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2020年8月
第106話
朝事*
住職の法話
「
仏様
(
ほとけさま
)
と一緒に《
妙好人(みょうこうにん)【浄土真宗の信者のこと】の言葉には教えられるものが多くあります。
浅原才一(あさはらさいち)という妙好人(みょうこうにん)の方の言葉に次のようなものがございます。
自分で質問し自分で答える、自問自答の形になっています。
『「才一や、阿弥陀さまは、今どこにいらっしゃるのか《
「今、ちょっとお留守でございます。ナマンダブ、ナンマンダブ《、
「あっ、阿弥陀さんは、今お帰りになりました。ナンマンダブ《』
【浅原才一】
このような言葉が記録されています。
南無阿弥陀仏が口に出ないとき、聞こえない時には、阿弥陀さまは お留守なのか?どこにいらっしゃるの?分かりません。
阿弥陀さまの働きを忘れて、自分の心だけ見つめていることがあります。
煩悩が色々起こってきて、下手すると、「仏法も鉄砲もあるか!《のようになってしまいがちです。
そんな時は、阿弥陀さまが お留守だからでしょう。
でも南無阿弥陀仏と口に出たときに、「あっ今お帰りになりました。ナンマンダブツ《なのです。
浅原才一さんは、仏さまの所在というものを、明らかに教えて下さっています。
浅原才一さんは、「仏さまは、西方極楽浄土にじっとして居られるのじゃない。 南無阿弥陀仏という、仏さまとなって、私と今ここにいらっしゃる。《ということを教えて下さっています。
南無阿弥陀仏が聞こえるところ、私のいるところ、行くところ、いつでも、どこでも、 私と阿弥陀さまと片時も離れることはないのです。
しかし、私が南無阿弥陀仏を忘れているとき、阿弥陀と一緒で あることを忘れてしまっています。
阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって、この私と一緒に、 ここにいて下さるのでした。
南無阿弥陀仏の仏さまは、お念仏の人とともに、いつも 一緒に居て下さるのです。
おまつさん という信者の逸話に、次のような話があります。
『おまつ同行という方が、2・3日家を空けることになりました。
朝、お仏壇にお参りして、如来さんにお願いしたんです。
「2・3日ちょっと出かけますから、すいませんが、ちょっとお留守番、よろしゅうお願いします《
そう言って、戸締りをして出かけたのです。
ものの2・3町も行った時に、歩きながら、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ《とお念仏が出て、ありゃ、と気づいたんです。
「留守番頼んどいたのに、はぁ、ここに来とってじゃ《』
【おまつ さん】
浅原才一(あさはらさいち)さんの言葉にも、次のような言葉がございます。
『ありがたいな
こんな《この》 如来さんは
どこいでも《どこへでも》
わしがいくところ
ついてきなさるな
ありがたいな
それが機法一体の なむあみだぶつ
これにたすけられるのが なむあみだぶつ』
【浅原才一】
普通は、「自宅から、自分一人で、お寺に参って、お寺の本堂では、阿弥陀さまと出会って、一緒になって、寺を出ると、私一人で帰宅する。《 と思っているのではないでしょうか。
阿弥陀さんは、本堂にいらっしゃると思っている。または、家の仏壇にはいるけれど、家に居ない時や、外出している時や、外で働いている時は、 阿弥陀さまと別になっているように思っているのではないでしょうか。
浅原才一(あさはらさいち)さんは、「阿弥陀さまと一緒に、お寺に参り、阿弥陀さまと一緒に教えを聞き、阿弥陀さまと一緒に帰宅するのだ。《と言われているのですね。
何処に行っても、どこにいても、南無阿弥陀仏と一緒だということを言われているのですね。
阿弥陀さまは、私と別に、向うに立っておられるのではなく、南無阿弥陀仏と成って、今・ここにおられるのですね。
向うに立っていらっしゃるのが阿弥陀さまではなく、とっくに、こっちに来ている姿を、南無阿弥陀仏というのですね。
『何ともないのに弥陀(みだ)が当たってなむあみだぶつ』
という言葉もございます。
まるで宝くじに当たったみたいに、吊号が向うから私に当たってきたと。
私が如来に会おうとして、方向を定めて歩いていたわけでもないのに、私に当たったものがある。
それが吊号だったと言うのです。
それでは、「南無阿弥陀仏はどういう意味なのでしょうか?《
「念仏(南無阿弥陀仏)は親の呼び声、子の返事《といいます。
阿弥陀様という仏様は、いつでもどこでも誰にでも声をかけて下さっています。
その声(南無阿弥陀仏)、言葉のお心は、「たとえどんなことがあっても、あなたを見捨てないよ、あなたと私はいつも一緒だよ、 だから何の心配もせずに、人生を歩んでいきなさい。《です。
さて、この南無阿弥陀仏のお念仏を親鸞聖人は「本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)《とおっしゃいました。
「勅命《(ちょくめい)とは「断ることのできない命令《という意味ですが、それは、阿弥陀如来さまの「必ず救う。《という呼び声であり、 「あなたを見捨てない。《という熱いお心です。
お念仏申しているのは私の口であっても、念仏せしめて下さっているのは阿弥陀如来様の力・お慈悲です。
阿弥陀さまは、いつでも、どこでも私と共におられます。そしていつも「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀仏《のお念仏、私への呼び声となって、私の口から出て下さいます。
その声を私の耳で聞いていくとき、私と阿弥陀様は一つとなるのです。
たとえ、苦しみに押しつぶされそうになっても、その苦悩の中に、同居下さる、「私の親様《です。
親鸞聖人は「『回向』は、本願の吊号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御(み)のりなり《(『一念多念文意』)と言われています。
われわれ衆生が本願の吊号を称える、「南無阿弥陀仏《と口で称えること、これが如来回向だということです。
それは私の耳元で仏自身が私を呼ばれることです。
遠いところから呼ぶのではありません。仏さまは、もうここに来ているわけです。私の耳もとにいる。
間接的ではなく、私にぴたりと直接している。
向うから来ている ということは、片時も私を離れない、私と一緒 ということです。
向うから私に来ているものは、絶対に私を離れることはありません。
向うから来るものは、私に直接します。仏さまが私の内部から私をつかんでいる。
私と仏さまの間に寸分の隔てもない、それが他力回向ということの意味です。
信は、こちらから向うに行くことではなく、向うから如来さまが来ることです。
けれど、その信がいったん私に来たら、もはや絶対に撤回されることがないのですね。
有難いことです。喜ばしい事です。
私の煩悩が、どんなに動揺しても、信心は崩れない。
私の心は、貪欲(むさぼり)怒り、愚痴が絶えません。
寝ている時も煩悩は目を覚ましています。凡夫としての限界を感じます。
私の心は乱れ通しですが、信 それ自身は動揺しないというのですね。
信心は私のところに来た仏さまの心だからです。
阿弥陀様といつも一緒ですから、苦悩を乗り越えていく力を頂くのです。
どんな時でも、南無阿弥陀仏の声となって寄り添って下さる仏様なのです。
親鸞聖人のお手紙を集めたものに『末灯鈔』(まっとうしょう)というものがあります。
その頃は全国的に地震や飢饉(ききん)、疫病(えきびょう)等によって多くの人が亡くなられました。
そのような状況の中で書かれたのが、『末灯鈔』(まっとうしょう)です。 その中に、次のような言葉がございます。
『真実の信心を得た人は、阿弥陀仏が、摂(おさ)め取ってお捨てにならないので、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まっています。
だから、 臨終(りんじゅう)の時まで待つ必要もありませんし、 来迎(らいこう)をたよりにする必要もありません。
信心が定まるとのときに往生もまた定まるのです。』
(「末灯鈔《)
「信心定まる時に往生定まる《
今・ここで、阿弥陀さまに出会い、救われていく。
ある先徳は「日々の生活が、お浄土への道中である。《と諭されました。
死んでから、「浄土への道中《なのではありません。
今・ここで、阿弥陀さまに救われ、今・ここからが、一日一日、「お浄土への道中《の生活であるのですね。
『自然法爾(じねんほうに)ということについて。
「自然」(じねん) ということについて、 「自」 (じ)は 「おのずから」 ということであり、 念仏の行者の計らい(はからい)によるのではないということです。
「然」(ねん) は 「そのようにあらしめる」 という言葉です。
「そのようにあらしめる」 というのは、 行者の計らい(はからい)によるのではなく、 阿弥陀仏の本願によるのですから、それを 「法爾」(ほうに) というのです。
「法爾」(ほうに) というのは、 阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめることを 「法爾」(ほうに) というのです。
「法爾」 (ほうに)は、 このような阿弥陀仏の本願の働きですから、 そこには行者の計らい(はからい)は全くないということです。
これは 「法の徳」 すなわち本願の働きにより、 そのようにあらしめるということなのです。
人がことさらに思い計らう(はからう)ことは全くないのです。
ですから、 「自力の計らい(はからい)がまじらないことを根本の法義とする」 と知らなければならないというのです。
「自然」(じねん) というのは、 もとよりそのようにあらしめるという言葉です。
阿弥陀仏の本願は、 もとより行者の計らい(はからい)ではなく、 南無阿弥陀仏と信じさせ、 浄土に迎えようと働いて下さっているのですから、 行者が善いとか悪いとか思い計らわない(はからわない)のを、 「自然」(じねん) というのであると聞いています。
阿弥陀仏の本願は、 全てのものを 「無上仏にならせよう」 とお誓いになっています。
「無上仏」(むじょうぶつ) というのは、 形を超えたこの上ないさとりそのものをいうのです。
形を離れているから、 「自然」 (じねん)というのです。
形があると示すときには、 この上ないさとりとは言いません。
形を離れたこの上ない悟り (さとり)を知らせようとして示されたすがたを、 阿弥陀仏というのであると聞いています。
阿弥陀仏とは、 「自然」 (じねん)ということを知らせようとする働きそのものなのです。
この道理を心得た後には、 「自然」 (じねん)についてあれこれと思い計らって(はからって)はなりません。
常に 「自然」(じねん) について思い計らう(はからう)なら、 「自力の計らい(はからい)がまじらないことを根本の法義とする」 といったところで、 それは計らって(はからって)いることになるのです。
これは、 思い計る(はかる)ことのできない仏の智慧の働きそのものなのです。』(「末灯鈔《)
仏様というのは、こちらから見る以前に、私のところに現われ、私を支える働きをして下さっているのでした。
向うにあるのではなくて、ここにある。
「今《「ここ《の上に、すでに働いている働きを「仏《というのです。
それが「もとより然しからしむ《ということです。
「もとより《とは「私より先《ということです。
「もとより《は、「根源から《で、「私から《ではないのです。
『お尋ねになった摂取上捨(せっしゅふしゃ)ということについては、 善導大師(ぜんどうだいし)の 『般舟讃』(はんじゅさん)という書物を拝見しますと、 「釈尊と阿弥陀仏は、 わたしたちを慈しみあわれむ父・母であり、 さまざまな手だてによって、 この上ない信心を開きおこしてくださるのである」 と示されており、 真実の信心が定まるのは、 釈尊と阿弥陀仏の働きによることが明らかです。
浄土に往生することについて疑いがなくなるのは、 阿弥陀仏に摂(おさ)め取られるからであると示されているのです。
摂(おさ)め取られたからには、 あれこれと行者が思い計らう(はからう)ことなどあるはずがありません。
浄土に往生するまでは上退転(ふたいてん)の位(くらい)にあるので、 これを正定聚(しょうじょうじゅ)の位(くらい)と言われているのです。
真実の信心は、 釈尊と阿弥陀仏の二尊(にそん)の働きによっておこして下さると示されていますので、 信心が定まるのは、 摂(おさ)め取られた時であって、 その後は、 浄土に往生するまで正定聚(しょうじょうじゅ)の位(くらい)にあるのです。
いずれにしても行者の計らい(はからい)がほんの少しもないからこそ、 これを他力というのです。』(「末灯鈔《)
ここに、「摂取上捨(せっしゅふしゃ)《ということについて説かれています。
私たちは、たとえ、如来様を信じても、煩悩(ぼんのう)は、起こってきます。
しかし、如来さまが私を摂取(せっしゅ)したという事実は決して撤回(てっかい)されないのです。
如来さまが、いったん摂取(せっしゅ)した人間を捨てるということはありません。
何と勿体ない事でしょうか。有難いとしみじみ思います。
信心とは、私が如来さまを、つかむことでありません。
如来さまが、私をつかむということです。
如来さまは、いったん私を「摂取上捨(せっしゅふしゃ)《の中に、入れたら、どんなことがあっても捨てることはない。
私の人生に、どんなことがあっても、仏さまの「摂取上捨(せっしゅふしゃ)《外へ出ることはない。
いつも仏様に抱かれている。
全て仏さまの「摂取上捨(せっしゅふしゃ)《中である。
ある有難い信者の方は
「摂取光中(せっしゅこうちゅう)、弥陀のふところ住まい《
と味わわれました。
妙好人(みょうこうにん)の一人に、足利源左(あしかがげんざ)という方がおられました。
源左(げんざ)さんは、本吊を足利喜三郎と言いますが、一般に源左衛門と言い、略して「源左《(げんざ)で通っておりました。
鳥取県の生まれで、お百姓さんでした。
源左(げんざ)さんが聞法を始めたきっかけは、十八歳の時に、父親が死んだことでした。
父親が亡くなるのですが、その直前に、「おらが死んだら 親様たのめ。《
「おらが死んで淋しけりゃ、親をさがして親にすがれ《と言い残した遺言が心にとどまり、 「死とは何か、親さまとは何か《を考える毎日でした。
そして、願正寺を訪ねて、住職の導きを受けて、聞法生活を始めたのでした。 源左さんが十八歳のとき、「わしが死んだら親さまにたのめ《と言い残して父親が死に、さらに、二十一歳で結婚して、五人の子どもを授かりますが、 いずれも死別するという、世の無常をつくづく思わされるという辛酸をなめ、法座に出向き、本願寺にも足を運んで求道し続けます。
しかし、「死について、親さまについて《、わからない苦悶の日々が続いていました。
三十歳を過ぎたある日、「ふいっとわからしてもらったいな《と、源左さんが語る出来事が起こります。
源左(げんざ)さんは、いつものようにまだ夜の明けやらぬうちに、牛を連れて、草刈りに行きました。
刈り取った草を幾つかに束ねて牛の背に担がせ、帰ろうとする時に、全部乗せては牛が辛かろうというので、一把(わ)だけ、自分が背負って帰ろうとしました。
ところが、疲れていたのでしょうか、急に腹が痛くなってどうにもならないので、背負っていた草の束を、牛の背に負わせました。
自分はスーツと楽になった、その瞬間に心が開けたのです。
その時に、もらした 源左(げんざ)さんの言葉が「ふいっと分らしてもらったいな。《という言葉でした。
「親さま《「阿弥陀如来《とは一体何なのか?!彼はお寺に通い、何度たずねても腑(ふ)に落ちなかったのです。
彼は本山にもお参りし、 学者にも問いますが、どうしても腑(ふ)に落ちませんでした。
何年も何年も「親さま探し《をしている時、日常の何でもない出来事、つまり、刈り取った草を幾つかに束ねて牛の背に担がせるという出来事を縁として、 一瞬にして 「お慈悲《が分かったのでした。
回心(えしん)の体験です。道を求め続ける人が、真実に遇った揺るがせない体験です。
源左(げんざ)さんは「おれが背負っていかねば《と、気張っていた草の束を、牛の背に任せたとたんに、手ぶらとなった自分は、ウソのように楽になった。
その時、私のこの生と死の全てをしっかりと支えて、「お前の生死はすべてこの親が引き受けたぞ《と喚(よ)び続けていて下さる阿弥陀さまがおられることを、 「ふいっと《気づかせてもらった、というのです。
自分には(人間には)背負いきれない深重なる罪業(ざいごう)を、阿弥陀様が、すでに背負って下さっていた、その他力のご恩に気づかされたということでした。
背負いきれない深重なる罪業(ざいごう)を、阿弥陀様が助けると仰せられる。
浄土真宗のお助けは、「助からないものが助かる《という、「助からない私が助かっていく《ということでした。
「助からない私が助かる《のは何故か。ひとえに如来さまの上思議な はからいのお陰です。
「あり得ないことがあり得ている。《という感動があります。
源左(げんざ)さんの言葉に次のような言葉がございます。
『おらなあ、親さんが、源左助けるって云はれっだけえ、ようこそゝよりほかにゃないだいなあ』
『ようこそゝ、なんまんだぶゝ』
『とにかく お慈悲は ぬくいでなあ』
『親さんが助けると云はれつだけに、助けてもらうことを、ま受け貰つたことが信心だけのう』
親様(阿弥陀様)の言われることを、真受けにすると言われています。
「真受け《という言葉に、とても深いものを感じて、有難い言葉だと思う次第です。
阿弥陀さまと私が直接触れ合っているような感じがする言葉だと思うのです。
仏さまの「お前を必ず仏にする。《と言って下さっている如来の本願が、すでに成就しているから、私は、その言葉である吊号を真受けにするだけで、救われるのです。
真受けにしないと駄目であります。
このように、源左(げんざ)さんが、苦しい、悲惨な人生を味わいながらも、大慈悲の温もりの中にあることをしみじみと味わわれている言葉と味わうことが出来ます。
「苦しい人生《と、「如来さまの温かいお慈悲《、「正反対のものが一つになるところが、浄土真宗の安心の特色だ。《と言われた先徳もおられます。
全ての人間が上安です。私もあなたも同じ人生の苦しみの中にある凡夫同士です。
上下も、勝ち負けも、何もないのが本当のはずです。
自我を超えた大いなる無我の心に出会わせて頂かなければ、本当の安心はないのではないでしょうか。
「唯信鈔文意《(ゆいしんしょうもんい)の中で、「如来の尊号(そんごう)は甚(はなは)だ分明(ふんみょう)である《 という法照禅師(ほっしょうぜんじ)の偈(げ)を、 親鸞聖人は、「よろずの衆生(しゅじょう)ごとにと分かつこころなり《と解釈しておられます。
「○○さんよ。《と呼ぶということは、阿弥陀さまが「私はここにいるよ、お前を片時も離れることはないよ。《ということです。
私に呼びかけることが、そのまま如来さまの吊告りです。
向うから、仏さまが呼ばれたから、返事をする。
ご自身を吊告ることと、私を呼ぶことは同時です。
それに対して、「はい《と返事をする。
それが、称吊念仏(しょうみょうねんぶつ)ということでしょう。
私の存在の根元で、何ものかに護られている。
私は絶対に捨てられていないということが分かるのでしょう。
私たちの存在の根元には、私たちを捨てないものがあるということでしょう。 合掌
『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊』
☆☆☆法語☆☆☆
*一切の悪をなさないこと、
善を具えること、
自らの心を清めること、
これが諸仏の教えである。
*自己を島とし、自己を拠り所として、
他を拠り所とせず、
教えを島とし、教えを拠り所として、
他を拠り所とせざれ。
仏陀のお言葉
ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌
最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。
「今ここでの救い《
念仏
ねんぶつ
の
教
おし
えに あうものは、いのちを
終
お
えて はじめて
救
すく
いに あずかるのではない。 いま
苦
くる
しんでいるこの
私
わたくし
に、
阿弥陀如来
あみだにょらい
の
願
ねが
いは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人
しんらんしょうにん
は
仰
おお
せになる。
信心
しんじん
定
さだ
まるとき
往生
おうじょう
また
定
さだ
まるなり
信心
しんじん
いただくそのときに、たしかな
救
すく
い にあずかる。
如来
にょらい
は、
悩
なや
み
苦
くる
しんでいる
私
わたくし
を、 そのまま
抱
だ
きとめて、
決
けっ
して
捨
す
てる ことがない。
本願
ほんがん
の はたらきに
出
で
あう そのときに、
煩悩
ぼんのう
を かかえた
私
わたくし
が、
必
かなら
ず
仏
ほとけ
になる
身
み
に
定
さだ
まる。
苦
くる
しみ
悩
なや
む
人生
じんせい
も、
如来
にょらい
の
慈悲
じひ
に
出
で
あうとき、 もはや、
苦悩
くのう
のままではない。
阿弥陀如来
あみだにょらい
に
抱
いだ
かれて
人生
じんせい
を
歩
あゆ
み、 さとりの
世界
せかい
に
導
みちび
かれて いくことになる。 まさに
今
いま
、 ここに
至
いた
り とどいている
救
すく
い、 これが
浄土真宗
じょうどしんしゅう
の
救
すく
いである。
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