《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

第41回 往生まちがいなし(二) 更新 平成27年1月
(偈文) 
すでによく無明むみょうあんすといへども、 貪愛とんない雲霧うんむ、 つねに真実信心しんじつしんじんてんおおへり。 たとへば 日光にっこう雲霧うんむおおはるれども、 雲霧うんむしたあきらかにして やみなきがごとし。
         (第四十話〜第四十一話)
 ご信心をいただいたら、それから後は、つねに不安のないよろこびばかりの日ぐらしができるのでしょうか。
信心をいただいたら、何事にも動揺せず、苦悩はなくなり、喜びづめに喜び、楽しみづめに楽しむ人生になるのでしょうか。
事実そのように思っている人がいます。
しかし、私たちは、ご信心をいただいた後も、苦悩の人生を歩まなくてはなりません。
信心をいただいても、怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心はなくなりません。
 阿弥陀如来あみだにょらいのみ教えにあうことができた感謝もよろこびも、 ついついおろそかになりがちです。
有難い思いが希薄になることもあります。
しかし、ひとたび信心をいただいたら、太陽が雲や霧におおわれてもその上で光り輝いて、雲や霧の下には闇がないように、 毎日が 煩悩ぼんのうの日暮しであっても、往生まちがいないという安心の日暮しが めぐまれるのです。
本願ほんがんにあいながらも、  煩悩ぼんのうにさまたげられてその喜びの心がついおろそかになりがちな私たちです。
お念仏を となえることもおこたりがちな私たちです。 
しかし、そのような私をお救いくださるための 本願ほんがんであったと、かえってお救いの確かさを味わうようになるのです。
私たちは、今現に 光明こうみょうにつつまれています。
本願ほんがんのみちびきにしたがって、お浄土に向かい、一日一日、 着実に人生を歩む私なのです。

(話題) 
信心すれば、苦しみや悩みがなくなると説く宗教があります。そんな宗教をどう思いますか。

※『朗読法話集(第二集)』(本願寺出版社 1.200円 電話 075-371-4171)【『朗読法話集(第二集) 正信偈のこころ』として本願寺より刊行されています。】
この本は 「正信偈念仏偈しょうしんねんぶつげ」の 依経段えきょうだん を50編に分け、一つのテーマでひとつの内容を味わっていただけるようになっています。
※本書を朗読し、自分自身が味わいを深めていきたいものです。



今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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