《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第47回 自らをふりかえる(一) 更新 平成27年7月
(偈文) 
弥陀仏みだぶつ本願念仏ほんがんねんぶつは、 邪見じゃけん 憍慢きょうまん悪衆生あくしゅじょう信楽受持しんぎょうじゅじすることは はなはだもって、 かたし。 なんのなかの なんこれに ぎたるはなし。
         (第四十七話~第五十話)
 
  正信偈しょうしんげ依経段えきょうだんもいよいよ終わりに近づきました。
読めば読むほど、つきせぬ法味ほうみにあふれた お聖教しょうぎょうです。
阿弥陀如来あみだにょらい本願念仏ほんがんねんぶつの 法は 邪見憍慢じゃけんきょうまん悪衆生あくしゅじょうには、信ずることが はなは だむずかしい。
なんのなかの なんで、これ以上にむずかしいことはないと 親鸞聖人はおっしゃっています。
邪見じゃけんとは、 正しい教法、 つまり仏法を否定する見解です。
仏教の因果いんがの通理を否定する思想です。
憍慢きょうまんとは、うぬぼれる心、 他人を見くらべて自分の方がすぐれていると高ぶる心を言います。
そういう心をもっている人を 悪衆生あくしゅじょうと申します。
そういう人びとは、 本願念仏ほんがんねんぶつを信じることが非常に困難なのです。
なぜ本願ほんがんを信じることがむずかしいのでしょうか。
それは、そういう人たちは自分を省みることがなく、 自分の力の限界げんかいに気づかないからです。
しかしまた、仏さまはそういう 邪見憍慢じゃけんきょうまんの人は 本願念仏を信じることがむずかしいから駄目だと見捨てられたのではないことにも注意しましょう。
邪見憍慢じゃけんきょうまんをいましめられるとともに、 邪見憍慢じゃけんきょうまんの人でも、心をひるかえして 本願ほんがん のいわれを聞いて疑いがなくなったら、 広大こうだい利益りやく をいただくことができるのだと、 疑いをしましめるとともに 信心を すす めておられるのです。
阿弥陀あみだ さまの 慈悲じひ の 奥深さを学びましょう。

(話題) 
邪見憍慢じゃけんきょうまんということはどういうことをいうのか、考えてみましょう。


※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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