《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第44回 諸仏に讃えられて(一) 更新 平成27年4月
(偈文) 
一切善悪いっさいぜんあく凡夫人ぼんぶにん如来にょらい弘誓願ぐぜいがん聞信もんしんすれば、 ぶつ広大勝解こうだいょうげのひととのたまへり。 このひと分陀利華ふんだりけと名づく。
         (第四十四話〜第四十六話)
 信心よろこぶその人は、諸仏からほめられるというすばらし 利益りやくを得ます。
善人であろうと悪人であろうと、 阿弥陀如来あみだにょらい本願ほんがんを信じたならば、釈尊をはじめとしてあらゆる仏から、 「広大勝解こうだいょうげのひと」、 「白蓮華びゃくれんげのようなひと」と 称讃しょうさんされるのです。
広大勝解こうだいょうげのひと」というのは、 広大こうだいにして 殊勝しゅしょうの お領解りょうげを得た人という意味で、 広大殊勝こうだいしゅしょうの法である 名号みょうごう領解りょうげした人、尊い法の理解者ということです。
私たちには、まことの 智慧ちえ慈悲じひもありません。
つねに自分本位の生活をしています。
まさしく煩悩具足ぼんのうぐそく凡夫ほんぶであり、 罪悪深重ざいあくじんじゅう衆生しゅじょうです。
ですから尊い仏法にあわせていただいても依然として我欲を離れることはできません。 煩悩ぼんのうもなくなりません。
いかり、腹立ち、そねみ、ねたむ、そういう心は 臨終りんじゅうにいたるまでなくなりません。
そのような私ですが、本願ほんがんを信じ、 お念仏もうす身になると、  「広大勝解こうだいょうげのひと」 「白蓮華びゃくれんげのようなひと」と諸仏からほめられるのです。
それは一体なぜでしょうか。
本願ほんがんを信じ、念仏をよろこぶ人は、 自分自身が本当に救われていく道を知らせていただいたからです。
現世だけにとらわれているのではなく、 生死しょうじを超える道を知らせていただいたからです。
だからこそ、諸仏から称讃しょうさんされるような身になるのです。

(話題) 
妙好人みょうこうにんたたえられた人について話し合いましょう。

※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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