2024年5月 第151話

朝事*住職の法話

地獄じごくの心《
     
 住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
 今月は「地獄じごくの心《という題にしました。
 「お念仏ねんぶつとは何か《ひろさちや 新潮社 
 という本に次のように書いてありました。少しご紹介させて頂きます。

 『あなたとの出会いを大事にしたい

 あなたは死後の世界をとぼとぼと旅をしています。細い一本道を、たった一人で歩くのです。
 ところが、突然、道が二つに わかれる所に来ました。三叉路になっているのです。
 一本の道は地獄に通じています。もう一本は極楽世界への道です。
 あなたは極楽世界に行きたいのですが、どちらの道が極楽への道かわかりません。
 しかし、そこに小さな小屋があります。そして、小屋に案内人がいます。
 あなたはその案内人に道を尋ねます。
 「極楽世界に行きたいのですが、左か右か、どちらの道が極楽に行けるのですか?《
 だが案内人は黙ってあなたに一枚の紙を渡しました。それにはこう書いてあります。
 「ここにいる案内人は、極楽と地獄から日替りで出張して来ている。そして、極楽から来た案内人であれば、あなたの質問に正しい答えをする。
 だが、地獄から来た案内人であれば、嘘の答えをする。そのことをよくわかって質問するように。
 それから、これが大事なことであるが、、あなたはたった一回しか質問できない《
 さあ、困りました。どうすればよいでしょうか?

 質問が二問許されるのであれば、最初に、
 「2たす2は4ですか、5ですか?
 と質問して、相手が5だと答えると彼は地獄から来た案内人だとわかり、次に極楽世界への道を尋ねるといいわけです。
 そして、彼が「左《と言えば右へ、「右《と答えると左に行けば間違いなく極楽に行けます。
 でも、質問が一回しか許されないのですから、相手が極楽の人か地獄の人か確かめようがありません。
 これはクイズの問題です。古典的なクイズで、読者もお聞きになったことがあるかもしれません。
 正解は、
 「私は、あなたの国に行きたいのですが、あなたの国はどちらですか?《
 と尋ねるといいのです。そうすると、その案内人が極楽から来た人であれば、彼はあなたに極楽への道を教えてくれます。
 反対に彼が地獄から来た人であれば、彼はあなたに極楽への道を教えてくれます。
 地獄の人は必ず嘘をつくのですから、自分の国ではない極楽への道を教えるわけです。
 ですから、あなたは案内人の言う通りの道を進めばいい。そうすると必ず極楽世界に行けるのです。
 おかしな脱線話をして、しかももったいぶった説教をする。
 わたしの悪い癖がつい出てしまったのですが、お許しください。
 しかし、わたしは、これはなかなかいい話だと思うんです。
 それで、この話を種にして、ちょっとお説教をしたい。
 

 わたしたちは人と出会ったとき、すぐさま「この人はいい人《「この人はいやな人《と判断してしまいます。
 そして、いやな人とは一緒にいたくないと思う。
 同窓会の案内があっても、
「誰それが来るのであれば、出席するのはやめよう《
 と思うのです。
 わたしだけではないですよね、たぶんみんながそう思っているでしょう。
 じつは、その心が、地獄の心なんです。
 あの人には会いたい、この人には会いたくないといった、人間を差別する心が地獄です。
 だから、道案内に質問するとき、「もしもこの人が地獄から来た人であったら、わたしはこの人のいる所なんかに行きたくない《と思っている、あなたのその心が地獄の心なんだから、 あなたはなかなか極楽世界に行けないのです。
 あなたの心の中に地獄があるのです。
 しかし、もしあなたが、
 「この人が極楽の人か地獄の人か、私は知らない。でも、わたしはこの人と出会ったのだから、そのような出会いを大事にして、この人の国に行こう《
 と考えたなら、そのときあなたは極楽の心でいます。
 だから、あなたは極楽世界に行けるのです。
 どうです、そう考えると、これはなかなかいいクイズですね。』
 【『お念仏とは何か』ひろさちや より抜粋】
 
 私の心が地獄の心である限り、どこへ行っても、そこを地獄の世界にしてしまうのですね。
 このままの心で極楽へ行ったとしても、そこを地獄にしてしまうのが地獄の心ですね。
 この地獄の心でいくら極楽について考えても、分かるわけがないですよね。心が違うんですから!
 
 「誰それが来るのであれば、出席するのはやめよう。《という同窓会の話は、あまりにリアルで、そういう心はあるよなあ!と思い当たる話ですね。
 妙好人の源左さんの逸話に次のような話があります。
【※方言を、私なりに、少し現代語に直して書いてみます。】

 『悪い自分 

 源左さんは嘗て誰々は悪いと云ったことがありませんでした。誰よりも悪い自分のことをいつも話すのでした。』
 
 これは大変すごいことですよね!「仏法は無我にて候《という蓮如上人の言葉を、そのまま生きておられた源左さんの言葉と拝されます。
 仏さまの心と絶えず触れ合っていた源左さんは、如来さまの鏡に映し出された自分の心を、常に見せられ、恥ておられたのでしょうか?
 また、次のような逸話もあります。

 『愚痴

 はつ、「お爺さん、なんぼ聞かして貰ふても、この心はええもんにならんがやあ《。
  源左「この心がこの喜ばれぬの奴が、喜ばれるようになったり、愚痴の起こるのが起こらぬようになったり、腹の立たぬようになって仕舞ったら、そんなになれたら、 何ぼう助けて貰いたくても、助けてもらえないからのう《。
 「我心は何ぼう聞いても、愚痴も止まず、喜びづめにもなれない。それが直れる奴だったら、親さんは凡夫とは仰らないだからなあ。
 そんなになれたら、善人だからなあ。そんな奴に一々合して立てて下された御本願だけえ、この心が喜びづめに成られたら、折角、合して立てて下された御本願が、 立ち腐れになるなあ。
 そうだから、この心が悪けりゃ悪いほど、愚痴が起これば起こるほど、親さんの方は大丈夫だ。
 助けてもらってあることを聞かしてもらうばっかりだ。
 はいの返事一つに、親さんが仕上げて下されてあるでのう。』

 源左さんの言葉は、とても深いですね。深いことを、簡単な分かりやすい言葉にして語られているような気がします。
 また、自分自身の日々の心の有様が、反省させられるとともに、如来さまのお慈悲の深さに改めて驚かされます。
 
 『仕合
 
 この源左は一番悪いで、仕合せだがやあ』。
 
 このように源左さんは、如来さまお慈悲の鏡に映った自己の姿を懺悔しつつ、又同時に、如来さまの摂取上捨【せっしゅふしゃ】の光明に抱かれていることに、日々感謝しながら、 お念仏生活を送っておられる姿が仰がれます。
 み教えを聞くことを通して、自分は真に聞くべきことを聞かして頂いた、遇うべきものに遇わせていただいた。
 「自分は真実の幸せ者である。《と、胸に温かい如来さまの心が通っていることを感じながら、深い感謝の思いを抱いて生きておられたのでしょうか。
 源左さんの言葉を味わうと、こちらの心まで、なんとなく温かくなってきます。

 
 救われた者の生活とはどういうものなのか?源左さんの言動から感化を受けた人は多い。
 源左さんのことを心から尊敬し、懐かしく思い、その信心の生活を慕うとともに、同じように、この私にも、如来さまのお慈悲が注がれていることに目覚めさせて頂き、如来さまから恵まれた 感謝と懺悔のお念仏生活を大切に生かされて行きたい。称吊  

   
 『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊』


 ☆☆法語☆☆      
                                                 
         
*御催促【ごさいそく】 
           
長男が死に、引続いて 
           
次男が死に、災厄が  
重なった。 
願正寺の住職さんが   
「爺さん、仏の御慈悲に上足が  
起こりはせんかいのう《 
と尋ねると、源左、
「有難う御座んす、御院家さん、   
如来さんからの御催促で  
御座んす。之でも往生 
出来んか、之でも 
出来んかと、御催促で 
御座んすわいなあ。 
ようこそようこそ 
なんまんだぶ なんまんだぶ 
「妙好人 因幡の源左《 
柳 宗悦 衣笠一省 編 
          


ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌

最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。

「今ここでの救い《

 念仏ねんぶつおしえに あうものは、いのちを えて はじめて すくいに あずかるのではない。 いま くるしんでいるこの わたくしに、 阿弥陀如来あみだにょらいねがいは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人しんらんしょうにんおおせになる。
 信心しんじん さだ まるとき 往生おうじょうまた さだまるなり
 信心しんじん いただくそのときに、たしかな すくい にあずかる。 如来にょらいは、 なやくるしんでいる わたくしを、 そのまま きとめて、 けっして てる ことがない。 本願ほんがんの はたらきに あう そのときに、 煩悩ぼんのうを かかえた わたくしが、 かならほとけになる さだまる。 くるしみ なや人生じんせいも、 如来にょらい慈悲じひあうとき、 もはや、 苦悩くのう のままではない。 阿弥陀如来あみだにょらいいだかれて 人生じんせいあゆみ、 さとりの 世界せかいみちびかれて いくことになる。 まさに いま、 ここに いたり とどいている すくい、 これが 浄土真宗じょうどしんしゅうすくいである。






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