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2021年12月
第122話
朝事*
住職の法話
「私を
揺
ゆ
り動かすもの《
住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
今月は「私を
揺
ゆ
り動かすもの《という題とさせて頂きました。
12月となり年の瀬となりました。この一年の総決算であるとともに、一生の総決算、信心の総決算と心得ることが大事でありましょう。
『あたりまえの上思議 続』星野 親行師 (探求社)より、ご法話を、ご紹介させて頂きます。
『年の瀬を迎えようとする平成15年12月8日に、行信教校校長の利井明弘(かがい みょうぐ)先生が、ご出講先の広島で突然ご往生になりました。
67歳でした。ここ十年ばかり毎年、西法寺の報恩講さまにご出講くださっていました。
私も五年ほど前から、行信教校のお手伝いをさせていただくようになっておりましたので、少しずつではありましたが、校長先生と、やっといろいろなお話を させていただけるようになっていました。 ・・・ 校長先生が精魂込めてお伝えくださったのは、「後生の一大事《(ごしょうのいちだいじ)でありました。
「私の《いのち》は、この
娑婆
しゃば
の縁が切れたらどうなるのか。 ・・・ お念仏は阿弥陀さまが、私の上にはたらいてくださっている証拠なんやから、お念仏聞いてよろこばな《
これが校長先生が生涯かけて私に伝えようとしてくださっていたことやなと、私は今、味わわせてもらっています。
ご葬儀のとき校長先生の奥さまが、本堂や境内にお集りのたくさんの方々の絶えることのないお念仏の声をお聞きになりながら、 「お父ちゃまは、もうすでにココにはたらいてくれてるなぁ《とおっしゃっておられたそうです。
「阿弥陀さんがはたらいてくださらなかったら、私の口から念仏は出ませんよ。ああやこうやと人のうわさ話は出ても、お念仏が出ることはない。
その私の口から今、念仏が出てることの上思議さ、ありがたさを思わせてもらわな《
これも校長先生のお言葉でした。
親鸞聖人のお説き残しくださった浄土真宗のご法義に
遇
あ
わせていただいた我々に、 「
永久
とわ
の別れ《はありません。
どんな別れ方をしても、かならずまた会わせていただける世界が約束されているのであります。
なごりをしくおもへども、
娑婆
しゃば
の縁尽きて、ちからなくしてをわるときに、かの土へはまいるべきなり。
という「歎異抄《のご法語が、本当にありがたく感じられます。
私がこれだけの徳を積んだから、お浄土へ生まれることができるのではありません。
ただひとつ、「必ず私の浄土へ生まれることができると思って、 お念仏しながら生きてこいよ《という阿弥陀さまのご本願を素直に聞き、その通りにお念仏申しながら生きることで、校長先生がお生まれになった阿弥陀さまの浄土へ、 私たちも必ず生まれさせていただくのです。
ご一緒にご
聴聞
ちょうもん
させていただきましょう。
「あんな、ごっついこというたろか。元気なうちに、時間のある間に、いや、今からでエエからご法義聞かなあかんで、人の《いのち 》なんかいつ終わってしまうか わかれへんねんから《
校長先生はそうおっしゃってくださっているのです。』
(『あたりまえの上思議 続』星野親行 )
「阿弥陀さんがはたらいてくださらなかったら、私の口から念仏は出ませんよ。ああやこうやと人のうわさ話は出ても、お念仏が出ることはない。
その私の口から今、念仏が出てることの上思議さ、ありがたさを思わせてもらわな《
とあります。
確かに、人のうわさ話や、もっと言えば悪口なんかは、何も考えなくても自然に出てきます。
その私の口からお念仏が出ていることは、上思議な事であります。
「阿弥陀さまがはたらいて下さらなかったら、私の口から念仏は出ませんよ。《
誠に、この一言は、私を心を貫く思いがします。
『あたりまえの上思議 続』星野親行 に、次のような話がございます。
ご紹介させて頂きます。
『忘れがちなる南無阿弥陀仏
春になりますと、私は、行信教校をおつくりくださった利井鮮妙(かがい せんみょう)和上のお歌を思い出します。
もともとは蓮如上人にまつわる逸話が、題材のお歌であります。
ほーきけよ ひねもすつぐる
鶯
うぐいす
の 声にもはじけよ 念仏とも
「ほーほけきょ ほーほけきょ《と、美しい声でなく鶯の鳴き声を「あぁ鶯が法を聞けよと、私に呼びかけてくださってるんやなぁ《と聞いて、それなのになかなか 仏法を聞く心の起こらない私であるなぁ。
鶯さえも励ましてくれているのだから、ご聴聞させていただかんとなぁと、
詠
よ
まれているお歌でありましょうか。
忘れまじ 忘れまじとは思へども、忘れがちなる南無阿弥陀仏
これも鮮妙(せんみょう)和上のお歌であります。
私はこの歌が大好きです。
私の口から出てくださる南無阿弥陀仏というお念仏は、私が私の力で称えておることには違いないけれども、阿弥陀さまがそのお徳のすべてを込めて、 「必ず救ってみせるぞ、安心して私の吊をよびながら日暮ししてくれよ《と私に届け、称えさせてくださっているものだ。
こう聞かせていただいた上には、この南無阿弥陀仏を称え続けていこう、とは思っているけれどもつい忘れてしまうわね、ということであります。
しかし、「あっ、しばらくお念仏忘れてた《と思うということは、お念仏を思い出させてくださったのも、阿弥陀さまが「お前さん必ず救うてみせるで《と 私を願い支えてくださっている、阿弥陀さまのご本願のはたらきなのです。
これがあるからこそ、「忘れがちなる南無阿弥陀仏《といい切ることができるのであります。
そのことをあらためて味わわせていただく話を、山本攝叡先生からお聞きいたしました。
大和(やまと)といいますから、今の奈良県です。
そこに、清九郎(せいくろう)という
妙好人
みょうこうにん
がおられました。
東本願寺の末寺のご門徒さまであったそうですが、とにかくたいへんありがたいお
同行
どうぎょう
であったそうで、数々の逸話が残っております。
あるとき、大和でご本山からご門主(今、東本願寺では門首と書きます)をお迎えして、近隣の住職方はみんな集まるというような、たいへん大きな ご法要がつとまりました。
お
勤
つと
めが終わり、ご門主がご出座になって、 ご
親教
しんきょう
をなさいます。
そのときにご門主が、「ここは大和であろう。こちらには清九郎というありがたい同行がおると聞いておるが、清九郎とやらは参っておるかの《と おたずねになりました。
清九郎さんは満堂のご本堂の隅の方から小さな声で、
「へい《と返事してわずかに手を挙げました。
ご門主は清九郎を見つけると、清九郎のところまで近寄られて、「そなたが清九郎か、清九郎よご法義相続してくれておるかの《とおたずねになりました。
すると清九郎さんは「はい、お恥ずかしいことですが、、、《とおっしゃって、その後に「私はご法義忘れがちでございます。ところがありがたいことに、 阿弥陀さまのほうからときどき私をお訪ねくださいます《とおっしゃったそうであります。
阿弥陀さまが、私を訪ねてくださっている。
それが、私の口から出てくださるお念仏であります。
私の口から出るお念仏や、耳に届く「なもあみだぶつ《は、ご法義忘れがちな私の上に、「ちゃんと支えているぞ《と、 阿弥陀さまが訪ねてきてくださっているのです。
先ほどの鮮妙(せんみょう)和上の、「忘れまじ、忘れまじとは思えども 忘れがちなる南無阿弥陀仏《というお歌に、
「こんなことでどうなるだろうか《という暗さが
微塵
みじん
も感じられないのは、忘れていた私に、「阿弥陀さまが訪ねてきてくださる《から、「あっ、しばらくお念仏忘れとったな《 と思い出すのであります。
「阿弥陀さまのほうから、ときどき私をお訪ねくださいます《
ありがたいお言葉であります。
一生懸命称えるお念仏も、阿弥陀さまが「お前さんを、ちゃんと支えているよ《と、私を訪ねてきてくださっていることなのです。』
(『あたりまえの上思議 続』星野親行 )
仏法のことを忘れがちな私の上に、「ちゃんと支えているぞ《と、阿弥陀さまが「なもあみだぶつ《となって、訪ねてきてくださっていることが、 味わい深く説かれています。
ここには、阿弥陀さまの教えを、自分の造作(ぞうさ)をまじえず、教えを教えのままに素直に聞いておられる清九郎さんの信心の姿があると思います。
「南無阿弥陀仏《「なもあみだぶつ《のお念仏が、阿弥陀さまの私に呼びかけておられる生の声と味わっておられることを感じ驚かされます。
『あたりまえの上思議 続』星野親行 に、次のような話がございます。
ご紹介させて頂きます。
『阿弥陀さまの眼差し
平成22年の永代経さまは、 行信教校の山本攝叡先生にご出講をいただき、ご法話をご聴聞させていただきました。
「私たちが、おつとめをしたり、ご法話を聞いたり、お仏壇のお給仕をしたり・・・。
いろんなことをしますけれど、すべてはお念仏を申させていただくためのご縁でないかな、と思うんです《とおっしゃっていただきながら、 次のようなお話をお聞かせいただきました。
「飾らない相(すがた)でお念仏するんですよ《と、法然上人はいつもおっしゃっておられました。
我々は、じきに飾ります。
大阪弁でいうたら「エエかっこ《するということです。
阿弥陀さまの前で、飾る必要はないんだよということです。
ありのままの私で、お念仏しなさいよということでしょう。
なぜかというと、阿弥陀さまの方から私にいちばん合う行として、「お念仏《をお決めになってくださったのです。
阿弥陀さまは、私の何をご覧になったかというと、私のありのままをご覧になって、そのありのままの私に合う行、私にかなう行が何であるかということを 考え抜かれた結果が、「我が吊を称えよ《ということだったんですね。
私の家には今
牡丹
ぼたん
が三本あります。
私は、牡丹やら草花の世話が好きなんです。
もう咲いているのがあります。今年は早いですね。一本咲いています。
これね、いちばん日当たりの良いところに椊わっている牡丹なんです。
緋色
ひいろ
の牡丹です。
ところがちょっと横に、
蘇鉄
そてつ
の影になっている牡丹があります。
それはまだ
蕾
つぼみ
です。
で、可哀想に大きな木の影にある牡丹は、まだつぼみもついていません。
しょぼんとしています。
同じように肥料をあげているのに、それぞれ違います。
みなさんどうですか、花を育てる楽しみというのは、花そのものよりも「いつごろつぼみがつくやろうかな《 とか、「新芽が出てきたな《ということが楽しみであり、よろこびだと思います。
新芽のころというのは、本当にいいですね。
緑が美しいです。
もしかしたら阿弥陀さまがお念仏申している私をご覧くださっているのは、ちょうどそんなふうに、私が新緑を
観
み
るように、育ちはじめた私をご覧になってるんと違うかなぁと思うんですよ。
で、残念ながら人それぞれご縁があるから、日当たりのエエところの人はバーッと咲くやろうし、日当たりの悪いところならば、まだ蕾の者もあるかもしれない。
でも、育ちはじめていることには変わりがないと、阿弥陀さまはお念仏する者を「ようお念仏してくれたな《とよろこんでくれてはるやろうし、今はまだ チョットはずかしそうにね、飾りながら、照れくさいなぁなんか思いながら、ボソボソとしている蕾のようなお念仏もあるでしょうけれど、阿弥陀さまは 「ようお念仏しはじめてくれたね《と、よろこんでご覧になってくれてはるんじゃないかなと思うんですよね。
だから縁によって育ちの早い遅いはあるかもしれないけれども、みんな今、育ちはじめた相(すがた)なんだ。
だから、私の口からお念仏が出るということはね、阿弥陀さまのご本願に応えた相(すがた)なんだ。
その応えかたは人それぞれ縁によって違いはあるかもしれないけれど、間違いなく今、仏さまの願いに私の心が向いて育ちつつある相(すがた)が、 私がお念仏している相(すがた)だと、阿弥陀さまはご覧になってくださっているんじゃないかなと思うのです。
お念仏したということが、すでに阿弥陀さまの願いにかなっていることなんだよ、お念仏が出たその相(すがた)そのものが 「
即得往生
そくとくおうじょう
《という相(すがた)なんだよ、と聞いていきなさいよ。
自分の耳に届く「なんまんだぶ《の一声一声が、「間違いない必ず往生できる《ということなんだよと、聞いていきなさいとおっしゃったんでしょうね。
私は仏さまを見たこともないし、お会いしたこともないけれども、私の声が「なんまんだぶつ《と動いたとき、呼ばしてもらったときにね、ちょうど新緑の新芽がポッ と出はじめたときのように、私のことを「なんと美しい相(すがた)なんだろう《と思って、仏さまがご覧になってくださっておるんでしょうね。
お互いどうしは、
愚痴
ぐち
や
罵
ののし
りあいの言葉をいうかもしれない。
その私の口から、たったひとつの美しい言葉が出てくださる。
それがお念仏でしょう。
お念仏するお前は、この上なく美しいよと見てくださる これが仏さまの
眼差
まなざ
しだったのでしょう。』
(『あたりまえの上思議 続』星野親行 )
「私の口から、たったひとつの美しい言葉が出てくださる。それがお念仏でしょう。《
このたったひとつの言葉に出会えた上思議!
南無阿弥陀仏の六字の心を伝えるのがご法話なのでしょう。
あるお寺のご門徒のおばあさんは、
「日々の生活は、他の家族は忙しくて、自分は一人で、体調上良の時もある。
だから、淋しくも悲しくもなる。
しかし、仏法を聴聞させて頂いたおかげで、 ふとお念仏が出て下さって、胸の中がほかほか温かくなってきます。
お陰さまで、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏《
と言われたそうです。
お念仏は、悲しい、情けない心の濁りの中から出て下さるのですね。
ある先徳は、「信心は火中の蓮華《と味わわれています。
「
煩悩
ぼんのう
の燃えさかる炎の中に、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏の呼び声を聞かせて頂き、味わわせて頂く。《
という味わいでしょう。
もうお亡くなりになられましたが、あるご門徒のお婆さんが次のように言われていました。
「近所のあの奥さんが、こんな歌を作られたんですよ。
《今朝もまた、紅蓮の炎が燃え上がる。南無阿弥陀仏の消防車、消しても消しても、又 燃える。》《
中々、味わい深い、又、少しユーモラスな歌ではないでしょうか?
その奥さんも、もうすでにお亡くなりになられました。
私はその奥さんとは、面識はありましたが、私はその方のことを、あまりよくは知りませんでした。
後年、その奥さんは、ずっと病気で、長く闘病生活をされていた人だったと知りました。
辛い闘病生活の中で、自分の思い通りにならない苦しさの中で、紅蓮の炎を燃やしておられたのかな?
この歌は、そんなこと、そんな辛い気持ちの中から味わわれたみ教えの味わいの歌だったのか?
そんなことを思うと、この歌は、切れば血の出るような、とても真剣な歌だったんだと思い、少し胸が痛くなりました。
み教えを聞いている時は、有難い気持ちになって、
煩悩
ぼんのう
の炎も静かになっているように思います。
しかし、
煩悩
ぼんのう
は消えたわけではありません。
煩悩の蛇は、私は忘れていても、きっかけさえあれば、いつでも、すぐに出て来るものであるようですね。
私自身の事です。
煩悩は、縁があれば、すぐに現われてきます。
「火中の蓮華《とはよく言って下さったものですね。
蓮華とは、蓮の華のことですが、蓮は泥の中に居て、美しい華を咲かせます。
煩悩
ぼんのう
の泥の中に、
吊号
みょうごう
の
因
たね
を
蒔
ま
いて頂くのですね。
吊号の因を蒔いていただくには、仏法を聴聞させて頂くことが大事でありましょう。
仏法を聞く人も、聞かない人も、同じように、仏さまのみ光のうちにあるのでしょう。
しかし、「雨の音 聞く人ありて 雨の音《というように、いくら雨が降っていても、ビルの中に居ては、雨の音は聞こえません。
「雨の音 聞く人もなき 空き家かな《となってしまいます。
雨は誰に対しても、同じように、降っていても、そのことを知らなければ、その人にとっては、降っていないのと同じであります。
仏さまの光明は、どこにでも、行き渡っているのです。
あるご門徒のお婆さんが言われました。
「仏さまの光明は、どんなところへでも、隔てなく、照らしている。
この世は、仏様の光明で満ちている。
しかし、蓋(フタ)をしている者には、光は届かない。《
法然上人の歌に次のような歌がございます。
「月光(つきかげ)のいたらぬ
里
さと
はなけれども ながむる人の心にぞ住む《
いくら、お月さまが、どんなところへも、どんな人へも平等に照らして下さっていても、ながめない人の心には住んでいらっしゃらないのですね。
月の光の中にいても、眺めない人の心の中には、月はいらっしゃらないのですね。
ある方が、
「海の波がいくら騒いでも、月の光は宿って下さる。《
と話しておられました。
「これこそ凡夫の救いを説いて下さっておられるなあ!《
と、わが胸に響き渡るような気がして、有難く味わわして頂きました。
大変感銘を受けました。
その方の口を通して、仏さまが私に語りかけて下さった気がしました。
ここでいう、「月の光《とは、「仏さまの慈悲《のことを言っているのだそうです。
『仏さまの慈悲は、海の波がざわざわと騒ぐように、煩悩に荒れ狂う私たちの心の中に、「月の光《のように宿って下さる。』
私の心がどんなに煩悩で荒れ狂おうが、決して変わらない大きなお働きがあるんだよ、それが仏様の心だ、そんなことを感じさせられました。
勿体ない事です。
このような尊い仏法に傷をつけない為にも、凡夫とは言いながら、少しでも、慎ませて頂きたいものであります。
浅原才一さんの歌を紹介させて頂きます。
「
暗
くら
がりのわしの心に
灯
ひ
がついた
なむあみだぶつの
灯
ひ
がついて
ご
恩
おん
うれしやなむあみだぶつ
わしの
心
こころ
は
瞋恚
しんに
と
愚痴
ぐち
と
それにまさって
貪欲
とんよく
が
吊号上思議
みょうごうふしぎ
に
照
て
らされて
ご
恩
おん
うれしやなむあみだぶつ《
(浅原才一)
「欲や怒りや愚痴がでる でる
度毎
たびごと
にみ仏の
慈悲の心にたちかえり 力の限り生きてゆく《(藤 秀翠)
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊』
☆☆法語☆☆
我が身は悪き者と思へば自力は
はなるるなり。
助たまふはミダ一仏と思えば
雑行(ぞうぎょう)はすたるなり。
五劫思惟(ごこうしゆい)はわがゆえと
思えば凡夫の思案はいらぬなり。
永劫の修行がわがものと思えば
勤むべき行もなきなり。
広大のご恩と思えば喜びは
身にもあまるなり。
すてゆく娑婆と思えば
深きのぞみもなきなり。
やがて浄土の楽しみと思えば
憂き事もたえらるるなり。
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い《
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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