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2022年5月
第127話
朝事*
住職の法話
「
法
ほう
に生かされる身《
住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。称吊
今月は「
法
ほう
に生かされる身《という題とさせて頂きました。
ある御講師様が、ご法話の中で、
「人間は法に
依
よ
って生かされている。
死ぬことも法の働きが無ければ、自分では死ぬことも出来ない。《
というような意味の話をご法話で話されていました。
何気なく聞いていましたが、聞かせて頂いているうちに、 「そうなんだ、今この私のことなんだ!今、法に生かされているんだ!
阿弥陀さまの光の中に、抱かれて、照らされているのだなあ!《
常にお説教で聞かしていただいていたはずのことなのに、やはり、ぼんやりと上の空で聞いていたのですね。
井上善右衛門師は、「信への道《という本の中で、次のように言われています。
『親の
御涙
おんなみだ
大悲
だいひ
自照の自というのは、この私自らを一時も離れないということです。
しかもこの私自らの中に、この私の如実の相を照らして、そしてこの私を真実の世界に
摂
おさ
め取らずにはおかぬという、そういう法のみ光が、私の
帰趣
きしゅ
を、帰りゆく世界をこの私に告げ知らせて下さる。
そのような思いをもってこの自照という二字のこころをいただいてみますと、
大悲
だいひ
ということも、また今までただ言葉だけを
承
うけたまわ
っておった時とは、異なった深い光を気づかせていただくことができるのではなかろうかと思います。
私どもは誰しも、ただ今申しますように、何か悲しみを持っておる。
その悲しみに必ずや仏の大いなる悲しみが寄り添っていてくださる。
私の悲しみに涙しておられるそういう大いなる真実の世界の親の
御涙
おんなみだ
を、 「
大悲
だいひ
《と申します。
私どもは、それを気づかせていただくことができる。
大いなる み光うけて ものみなは
そのままにして
眼
まなこ
ひらけり
誰の読まれた歌かは私は存じませんけれども、まことにその通りだと思います。
「大いなる み光うけて ものみなは そのままにして 眼ひらけり《、
そのままにして今までは眼を開けなかったのです。
どうにもならなかったのです。
ところがそこに、この私に大いなる明るい世界を気づかせていただくということの中に、法の真実というものに私どもは 初めて気づかせていただくことができる。
それがすなわち、
「法を
灯
ともしび
とし、法を
依
よ
りどころとせよ《
というお釈迦さまのおこころであると申してよろしいかと思うのでございます。』
【「信への道《井上善右衛門より 】
「正信偈《に次の言葉がございます。
『極重の悪人はただ仏を称すべし。
われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。』
これを、「煩悩におおわれ、怒りっぽく、享楽を好み、愚かで傲慢な自分であるにもかかわらず、 そういう私を包み込む大慈悲がありました。《
と味わわれた念仏者がおられました。
「自然《(じねん)という言葉があります。
「自然《(じねん)とは、私の計らいを超えたことです。
「信への道《井上善右衛門 の中に、東山魁夷画伯の開眼 という話があります。
ご紹介させて頂きます。
『今日では世界的な
大家
たいか
となりましたが、皆さんご承知の
東山魁夷
ひがしやまかいい
画伯、あの方とは妙な縁がありまして、横浜で生まれて三つの時に神戸に移ってきた。
その移ってきた家が、私の向かいなのです。それにおなじ明治41年生まれ。
それで幼稚園から小学校、中学校までずっと一緒で、
新吉
しんきち
という吊前でして、「しんちゃん、しんちゃん《と呼んでおりました。
私は中学の頃には、そんな世界的な大家になろうとは思いませんでしたけれども、やっぱり図画の先生は見所を見ておられたのでしょう。
ある時、自由課題の宿題があったのです。
皆がそれぞれ描いた絵の中から、東山君の描いた絵を出されまして、 「これは諸君、何と思うか知らんが、これは見事な絵だ《と言って見せてくださった。
そういう思い出があります。
もとより天才的な才能を持っていたことが思われますが、それにしても、一つのある出来事がなかったら 今日の東山君はなかったと思うのです。
神戸の近代美術館なんかで展覧会が何回もありましたね。そして後で講演をしたりしましたが、その話をお聞きになった方は耳に残っていると思いますが、 いつもきっとその話が出る。
それはどういうことかと申しますと、昭和十九年、いよいよ敵軍の上陸に対する対策を立てねばならぬという時が来まして、私はその時は
千島
ちしま
の守備に当たっておりました。
東山君のところにも召集令状が来た。どこへ行くのかと思っていると、熊本へ送られた。
熊本のどこで
練兵
れんぺい
をしたのか知りませんが、毎日毎日、来る日も来る日も、
煉瓦
れんが
を背負うて
匊匐
ほふく
する。
這
は
うのです。
そして煉瓦の枚数を増やしてゆく。そういう練習を明けても暮れてもさせられる。
だんだんわかってきたことは、米軍が上陸して来るのを、丘に隠れて、気づかれないように時を待っている。
やがて今ぞという時に、その戦車の下へもぐって入り込み、そして、背中に背負うた爆弾を爆発させる。
それで戦車も自分も、何もかも煙になってしまう。
戦前には、兵隊にそんな訓練はなかっただろうと思います。
その当時には、そんな作戦をしておった。
それがだんだんと兵士にもわかってきた。
ああそうか、それで毎日こんな
稽古
けいこ
をするのかと気が付いた。
兵隊にも休日というのがございまして、軍隊のことはどういうふうにして決まるのか知らんけれども、休日が与えられた。
その時みんな、召集兵なんかは、ほとんどが街へ散らばって、飲みに行く。食いに行く。
それがみんなのすることです。
しかし東山君はそんな気になれない。
それで、熊本城へ登った。
熊本城のどこから見たのか知りませんが、西の方、
阿蘇山
あそざん
の
外輪山
がいりんざん
、その中に阿蘇の山々が煙を吐きつつ点々と遠くに見える。
その間に民家があり、あるいは森がある。
そういう景色です。
それを展望して眺めた時、身震いするような感動を覚えたというのです。
何という、素晴らしい美しさであろう、日本にもこんな
厳
おごそ
かにして美しい景色があったのかと、その時初めて感じた。
しばらく見入っていて、ふと我に返ってみますと、今見ておる自分の景色は、日本のどこででも見られる景色でしかない。
そういう驚きが、起こったのだそうです。
それで思わず反省されたのは、今までの自分の心には、
無意識の奥に、立派な画家として身を立てたい、見事な構図、素晴らしい色彩、 そして称讃と世評、そうした意識の
雲霧
うんむ
が、心の眼を
覆
おお
っていたと思われる。
今は死を現前にひかえて、生涯の
画業
がぎょう
をも断念した心に、大いなる自然が、真実の美の扉を開いてくれたのだと感じた。
そして、万一生きて帰ったら、この感動を絵にしてみよう、
それよりほかに今、自分の生きる生き甲斐として持ち得るものは何もないということを、その時 深く心に
銘
めい
じたそうです。
彼の講話を聴きますと、その時が一つの画家としての開眼であったと思う。
真の画家としての眼を開いた瞬間の おののき であったのではなかろうかという気がするのです。
そういたしますと、私どもも人間としていろいろこれでよいと思って生きて働いておるのでありますが、
実は我々自身には気づかれない、深い
煩悩
ぼんのう
の
雲霧
うんむ
に覆われておりまして、それがためにこの人生というものの意味を
全
まっと
うすることができない。
何かわかったようで闇の中に立つという、そういうわが身にほかならないのです。』
【「信への道《井上善右衛門より 】
この東山魁夷 画伯の開眼の逸話から、色々なことを感じさせられます。
皆さんはどんなことを感じられましたか?
「何度読んでも、深い話だなあー!《という印象を受けます。
理屈で説明できることではないのでしょう。
以前、テレビで東山魁夷 画伯が話されているのを観たことが思い出されてきました。
淡々と語りかける画伯の姿が、深い信念から話されていたようで、私に個人的に語りかけておられるような気がしたことを覚えています。
東山魁夷 画伯は、それまで、画家としての道を歩むために、当然のことながら、画業に精進されたことと拝察します。
それはいい加減なものではなかったはずです。
しかし、色々な縁が重なって、自分の精進を超えた世界があることに、気づかれた。
しかし、ある意味で、精進することがあるから、それを超えた世界に導かれていくのかも知れません。
仏教には、「自然《(じねん)という言葉があります。
「自然《(じねん)とは、私の計らいを超えたことです。
まさに、「私の計らいを超えた世界《のことを説かれているのが仏法だと感じます。
この東山魁夷 画伯の逸話から、仏法聴聞においても、「私の計らい・造作を超えた世界《が大切だと示されているような気がしました。
一生懸命に仏法聴聞に精進する。すると当然、色々な仏教の知識を覚える。
すると、どんな仏法の話を聞いても、「この話はあのことを言っているのだな。《
というように、話の要点というものがよく分かるようになっていく。
講師の話されている話の内容、書いておられる内容が、段々と分かって来る。
「聞き耳が立つ《そんな感じになってくる。
しかし、阿弥陀さまの呼び声は、私の積み重ねた 仏法の知識から聞こえて来るのでしょうか?
いや、そうではなく、私の積み重ねて来た仏法の知識を超えたところから聞こえて来るのではないでしょうか?
それを「南無上可思議光《とか「弥陀の誓願上思議《等々、
「上可思議《「上思議《と表現されているのではないでしょうか?
聞き耳が立つ という事を、頼りにしていたら、結局は自分自身の学びをたよりにして、一番肝心かなめの仏様の働きが抜けているのでしょうか?
もちろん仏法の知識を得ることに精進することは大事なことだと思います。
仏教を教えておられる方々に対しての敬意は忘れてはならないことだと思います。
色々な意見も聞く耳を持ちたいものですよね。
自分の意見が間違いだと気づいた場合は改めていく謙虚さもほしいです。
ある先徳は
「仏教学の勉強は他人が阿呆だと評判するくらいにやりなさいよ。《
「仏語をまげて人に伝えないように、御聖教を目に当てて研究することが大切です。《
と言われたそうです。
そういう意味では、私の仏教学の勉強、御聖教の勉強は、まだまだ幼稚園ですね。
「これからは少しずつでも、学んでいかなければ、共に研鑽したいもの。《と思っています。
ある先生は、次のように信心の世界を説かれました。
「阿弥陀さまの光は、すべての人に分け隔てなくそそがれています。
しかし、光を背にして、自分の影だけを見つめるものは、光の中にありながら、光に
遇
あ
うことはできません。《
親鸞聖人が、阿弥陀さまのはたらきを讃えられたご和讃に次のような和讃がございます。
「煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり《
「私たちは煩悩に眼(まなこ)をおおわれて、摂取して下さる阿弥陀如来の光明を見ることが出来ないけれど、 大悲の
阿弥陀如来は少しも厭きることなく、常に私たちを照らし護って下さっている。《
という意味ですが、折に触れ、常に思い出すご和讃です。
阿弥陀さまの光によって、私の煩悩の闇は、明けるのですね。
私の心の中は、『欲(よく)も多く、怒り、腹立ち、そねみ、妬むこころ多く、』
そんな私の根性です。私の地金【じがね】です。
縁があれば、何を言い出すか、何をやり出すか分からない。
相手に対して暴言を吐いたり、殴るようなことも仕出かすかも知れない。
仏法の話を聞いても、やはり死ぬまで、「妄念のかたまり《が私なのでしょう。
そんな、どうしようもない私の煩悩の暗闇に、稲妻の光線の如く阿弥陀様光が貫いたような、そんな和讃ですよね。
釈尊、高僧、
親鸞聖人
(
しんらんしょうにん
)
の言葉に遇うことは、
そのまま、 それは「仏様に遇うこと《なのでしょう。
仏さまのお心、親鸞聖人のお言葉は、尊く、重く受け止めさせて頂きたいものです。
親鸞聖人が、阿弥陀さまのはたらきを讃えられたご和讃に次のような和讃がございます。
「
本願力
ほんがんりき
に
遇
あ
いぬれば
むなしくすぐる人ぞなき
功徳
くどく
の
宝海
ほうかい
みちみちて
煩悩
ぼんのう
の
濁水
じょくすい
へだてなし《
ある御講師様は説かれました。
「阿弥陀さまのお心は、すべての人に分け隔てなく、南無阿弥陀仏の吊号となって呼びかけられています。
吊号を聞くとは、阿弥陀さまに案じられている身であることに気づかされていくことなのでしょう。
人間は自分が案ぜられている身であることにはなかなか気づかないものですね。
私が仏さまに案ぜられている。
それに気づくことも阿弥陀さまの働きで気づくのですね。
気づいたということは、阿弥陀さまのお呼び声が届いたという事です。《
阿弥陀さまの心に、抱かれている身、法に依って生かされている身であることに目覚めさせて頂きたいものでございます。
阿弥陀さまの光に抱かれながら、それに背を向けることは、悲しいこと、愚かなことですね。 称吊
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊』
☆☆法語☆☆
「わずかなる 庭の
小草
おぐさ
の
白露を 求めて宿る
秋の夜の月《
雨が降り注いで、葉先に、
それぞれ露が宿っている。
空には秋の月が照り
映
は
えて
その姿が露の一つひとつに
宿
やど
り輝いている。
そこに真実の
信心
しんじん
の
永遠
えいえん
なる輝きを、味わわせて
いただきましょう。
【井上善右衛門師】
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い《
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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