《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

     
第127回 女性のための正信偈しょうしんげ
源信和尚げしんかしょうの教え【2】」
更新 2022年3月

 30 源信和尚げんしょうかしょうの教え【2】
 

 「極重悪人唯称仏ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ
【極重の悪人はただ仏を称すべし】
 「我亦在彼摂取中がやくざいひせっしゅちゅう
【われまたかの摂取の中にあれども】
 「煩悩障眼雖不見ぼんのうしょうけんすいふけん
【煩悩 眼をさえて見たてまつらずといえども】
 「大悲無倦常照我だいひむけんじょうしょうが
【大悲 倦(ものう)きことなくして常に我を照らしたもうといえり】
 極重の悪人とは、 『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』に説かれる 下品下生げぼんげしょうの人のことです。
 下品下生げぼんげしょうの人とは、

 人々の中で、最も重い罪である 五逆ごぎゃく十悪じゅうあくをつくり、その他悪という悪のすべてを犯しているものである。

と、 『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』に説かれています。
 五逆ごぎゃく十悪じゅうあくについては、すでにふれましたが、ここで今一度、復習しておきたいと思います。

 すなわち、 五逆ごぎゃくとは、思うようにならなかったら、生んで育ててくださった父母さえも邪魔にし、 気にいらないことがあれば、共にみ教えを聞く仲間の悪口・陰口を平気でいって、仲間の和を乱し、人生が順調にいかなくなると真実のみ教えを伝えてくださった先輩は いうに及ばず釈尊をすら 罵倒ばとうし、傷つけようとする人のことです。
 十悪じゅうあくとは、自分が生きるためには、平気でものの生命を殺し、欲望のためには他人のものでも 盗み、自分をよく見せるためには嘘をいい、二枚舌を使い、お 上手じょうずをいったり、他人の悪口さえいい、さらに、少し人生が思うようになれば、どこどこまでも欲望を つのらせ、思うようにならなければ腹を立て、周りにあたりちらす人のことであります。
 「世間には、そういう人がいるな」と、他人事のように読まれる人があるかも知れませんが、どんなものでしょうか。
 私は書きながら、だんだん身の縮む思いをしています。
 
 何気なしに毎日生活を送っていますが、み教えを聞かせていただくと、私自身の毎日が、 五逆ごぎゃく十悪じゅうあくの日暮しでしかないことがいよいよ明らかになってきます。
 こんな 下品下生げぼんげしょうの私の未来が続いて、
観無量寿経かんむりょうじゅきょう』に、

 こういう愚かな人は、その悪業の報いによって、かならず悪道におち、永久に流転して限りなき苦しみを受けなければならない。

 と示されています。
 このような愚かな悲しい人生を送る極重悪人がすくわれていく道はないのでしょうか。
 極重悪人のすくわれていく道がたった一つだけあることをあかしてくださったのが 『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』に、このたった一つの道を、

 こういう愚かな人が、命の終わろうとするとき、たまたま善知識(よき師・よき人)がその人のためにいろいろといたわり慰め、尊い法を説いて、仏を 念ずることを教えるのに う。
 しかし、その人は、もはや臨終の苦しみにせめられて、教えられたとおりに仏を念ずることができない。
 そこで、善知識は、さらに
 おんみが、もし心に仏を念ずることができないなら、ただ口に無量寿仏のみ名を となえるがよい、とすすめる。
 よってその人は、まごころから声をつづけて、南無阿弥陀仏を 十声とこえ となえる。
 すると、そのみ名を称えたことによって、一声一声の うちに八十億 こうという長い間の 生死まよいつみが除かれ、いよいよ命尽きるときには、金色の蓮華がちょうど日の光のように輝いて、その人の前に 現れるのを見る。

 と説かれています。
 この 『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』のご文を、 源信和尚げんしんかしょうは、

 極重の悪人、他の方便無し、唯弥陀を称して、極楽に生ずることを得。
      (『往生要集おうじょうようしゅう』)

 と、よろこばれたのです。
 さらに、この言葉を受けて、親鸞聖人は、『正信偈』において、「極重悪人はただ仏を称すべし」と、よろこばれ、『高僧和讃』では、

 極悪重深の衆生は
 他の方便さらになし
 ひとへに弥陀を称してぞ
 浄土にむまるとのべたまふ

 と、たたえられています。

 私たちは、自分の思い(煩悩)ばかりが先行して、阿弥陀如来の「どんなことがあっても、あなたを見捨てることがない」という摂取の心光の中に生かされ、 生きていることを忘れてしまいますが、阿弥陀如来は、一時も、いや一瞬も、私たちから目をはなすことなく 見護みまもり、はぐくんでくださっているのです。
 天台宗の高僧であった 源信和尚げんしんかしょうは、「私もまた、みなさんと同じく、摂取の心光の中で生かされ、生きています」と よろこばれたのです。
 私たちも 「ものうきことなく(一瞬も休むことなく)して、常にわれを照らしたもう」大悲の中を、精一杯 生き抜かせて頂く身のしあわせをかみしめたいものであります。  
 



※『女性のための正信偈しょうしんげ』 
    藤田徹文ふじたてつぶん
本願寺出版社
電話 075-371-4171
 

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