善事を行う、これは分かりますね。
ところが、善い事をして、どうしてその心を更に浄くしなければならないのか、と言う事が分からない。
今ここで言わんとしている事は、善い事をしようとするその心を浄らかにしなさい、と言っていると申せば分かるかと思います。
そうしますと、「善い事をしたら悪いのか。」と言う反論が出ると思いますが、それなら
御伺
(
おうかが
)
いしますが、善い事とはどの様な事でしょう。
そうなれば、お昼の御縁でお話をしました、「○○の為」の話をしなくてはならなくなります。
善い事をすると申せば「貴方の為である」とか「世界平和の為」とか言うのではないですか。
又、善い事をしたらしたで、良い気持ちに成ります。
更にもう一つやっかいな事は、善い事をしたらしたで、「おれが」と言うものが出て、お前が悪いと言う立場に変わってくる。
そうなると、自己の善の物差しに反する者をたたくのであります。
そのような論法、そのようなる意味でハイデッカー会議で提案された 《
極重
(
ごくじゅう
)
の
悪人
(
あくにん
)
》と言うのは、必ずしも善に対する悪人だけを言うているのではない。
浄土真宗で申しますのは、実は善人でも悪人でも、仏様の御智慧より見れば皆、悪人であります。
仏智
(
ぶっち
)
より見れば皆、不完全でありますね。
人間の事を仏法では
凡夫
(
ぼんぶ
)
という。
その凡夫の浅智慧の眼から見れば、善人や悪人があっても、如来様の眼より見られれば、どんぐりのせい比べではないですか。
そのような意味で、ハイデッカー会議では 《
極重
(
ごくじゅう
)
の
悪人
(
あくにん
)
》 と言う自覚に立たねば、真の平和はありえないと言うことに気付かれて、 それを提案されたと言う事を御伝えしたかったのです。』
【「愛児を残して」渡辺敏雄 彰真会/編(探究社 発行)より抜粋。】
部分的な抜粋で、少し意味の取り難いところもあったかも知れませんが、言わんとするところをお汲み取り頂けたら
幸甚
(
こうじん
)
です。
先徳
(
せんとく
)
の
法語
(
ほうご
)
に次のようなものを聞いたことがあります。
「み仏の 鏡に 映る わが姿 落ちる私と知らされる 助かる私と知らされる」
という法語です。
仏様の智慧に
依
(
よ
)
らなければ、真実の、掛け値のない、
素
(
す
)
の、あるがままの、私の姿は分からないということでしょう。
凡夫はどうしても、自己に対する
採点
(
さいてん
)
は、甘くなるようですよね。
私もそうです。
自分に対する
評価
(
ひょうか
)
は甘くなります。
自画自賛
(
じがじさん
)
という言葉があります。
自分が自分を見ているのですから、仕方ないのでしょう。
仏様に見られた私、「み仏の 鏡に映る わが姿」
これをお聞かせいただくことが、「
真宗聴聞
(
しんしゅうちょうもん
)
」の中に お育て頂く者の受けることではないでしようか?
共々に、仏法にお育て頂き続けたいものだと念ずる次第です。 称名
最後に 「人生のほほえみ」【中学生はがき通信】の言葉から、一部紹介させて頂きます。
【『人生のほほえみ』波北 彰真 著 本願寺出版社より】
「親子」
親子だから
おたがいに
「ワカッテイルツモリ」で
いるけれど
「ワカッテナイコト」が
あるんじゃないかな?
親子だから
おたがいに
「ワカリアウ」ようにしたいネ
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い」
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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