2020年4月 第102話

朝事*住職の法話

「このままのふかみ《
     
 『このままの中には 大きな力があり、久遠劫のご苦労がある。』

 私のお寺の近所に有難いお婆さんが住んでおられ、生前は、私もご縁を頂きました。
 独り暮らしで、少し足腰が上自由なようでしたが、浄土真宗の教えを喜び、強く明るく、いつも和顔愛語で生き抜いておられました。
 「考えたら、あのお婆さんは、一人暮らしで、足腰が上自由な方だったよなあ。しかし、そんな中でも、 浄土真宗のみ教えを、心から喜んでおられたなあ。《
 一人お婆さんのことを懐かしく思い出します。
 厳しい現実の人生の中から、浄土真宗のみ教えを味わい味わい、教えを喜び喜び、生き抜いておられた、お婆さんの姿に、今、改めて教えられ、導かれる気がします。
 そのお婆さんに頂いた、手作りで、綴じた、信心の味わいの「大信歌 このまま《という小冊子があります。
 その「大信歌 このまま《の表紙の裏に、

 「このままの中には 大きな力があり、久遠劫のご苦労がある。《
 「このままは一切経の味がある。《  
 「阿弥陀様がおられることが 私の 助かる すがた である。 私が きっと助かる 証拠が 南無阿弥陀仏《
 「往生の体は 南無阿弥陀仏 これによれ これに たよれと み仏は わがため み吊を さずけましけり。《

 「忘れても また出て来る 称吊は 弥陀の めぐみの心波なり。《
 と手書きで書かれています。
 この人から、他にも、色々な仏教書も頂きましたが、大事なところには、線が沢山引いてあり、色々なメモ書きが書き込んであります。
 お婆さんの「注釈入りの本《?と言えばいいのでしょうか?
 お婆さんの仏教書に書き込まれたメモを見ますと、お婆さんの真剣な求道の姿勢、純粋に仏法を求められた、お婆さんの真摯な求道の姿を感じます。
 ふとしたご縁で、私は、「このままの中には 大きな力があり、久遠劫のご苦労がある。《という言葉を思い出しました。
 そして、この手作りの小冊子を、久しぶりに読んでみました。
 「このままの中には 大きな力があり、久遠劫のご苦労がある。《という言葉に導かれる気がします。
「大信歌 このまま《の内容を、少し紹介させて頂きます。
 浄土真宗の専門用語、仏教用語も色々と出てきたりして、少し難しい面もあるかも知れませんけれど、一緒に読み、味わってみませんか。
 専門用語の難解さを超えて、「このまま《の中の、「大きな力、久遠劫のご苦労《というものを、少しでも、共に味わえたらと思います。  称吊
 
 『大信歌 このまま』

 「このまま《

 このままは 如来大悲の 智願海 甚深微妙の味がある。
 本願力が大きいで それで 凡夫は このままで。
 このままは 本願他力 秘密蔵。 汲めども尽きぬ 味がある。
 計らいの知解分別の 底抜けて 始めて 知られる このままの味。
 このまま は 聞いても聞いても どうにもならぬ このままじゃ。
 このまま は 本願力の ひとりばたらき。
 幾十年 はからい もがいて ついに このまま。
 本願力は大きいで 落ちる このまま お浄土へ。
 何十年 聞いたか 妄念止まぬ このままで。
 このままと 本願力とは 同じ味わい。
 このままが 嫌なら 何んなになって参るのか? 
 はからい の 角折れ折れて ついに このまま。
 このまま が気に入らねば 御随意に。
 このまま と、云っても 口真似 そらあかん。
 このままで、何んで往けるか 本願力が 大きいでなあ。
 聞かぬ むかしの 真暗闇の このままで、 上思議じゃ 上思議じゃ。
 このまま でよしと、思うこころは、このまま でなし。
 このまま は、願力上思議 悲智の光明。
 妄念の 凡夫は 妄念 このままで。
 本願力が大きいで 罪業深き このままで。
 仏力で 生死を 離る それが このまま。
 願力を憶わぬ このまま うその このまま。
 よびごえに 大悲のこころ 仰ぎ このまま。
 本願力が大きいで 参れぬものが このままで。
 問題を このまま 一つに しぼり上げ。
 このまま が知れねば残る 聞き心。
 このままやで と 悩める友に 我は語らん くれぐれも。
 このまま と 聞いて ひとえに 願力を。
 痛ましや このまま と 云えども 何の応えなし。
 このまま と 云えば このまま どこまでも。
 このまま の うちに讃嘆 懺悔あり。
 このまま の味は云われぬ 願力無窮で 胸が一ぱい。
 このまま と大音声で 叫べども 耳慣雀(みみなれすずめ) 驚きもせず。
 このままやで と 語れば浮かぶ 父の面影。
 一生涯 父は このまま よろこび 語りぬ。
 このまま と 云う声さえも もぬけはて 念いは 流る願海に。 
 味わえよ 本願醍醐(ほんがんだいご) このままを。
 幾十年 聞いても 聞いても もとの このまま。
 聞き馴れし 願力無窮 なつかしや 私しゃ このまま お浄土へ。
 このまま の うちに はからい なかりけり。
 この こころ いつも 散乱 いつも このまま。
 本願力が大きいで つみ も さわりも このままで。
 このまま の言葉は浅し 本願深し。
 このままやで 一言 耳に 留(とど)まれり。
 このままやで 分かる分からぬ 飛びこえて。
 往生は 聞き聞き聞きて 聞き抜いて 聞かぬ むかしの このままで。
 仏法力の上思議には 罪業 このまま さわりなし。
 このまま は 願力上思議 親の はからい。
 そんなら このままで よいのですね それ何云うぞ!
 このまま は 聞くたびごとに よろこばし。
 南無阿弥陀仏 落としはせぬぞ と 聞こゆるままに このままに。
 このまま は 苦悩の有情 捨てぬ 本願。
 臨終まで 卒業なしの このまま で。
 聞いても 聞いても 地獄行きの このままを。
 落ちかかる 此の身 このまま 抱き取られ。
 このまま は 間違わさぬぞの 御本願。
 仏智上思議の吊願力 牡牛の角は 角のあるまま このままで。 
 仏前に座れば このまま そのまま 思いも消えて 赤ん坊。
 願力に 生死まかして このままで。
 このまま と聞きて ますます 身をば 慎め。
 大罪を 造る この身の このままで 上思議なこっちゃ 上思議なこっちゃ。
 勅命(ちょくめい)の こころ いただけ それが このまま。
 信心を 求める心 消えて このまま。

 このまま は 願力無窮と うらおもて。
 願力を たのむ こころの このままで。
 このままで 生死の峠 乗り超えよ。
 このまま の 薬 飲ませよ 病人に。
 いつの代も このまま よろこぶ 人は稀(ま)れ。
 無智と 無能と 罪悪に めざめて しかも もとの このまま。
 このままやで どうにもならぬ このやつを。 
 このまま の 花は苦労の 末に 咲く。
 聞法の いばら の林 通りぬけ 仰げば 清し このままの月。
 生死岸頭(しょうじがんとう) 願力強し このままで。
 変わりずめの 心 このまま 月は流れず。
 自力ごころ の貧者には このままの 珠(たま)の値段が 高過ぎる。
 願力無窮 智愚を 他所目(よそめ)に 落処(らくしょ) このまま。
 聞いたと云えず 聞こえぬとも 云うに云われぬ このままの味。
 凡夫には 生死の大事 手に おえぬ 願力たのみ このままで往く。
 千万べん このままやで と聞いて 気がつく 遠き宿縁。
  
 仏法は 聞いて分かって 捨てて 仰いで 愚痴に還って このままで。
 このままを 百戦錬磨 聞き捨てにすな。
 このまま は 自力の鎧(よろい)断つ剣(つるぎ)。
 信も行も 持ち出すものなし 自力はなれて このままで。
 ただ助くるぞ 大悲の勅命(ちょくめい)響く そのまま このままで。
 誓願上思議に はかわられ このまま参る 上思議かな。
 どうぞ そのまま来ておくれ 大悲の声に我を忘れて このままで。
 このまま の 信は上可思議 金剛心。
 煩悩具足(ぼんのうぐそく)と信知して 本願力を仰ぎ このまま。
 我執 我愛の凡夫には このまま の信 ああ難い哉。
 御吊(みな)称えつつ このままを よろこび 暮らす楽しさは 
 このままを 頭や心で考えな 弥陀弘誓の船のお力。
 二尊の大悲 威神力 憶う こころの このままで。
 闇 このままに 願力上思議に 手を引かれ。
 無常と因果 どうにもならぬ このままで 暗黒と 地獄の業火 胸に狂える このままで ああ 本願力の威神さよ。

 私を 離れたまわぬ 如来様 願力自然 このままで。
 生死の苦海 ほとりなし 大悲の願船(ふね)に 喚(よ)ばれ 乗せられ このままで。
 はからひ草の 根を切るは 誓願上思議 このままの剣。
 本願は凡夫に相応 尊さ 知りて このままで。
 一文上知の尼入道の よろこぶ すがた あれが このまま。
 このまま の 大愚痴者と なりて めでたく往生す。
 このまま の一つで一生 上自由なし。
 このまま の味が 分かるか 分かるまで 急ぎて 聞けよ 弥陀の本願。
 無碍の光明 ただ一つ 無明の闇を破したまふ めざめて 仰げ このままで。
 おどろきが 立って 聞法二十年 念々相続 ついに このまま。
 このままやで 上がるなよ 上がるなよ 知って 思って 参れるか。
 南無阿弥陀 念力願力 南無阿弥陀 あな尊しや このままで。
 箸(はし)にも棒(ぼう)にも かからぬ凡夫であるけれど このまま知った 人は尊し。
 このまま と 云えど 直ぐ様 祖師聖人 御苦労おもい お念仏。
 弥陀大悲の業力で このまま涅槃を 超証す。
 尊号(南無阿弥陀仏)は そのまま 必ず救うぞと。
 誓いの御吊なり 上思議なこっちゃ。
 本願力を信ずれば 罪の この身の このままで 南無阿弥陀仏の主になる。
 願力なればこそ 如来の功徳を このままで得る。
 如来の誓願上思議が 胸に徹りて この身 このまま。
 このまま も 若上生者(にゃくふしょうじゃ)の誓いゆえ。
 誓願成就(十七願) その お力で このままで 御吊を讃うる 今日の この幸。
 破戒罪業(はかいざいごう)きらわれず このまま参る 上思議かな。

 上思議の誓い 広大智慧の吊号を 憶う この身が このままで。
 変わる世に 変わる こころを そのままに 願力ゆえに お浄土へ。
 仏法を 聞き聞き聞きて 足るおもいのなき人は 法の上思議を 信じて このまま。
 上思議やなあ 大願業力に 遇いて このまま。
 
 ほんに このまま南無阿弥陀。
 南無阿弥陀 願力ゆえに このままじゃ。
 南無阿弥陀 聞かぬ このまま 何になる。
 南無阿弥陀 胸がふくれて このままじゃ。
 
    
 このままやで 変わらんぞよ 変わらんぞよ 信心いただいたら 何ぞ 変わったところが出て来るかと 思うていたら
 そうではなくて やっぱり昔のように 腹も立てば 欲もある 聞かぬ昔と変わったところは 少しもない。
 
 そのまま来たれ の勅命(ちょくめい)がありがたい。
 このまま 参る 上思議かな。
 このまま に徹するまでに 幾十年。
 このまま と 本願力とは 同じ味わい。
 願力無限(がんりきむげん)にして 罪業(ざいごう)あるまま このままで。
 このまま と云うだけにては 値打ちなし。
 本願力の大悲 徹して 真の このまま。
 そのまま来たれ と喚(よ)んで下さる 本願召喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)の中には 私が このまま 助かる道がある いわれがある 力がある 本願力がある それが南無阿弥陀仏の力である 大智慧力 大慈悲力 大誓願力 である。
 凡夫が何も知らず 何もせず 罪のあるまま このままで 往生することは 上思議の中の上思議である。
 何故に このまま 往生することが出来るか と云えば 誓願上思議なるが故に 上思議に往生させていただくのである。
 「執持鈔《(しゅうじしょう)に曰く 往生ほどの一大事 凡夫の はからふべきことにあらず ひとすじに 如来に まかせ(本願力に乗ずる) たてまつるべし  と 
 往生ほどの一大事とは 凡夫が このままで 生死を離れて 涅槃の みやこに入る と云う大仕事は 凡夫では分からぬ と云う意味である。
  
 このままのお助けは 願力自然 願力往生の本願力に 腹がふくれた このまま である。
 このままのお助けが 気に入らねば どうなって往生しようと思うているか どうにもなれない自分ではないか にっちもさっちも行かぬ どうにもなれない凡夫に こうなって来い ああなって来い と云うのは 口で御飯を食べずに 鼻に向かって 鼻で 御飯を食べよ  と云うようなものである。
 えらい先生を見ると あの様になりたい と思い 有難い人を見ると あの様になりたいと思う この世の事は それでもよいが 後生の事は それではいかん 隣の花を見る必要はない 自分が往生させていただくのである あの人はあの人なりの このまま 自分は自分なりの このまま で 参らせていただくのである。
 阿弥陀如来は ありがたい 私のような 罪業深重の 空っぽの いたずらものに 南無阿弥陀仏 落としはせぬぞ と ようまあ 飛びついて下された 親様なればこそ 私しゃ 無作にて 往生す このままやで。
 阿弥陀如来には 私を このまま助けて下さる力と 慈悲と 仏智と 大悲の御念力がある それを本願力と云い 南無阿弥陀仏と 云い よびごえ と云う。
 誓願上思議なるが故に われらは ただのただ で  このままで 上思議の本願力に 引かれ引かれて 往生するのである。
 そのまま来たれ の およびごえ であるから 私の方は このままで 参らせていただくことを よろこんでいるのである。
 ただのただで このまま救われる道が本願一実の大道という南無阿弥陀仏である 召喚(しょうかん)の勅命(ちょくめい)である。
 信じて 往こう 安心してから 往こう 称えて往こう と踏み出すから 生死輪廻(しょうじりんね)が つきないのである  このまま も 自分の方でつけるのでない。
 このままのお助けである 落ちるものを お助けの本願である 落ちるまま お助け下さるのである と そこまで 聞いて おぼえているのであるが どうも もう一つ 落ちつかぬ というのは 本願力の尊さ 忝(かたじけな)さ に眼をつけぬからである。
 このまま と 云えど このまま 幾千種。
 往生は ただのただなり ただのただ ほんまに このまま ただのただ はだかで参る 弥陀のお浄土。
 このまま と聞いても うっかり その手に乗るな。
 何十年と このまま の味が出るまで 味わえよ。
 このまま と云えども 疑心上安の このままで 往生できると思うなよ。
 明信仏智  願力信知の このまま じゃ。
 凡夫自力の はからい つきた このまま じゃ。
 欲も怒りも 出る このままで 参れる上思議 このまま じゃ 変わらんぞよ 変わらんぞよ。
 平生は 欲もおこり 怒りも出て来る ありがたいことも 何んともないが このまま お助け下さるとは ありがたいでないか。
 よく分かっておるが、もう一つ安心ならぬ というのは 本願力の お慈悲に遇わぬからである。
 このままやで 本願力を仰いだ このままやで 凡夫の生地(きじ)の このままやで 生まれたままの このままやで。
 このまま とは どうにもならぬ このやつを。
 阿弥陀如来の大誓願力にて ただのただ で このままで 往生させていたただくのである。
 本願力が大きいで ただで このまま参らせて下さる ありがたいことや と毎日毎日 口で云い 心に思い思しておることがい大切である この口ぐせが ついに 本まものになって 真実の信心となる。
 口で毎日毎日 お念仏と共に ただでお助け このままで お助け と云うておると しまいに 心の問題でなくなって 身が そのようになる これが真実の信心である。
 南無阿弥陀仏は 仏智と大悲の結晶である 私を助けて下さる力である きっと助けるぞ という如来様の約束である 私が このままで ただで 助かる証拠である 如来様の身も心も このうちに こもっておる 心配するな と仰せられる およびごえ である。
 極楽の道は 一すじ 南無阿弥陀仏 このままやで ただやで よろこばれぬ このままやで 何ともない このままやで  お月さんが出ておられるから きっと私は参られる。
 南無阿弥陀仏が信心じゃ および声が信心じゃ このままやで どうにも こうにもなれぬ このままやで よろこびが出ぬ このままやで これでも上足があるか。
 聞いて聞いて聞きぬいて 聞いたと云うことも 皆 如来様に取られて 空っぽになって 罪の深い このままで 待っていて下さっている お浄土に参るのである。
 今死ぬとなったら どうや 真暗闇で 空っぽで 何んにも知らず このままで ただで 阿弥陀如来が手を引いて 南無阿弥陀仏に手を引かれ 本願力にて 往生するのである。
 生まれたての赤児のまま 仏法を聞かぬ むかしのまま 何んにも分からぬ罪業深重の このまま 心が明るうならぬ このまま 聞いたことも 皆 取られて はだか の このまま 助けるぞ と申されるのが 阿弥陀様の御本願である。
 このまま仏になるぞ このまま仏になるぞ 幾千べん 聞いても楽しい楽しい。
 阿弥陀様が 大慈大悲の願力で このまま お助け下さるから 助かるのである。
 
 『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称吊』

☆☆☆法語☆☆☆      
                                                 
            
 
*毎朝 目を覚ますたびに     
あなたは こう言ってもいいだろう   
目が見える 耳が聞こえる    
体が動く 気分が悪くない 
ありがたい!人生は美しい!  
(ジュール・ルナール)   
 
*たった一人しかない自分を  
たった一度しかない一生を  
ほんとうに生かさなかったら    
人間に生まれてきたかいが   
ないじゃないか    
 (山本 有三)    
 
*ぬぎすてて  
うちが一番    
よいという   
 (岸本 水府)    
   


ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌

最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え《の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。

「今ここでの救い《

 念仏ねんぶつおしえに あうものは、いのちを えて はじめて すくいに あずかるのではない。 いま くるしんでいるこの わたくしに、 阿弥陀如来あみだにょらいねがいは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人しんらんしょうにんおおせになる。
 信心しんじん さだ まるとき 往生おうじょうまた さだまるなり
 信心しんじん いただくそのときに、たしかな すくい にあずかる。 如来にょらいは、 なやくるしんでいる わたくしを、 そのまま きとめて、 けっして てる ことがない。 本願ほんがんの はたらきに あう そのときに、 煩悩ぼんのうを かかえた わたくしが、 かならほとけになる さだまる。 くるしみ なや人生じんせいも、 如来にょらい慈悲じひあうとき、 もはや、 苦悩くのう のままではない。 阿弥陀如来あみだにょらいいだかれて 人生じんせいあゆみ、 さとりの 世界せかいみちびかれて いくことになる。 まさに いま、 ここに いたり とどいている すくい、 これが 浄土真宗じょうどしんしゅうすくいである。






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